1.ガロア理論
登場人物
佐伯宗太郎 教授。専門は代数幾何学。
枕崎真幸 大学院博士課程の二年生(D2)。
竜ヶ水隼人 大学院博士課程の一年生(D1)。
影待千穂 大学院修士課程の二年生(M2)。
赤瀬清武 大学院修士課程の一年生(M1)。
青井岳直見 学部の四年生(P4)。
如月恭助 学部の三年生(P3)。
目次
1.ガロア理論
2.非ユークリッド幾何学
3.ポワンカレ予想
4.四色問題
5.フェルマー最終定理
6.素数定理
7.リーマン問題
8.読者への挑戦
9.不完全性定理
(悲しむべきことに五次方程式の解公式は存在しない)
「その如月という名前の男子学生なんですが……」
と、先に話を切り出したのは、影待千穂の方であった。流行の白い半そでのベルスリーブブラウスをさりげなく着こなした彼女は、名古屋大学院多元数理科学研究科に所属する修士課程二年のエリート女子大学院生だ。猫のような妖しく濡れた黒い瞳に、ピンと真っ直ぐ鼻筋が整った、丸くて愛らしい小顔の、誰にいわせてもそれ相応の美人であることに疑念の余地はないのだが、いかんせん、化粧に関してほとんど無頓着なところが、ちょっともったいない。もっとも、化粧をする必要性を感じないくらいに、本人は自分の容姿に自信を持っているのかもしれない。
「ああ、僕のささやかな記憶が正しければ、例の物理学科の三年生の子だったかね?」
この齢になってもまだ自分のことを僕と称する佐伯宗太郎教授が、素っ気ない口調で受け答えをした。教授は代数幾何学の分野で国内有数の権威ある学術賞を受けるなど、精力的に研究活動を続けている人物でもあった。髪はほぼ白一辺倒になってしまったが、筋トレで鍛えられた色黒の身体からは、年齢不相応の若さがにじみ溢れている。
この対照的な男女二人が、互いに向き合った椅子に腰かけているわけだが、長身の佐伯教授の方が、顔一つ分とび出していて、明らかに高い視点から、小柄な影待千穂を見下ろしていた。その光景は、ひとつ間違えると、まるで実の父と娘のようでもあった。実際に、彼らの年齢差は、ちょうどそのくらい離れている。
「たしかあの子は最初、相談にのって欲しい、とかいって、アポなしでひょっこりと、うちの研究室に顔を出したのでしたよね」
千穂が気を入れて語り始めた。落ち着きのある透き通った声が、知的な雰囲気を醸しながら流暢に流れていく。
「彼はまず自分のことから説明を始めました。
来年度の修士課程の入学試験で、今までは、物理学科で受験をするつもりで日々を過ごしてきた。なぜなら、自分は偉大なるアインシュタイン博士を心より尊敬してやまないからだと。物理学科では理論素粒子物理学の研究室に進む予定で、場の量子論やくりこみ理論などを最近は勉強し始めながら、それなりに楽しんでいると――。それはさも得意げに、語っていましたよ」
そういい終えて、細い肩をすくめながら千穂は一呼吸入れた。
「そいつは、結構な話じゃないか」
「はい。ただ、如月君がいうには、素粒子理論は、標準理論の台本における最後の登場人物となったヒッグス粒子がようやく発見されて、一見、活気づいているみたいだけど、実質、実験面では行き詰まっているのが現状だし、今後の大きな進展が、自分の独自の観点からすると、どうにもこうにも期待ができない。それに対して、最近、たまたま数論を勉強してみたら、それまではなんとも思っていなかったけれど、とても面白かったので、にわかに数理学科にも興味が湧いてきた。
有為多望な自分が、物理学科に進むべきか、数理学科に進むべきかは、ひとつ間違えると日本学術界の損失にもつながりかねない重大問題でもあるから、くれぐれも選択は慎重に行いたい、――いえ、これは本人がいった言葉を一字一句忠実に再現しただけですよ――。だから、今後十年間で、解決される見込みの数論に関する諸問題がどれだけ残っているのかを教えて欲しい、と思いながら研究室を覗いてみたら、たまたま美人のおねえさんがそこにいたから、――ああ、これも彼の発した言葉ですからね――、勇気を出して声をかけてみた、とかいっていました。
さらに、親からは、――たしか家族が父親だけの片親だそうですけど――、今はまだ就職しなくてもいいから、ともいわれているそうで、自分は大学院へ進学しても大手を振って学問を追及することができる気楽な身分なのだとかいって、ほこらしげにふんぞり返っていましたよ。
とにかく、こっちが黙っていれば、とめどなく次から次へとしゃべりまくる、まるで子供みたいな青年でしたね」
「ははは、なるほどね……。
ということは、地元出身の学生なのかな、その如月君は?」
「そうみたいですよ。そういえば、教授はどちらのご出身でしたっけ?」
「ああ、僕は九州の大分県出身だよ。宮崎県との県境に位置する山あいの小さな村に実家がある。次男坊だから家の跡を継がされる心配もなく、自由に研究にのめり込むことができたってわけさ」
「ご実家はたしか農家でしたっけ?」
「いや、僕の実家は杉などの木材を用いた伝統工芸品を造る工場だよ。中国産製品に押されて今やすっかり廃れてしまった過去の遺物の産業だな」
そういって佐伯教授は、なにやら意味ありげに口元をゆるませた。
「僕なんかのことより、話題はその如月君という学生についてじゃなかったのかね?」
「あら、そうでした。それじゃあ、話を戻しましょう。
とにかく、いろいろ教えてくれってうるさいので、最近の研究情勢を私なりに少々説明してやりました。でも、モジュラー曲線に保型形式理論の考え方、さらにはラングランズ予想について説明している時なんかは、さすがに欠伸をしていましたね」
「無理もないことさ。所詮は物理学科の学部生なんだろう。せいぜい、ゼータ関数やリーマン予想くらいでお茶をにごしておけばよかったじゃないか。数理学科の修士学生でも理解するのが困難なことをいくら説明したところで、そんなの単なる、素人いじめに過ぎないよ」
「そんなの、分かっていますよ! けど、あんまりしつこかったから、ちょっとお灸をすえてやりたくなっただけです。たしかに、あの時は私も多少むきになっていたのは認めます。
でも、終わりがけにゼータ関数のことを口にすると、ああ、そいつは知っている、と、急に、嬉しそうに眼を輝かせましてね。結構かわいい一面もある子でしたよ。
すると、そうだ……、あれは絶対におかしい、と突然わめき出したので、なにかしらと訊ねたら、おねえさんならもちろん知っているでしょ、って逆に問いかけてきました。
初対面でまだ十五分と話していないのに、よくもまあ、年上の私に向かっておねえさん呼ばわりするなんて、結構ずうずうしい子ですよね。それは差しおいて、彼がその後で指摘したのは、リーマンゼータ関数の積分表示に関するあの公式についてでした。
教授もご存じの通り、リーマンゼータ関数は、sという変数を用いて表される一変数関数で、s乗した自然数の逆数を一般項とする数列を、すべての自然数にわたって無限和を取った関数として定義されます。これを、リーマンゼータ関数の『ディリクレ級数表示』と呼んでおきましょう。
でも、このディリクレ級数表示の時は、無限和を取った関数値が発散しないためには、変数sに代入できるのが1より大きい実数に限定されてしまいます。より正しくいえば、実部が1より大きな複素数値をsに与えた時に限って、ディリクレ級数は絶対収束いたします」
「ディリクレ級数の収束条件ならば、そんなに難しい話ではない。数学に強い関心を持っていれば、高校生でも十分に理解が可能なレベルだ」
と、佐伯教授は遠くに視点を合わせながら独り言をつぶやいた。
「はい、そうですね。でも、如月少年が持ちかけたのは、――あら、私としたことが……、彼はもう大学三年生でしたよね。あんまり背がちっちゃくて、しゃべり方も子供じみていた子なので、つい『少年』なんて呼んでしまいましたわ――。
その、如月君が納得できないといって私に持ちかけてきたのは、ディリクレ級数表示に解析接続を施して得られる公式です。先ほども申し上げましたように、ディリクレ級数表示のリーマンゼータ関数の変数sに1より小さい数を代入することは禁じられているわけですが、複素関数論の解析接続を行えば、『ディリクレ級数表示のリーマンゼータ関数』を『積分表示のリーマンゼータ関数』という、別な形をした関数にあらたに拡張することができます。さらに、その『積分表示』では、変数sに代入出来ない数値はs=1のみになっていて、『ディリクレ級数表示』では代入できなかった1より小さい数も代入することが可能なのです。
そこで、さっそく変数sにマイナス1を代入してみると、『積分表示のリーマンゼータ関数』は、マイナス12分の1という値をはじき出します。しかし、ここでちょっとおかしなことが起こります。sがマイナス1の時には、『ディリクレ級数表示のリーマンゼータ関数』は、1足す2足す3足す……と無限に自然数を足した式になってしまうからです。
どちらも同じ関数であるはずですから、結論として、1足す2足す3足す……という無限和が、マイナス12分の1に等しい、などという極めて受け入れがたい奇妙な結果が導かれてしまいます。
彼、――如月君のことですが――、にいわせれば、無限和はプラス無限大であるし、それとマイナスの有限値が等しくなる、という結論はどうにも納得がいかない、というわけです」
佐伯教授は、やれやれといった感じで天井を見上げながら、ふっとほくそ笑んだ。
「よくいるんだよねえ。そういった輩が素人連中には……。
結論だけをかいつまんで書かれた庶民向け似非数学書を読みかじって、知ったかぶりをする。その如月君とやらは物理学科の学生だよね。物理学科なんて、四六時中、解析学ばかりにのめり込んでいるから、代数学的な思考がおろそかになってしまうのさ。複素関数論を最初からきちんと勉強して、数式を用いた議論で内容を根底から純粋に理解すれば、千穂君のいう、自然数の無限和、イコール、マイナス12分の1、という定理は、万人が認めざるを得ない自明な結論であることが分かるのにねえ……」
「私も同感です。なにしろ、解析接続による『一致の定理』によって、変数を拡張された正則関数は一意的に決まってしまうのですからね。一致の定理は複素関数論の数ある諸定理の中でも、最も壮大で美しく、なおかつ厳密な定理だと、私はつねづね思っています。
だから、私は如月君に優しくアドバイスをしてあげましたよ。もっとしっかり複素関数論のお勉強をしてからいらっしゃい、とね――。
ところが、如月君は、そう簡単に引き下がりませんでした。彼は、複素関数論なら自分も勉強したし、一致の定理なら理解はしている。そして、その証明はたしかに正しい。けれども、やっぱり、自然数の総和がマイナス12分の1になるという結論は間違っている、と頑なに自己の主張を繰り返すのです」
そういうと、影待千穂はやや不満げに口先を尖らせた。
「はははっ……、それで、その小生意気な坊やは、まともなことをなにか一つでも反論できたのかね?」
「いいえ――。でも、急にたとえ話を取り出しましてね。
ジキル博士とハイド氏――でしたっけ? 英国作家のロバート・ルイス・スティーブンソンが創り出した架空の二重人格者です。ジキル博士とハイド氏は、善人と悪人という、それぞれが全く異なる別の人格であるのですが、同時に、彼らは同じ肉体を共有した一人の人間でもあるわけです。
そして、如月君の主張はこうでした。
リーマンゼータ関数は、最初は『ディリクレ級数表示』で定義されていたが、解析接続を施すことによって、変数のsに複素数値全般が代入できる『積分表示』の関数に拡張できる。
さて、ここで注意してもらいたいのが、この議論の中には二つの別な関数が顔を出しているということである。一つは『ディリクレ級数表示のリーマンゼータ関数』で、もう一つは『積分表示のリーマンゼータ関数』だ。
この二つの関数は、変数sに1より大きな値を代入した時には常に関数値が一致しているし、おまけに双方に『リーマンゼータ関数』と同じ名前が付けられてしまったから、同じ関数だとつい考えたくなる。その気持ちは分かるけど、実はそこが間違いで、この二つの関数は全く別な関数なのだ。
いいかえれば、『ディリクレ級数表示のリーマンゼータ関数』と『積分表示のリーマンゼータ関数』は、リーマンゼータ関数という同じ肉体を共有した二つの別な人格、すなわち、ジキル博士とハイド氏のような存在であると喩えることができよう。
後者の『積分表示のリーマンゼータ関数』は、厳密に定義されている関数なのだから、その変数sにマイナス1を代入した時のマイナス12分の1という値は、『積分表示のリーマンゼータ関数』が取った正しい関数値である。そして、その結論に異論は何もない。
でも、その関数値が、『ディリクレ級数表示リーマンゼータ関数』のsにマイナス1を代入した関数値と等しい、と決め込んでしまうことに、間違いの諸悪の根源がある。なぜなら、ディリクレ級数表示のリーマンゼータ関数には1より小さなsの値を代入することが禁止されているからだ。
では、なんでそのような単純な間違いを世界中のみんながそろいもそろって犯してしまうのか?
それはジキル博士とハイド氏が同じ肉体を共有しているから同じ人格だと決めつけてしまった間違いと全く同じだ。ジキル博士とハイド氏は違う人格であり、違う存在である。そして、変数sにマイナス1を代入した時の二つのリーマンゼータ関数は、違う人格のジキル氏とハイド氏なのだから、それぞれの関数値は違っていても問題は起こらず、この議論は何も矛盾はしていない。だから、自然数の無限和とマイナス12分の1は、当然のことながら、等しくはない。
現実世界においても、多重人格者の一つの人格が犯した犯罪のために、その人格が宿った個体を罰することなんて、法律では許されていないはずだよね、と……」
「はははっ……。純数学の議論に法律のたとえ話を持ち出されちゃ、かえって、こっちが混乱させられちまうな……」
「そうなんですよ。とにかく口だけは達者で、しゃべりだすと機関銃のように次から次へと止まらなくなるし、論点がどんどん右へ左へと展開するので、正直、彼の議論を聞いていると、私もなんだかこの公式を疑いたくなってしまいましたよ」
「ところで、今日の本題はそんなことじゃなかったよね、千穂君」
突然、佐伯教授の顔つきが真剣そのものとなった。
「もっとも、僕たちにあまり話し合う時間は残されていないのだからね……」