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毒入りカップ麺事件  作者: iris Gabe
出題編
3/9

3.ポワンカレ予想

(宇宙が三次元球面に同相ならばすべてのロープは回収できる)



「毒物混入殺人事件――? まさか、そんな恐ろしいことがこの研究室内で現実に起きてしまうなんて……。

 現場にいた人間は、被害者を除けば全部で六人でした。端的に申せば、この中に冷酷な毒殺魔がいなければなりません。だって、竜ヶ水先輩に限って、自ら服毒するという厭世えんせい的な行動を取るなんて、想像ができませんからね。

 毒が混入されたのは、おそらくはカップ麺の中。でも、犯人はどうやって毒を混入することができたのでしょうか?」

 思わしげな千穂の視線を送られても顔色ひとつ変えることなく、佐伯教授が逆に問い返してきた。

「さあて、君はどう考えたのかね?」

「そうですね。あらかじめ被害者が食べるカップ麺の中に毒を仕込んでおいたと考えるのが、いちばん単純で自然な発想です。食べている最中に隙を見て毒を混入するなんて器用なわざは、まず実行不能でしょうからね。

 それでは、問題のカップ麺についてもう一度状況を確認してみましょう。まず、前日の夕方、枕崎先輩が生協でカップ麺を六つ購入して、研究室の共同談話コロキウムしつの机上にそのまま一晩中放置しました。

 ということで、誰でもカップ麺に毒を仕込めたことが結論付けられます。なにしろ、ひと気のない深夜の研究室だったら、自由に侵入ができますからね」

「ちょっと待ってくれ。仮に深夜の研究室に何者かが忍び込んだとして、毒を仕込むためには、カップ麺の容器を包装したラップをがさなければならないよね。誰だって、食べる前にラップが破かれているのに気づけば、警戒するんじゃないかな?」

「それがですね――。前回の速報会が終わった後のことなのですが、カップ麺を包装していたラップが床に散らばっていたのを赤瀬君がひどく怒っていましたよね。教授は覚えていませんか?」

「どうせ、散らかしたやつは決まっている。竜ヶ水だろう――。彼には基本的な社会モラルが大きく欠けていると、僕は常々感じているよ。

 でも、そんな細かいごみなんて、放置しておいたところで、翌朝になれば掃除のおばさんがやってきて、片付けてくれるはずだけどな」

「それが赤瀬君には許せない、ということらしいのですよ。

 だから今回は、枕崎先輩が買ってきた六つのカップ麺の包装ラップを、前日のうちに、赤瀬君が全部剥いでしまったそうです。当日にラップごみを出さないようにと……」

「なんてことだ? ラップが剥がされてしまえば、夜間に忍び込んで特定のカップ麺に毒を仕込むことが、誰にでも簡単にできてしまうじゃないか?」

「そうなんです。ラップがないことで、カップ麺の上蓋うわぶたを他人から気づかれないようにわずかに剥がして毒物を混入するとか、あるいは、注射器などを用いて、発泡スチロール容器の側面から毒を注入する、なんてことも、造作なくできてしまいますからね」

「速報会の前日の夜、最後に研究室を後にした人物が誰だったのか分かるのかい?」

「はい、分かっています。赤瀬君の証言によりますと、前日、赤瀬君が六つのカップ麺のラップを剥がしたのが、夜の九時だったそうですが、その時に共同談話コロキウムしつには、竜ヶ水先輩と枕崎先輩がだべっていました、そして、先輩たち二人の証言からも、この事実は確認されています。

 さらに、赤瀬君が九時十五分頃に部屋を出ると、竜ヶ水先輩と枕崎先輩もその直後に共同談話室から出て、各自の部屋へ引き下がったそうです。それから、赤瀬君と竜ヶ水先輩が十時前にそれぞれ帰宅したそうで、枕崎先輩だけが翌日の速報会の準備のために最後まで残っていたらしいですが、十一時を過ぎると、ついに枕崎先輩も帰宅をしたそうです。帰りぎわに枕崎先輩は共同談話室を覗いていて、誰もいなかったから電気を消して帰った、といってました。ご存じの通り、共同談話室の鍵は、四六時中かけられることはありません。

 そして、枕崎先輩が共同談話室を出た時刻にもなると、A館三階の廊下には人の気配が全くなかったそうです」

「かくして、深夜になれば誰でも自由に研究室に忍び込めるから、容易に毒を仕込めるのだね?」

「ちょっと待ってください。

 ご承知の通り、数学科があるA館は、毎晩九時になると安全装置セキュリティシステムが作動してすべての入口が施錠ロックされますよね。つまり、外部からの侵入ができなくなるわけです。ただ、研究室のメンバーなら全員がICチップ入りのパスカードを持っていますから、それを用いて自由にA館の中へ入ることができます。

 しかし、速報会の参加者の中で、ただ一人、部外者の如月君だけはICカードを持っていないから、夜間侵入ができませんね」

「青井岳君もまだ四年の学部生だからパスカードは配布されていないよな。つまり、如月君と青井岳君は容疑者から外されるわけだ」

「さあて、容疑者から外されるとなると、どうでしょう? とりあえず、深夜の侵入に関してはこの二人にはできなかった、ということで話を進めていきましょう」

 千穂の提言にいちいちうなずいていた佐伯教授が、突然思い出したようにポンと手を叩いた。

「なるほど。カップ麺に毒を仕込むのは、当日の朝、安全装置セキュリティシステムが解除された八時以降になってからでもできるんだ!

 うちの研究室のメンバーはそろいもそろって朝に弱い連中だから、午前中だったら共同談話コロキウムしつには誰もいないだろうしね」

 教授が得意げに断言したが、それに対して千穂が再び反論をした。

「ところが、そうでもなかったみたいですよ。

 M1の赤瀬君――。見た目に寄らず彼は朝型人間らしく、その日の朝も、本人の話によれば、七時半頃に研究室に姿を現わしていたそうです」

「なんだって? 七時台に共同談話室にやって来たところで、何の得もありゃしないじゃないか?」

「あら、教授はご存じないみたいですね。今年になって、共同談話室の掲示板や配膳台がきちんと片付いているのは、赤瀬君が毎朝やってきて整理整頓しているからですよ」

「えっ、そうだったのかい? 知らなかったな。いわれてみれば、最近、共同談話室がやけにすっきりしている印象はあったけど、なんでまた、赤瀬君はそんなことをするんだろう?」

「彼は几帳面なA型なんですよ。たとえみんなで共有する共同談話室とはいえ、散らかっているのは我慢がならないのでしょうね」

「ということは、その時の赤瀬君なら十分な余裕を持って机上のカップ麺に毒を仕込むことができたわけだ!」

「そうですね。もっとも、赤瀬君なら深夜に忍び込むこともできますけどね。

 それと、その後で、九時頃になってから、青井岳さんも姿を見せたようです。彼女は、午前中の一時間目の講義が突然休講になって、二時間目が始まるまで時間が余ってしまったから顔を出した、といったそうです」

「ふーむ。ややこしくなってきたな。ということは、青井岳君にも毒を仕込む機会チャンスがあったということか?」

 影待千穂は軽くうなずいてから話を続けた。

「赤瀬君の証言によれば、彼女は長椅子ソファーに座って、しばらくの間おとなしく雑誌に目を通していたそうです。

 教授もご存じかと思いますが、赤瀬君は青井岳さんにひそかに好意をいだいています。でも、なかなか声がかけられずにいるのですよ。もっとも、肝心かんじんの青井岳さんがそれに気づいているのかどうかはあやしいですけどね。

 例のごとく、赤瀬君は青井岳さんに気のいた声をたいしてかけることもできずに、室内の片づけを淡々と続けていたそうですが、時々、部屋の外へも出ていったみたいで、とどのつまりは、青井岳さんにもカップ麺に毒を仕込む機会チャンスがあった、という結論になります。

 その日の午後の速報会で、カップ麺をみんなで食べることは、研究室のメンバーなら、周知の事実ですしね」

 佐伯教授は椅子に座ったまま腕組みをした。

「すると、容疑者からはっきりと除外できるのは如月君のみになってしまったということだね。

 でもさ、その如月君でも、当日の午前中に共同談話室に誰もいなくなった隙をついて忍び込んで、毒を仕込むことができたかもしれないよ」

「お言葉ですが、それはさすがに無理でしょうね。

 事件当日の朝、安全装置セキュリティシステムが解除された後は、赤瀬君や青井岳さんがいて、さらにその後で枕崎先輩も私も午前中に顔を出しましたから、速報会が行われるまでに如月君を始めとする外部の人間が研究室付近をうろうろしていれば、確実に見つかってしまうでしょう。

 それに、如月君は、共同談話室の机上に置いてあるカップ麺が速報会で食べられることを、そもそも知らなかったでしょうしね」

「すると、いよいよ如月君が容疑者から除外できるか……」

「さあ、それはいかがでしょう? 毒を仕込む機会チャンスだけだったら如月君にもありますよ。極めて線の細い可能性ではありますが……。それは、速報会の最中です!

 あの時の座席配置を思い出してください。前列に竜ヶ水先輩と赤瀬君、二列目に私と青井岳さん、教授が三列目にいらっしゃって、如月君は一番後ろの四列目に単独ひとりで座っていました。そして、如月君の目の前の机上には、ラップが剥がされた六つのカップ麺が無造作に置いてありましたから、ひょっとしたら彼は毒を仕込めたかもしれませんよ」

「そいつはまず無理だな。白板ホワイトボードで発表する枕崎君からは、如月君を含めた全員を見渡すことができる。登壇者から丸見え状態では、さすがに毒は仕込めないだろう」

「いいえ、枕崎先輩は、発表する時には、手元の資料と白板ホワイトボードしか見ていません。いつも下を見ながらしゃべっています。だから、如月君にも毒を仕込む機会チャンスは十分にあったと思われます」

「しかし、あえてそのタイミングで毒を仕込むだろうか? そんなことができるのなら、とんでもない博徒ばくとだな、如月君は……」

「まあ、いずれにせよ、速報会に参加した人物全員にカップ麺に毒を仕込む機会チャンスがあったということになりますね」

「残念だけど、認めざるを得ない事実だな。そいつは……」

 ようやく納得した佐伯教授が大きくうなずいた。


「ただですね、事件直後の私には、どうしても理解できない疑問が二つもあったんです。何だかお分かりになりますか?」

 まるで救いを求める宗教信者クリスチャンのように、千穂は、上目うわめ使いに佐伯教授の顔を見つめていた。

「その一つが、どうやって犯人は、毒を仕込んだ特定のカップ麺を被害者の竜ヶ水先輩に手渡すことができたのか、という疑問です。

 さあ、もう一度思い出してみましょう。あの速報会の最中に起こったありとあらゆる出来事を――」


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