第六話 謎と場所 -2-
学校の通学路として使っている見慣れた道をひたすら走る。首を左右に振りながら看板を必死に探していた。勿論の事、今まで幻逝膏文堂などという看板を見た事は一度も無かった。やはり反対方向へと進むべきだっただろうかと思った時、大通りに面して一本の路地がある事に気付いたのだった。まさかこんな狭い道の先に本屋なんてある訳が無いと半信半疑だったが、『気の向くまま、足の進むまま』に抗う事無く入って行く。
昼前という一日でも一番明るい時間帯にも限らず、薄暗い雰囲気で包まれた路地は、今にも妖怪や化け物が現れそうな感じを覚えてしまう。いや、それは流石に大袈裟に言い過ぎてしまったかも知れない。溝鼠くらいが丁度良い感じであろう。
恐る恐る進んで行く真野は、どうしてこんな道に入ってしまったんだろうと後悔の気持ちで一杯になっていた。
(こんな場所にある筈無いじゃないか。一体何を考えてたんだろう俺……引き返そうかな? でも、もう半分以上進んでしまったんだから、このまま通り抜けた方が早いだろうな)
早く路地から出たいという気持ちから早足になっていく。もう出口は目前となっていた。
――そして抜け出す。
薄暗い場所から急に日の差している明るい場所へと出て行った真野は、目の前が一瞬真っ白になった。
「随分と早かったですね。真野くん」
徐々に目が慣れるに連れて見えてくる。そこにはボロボロの本屋があった。入り口の所に男性が立って此方を見ていた。
短髪に眼鏡を掛け、表情はずっと微笑んだままでとても小奇麗な感じの印象を受けた。後ろにあるボロボロの本屋とは似つかわしく無い様に思う程だった。
「う~ん。言った通りだったでしょ? 自分しかこの場所への行き方を知らないんですよ。さぁ、中に入って飲み物でも飲んで下さい。かなり全力で此処まで来て下さったみたいのようですからね」
男性がそう気を使ってしまうもの無理は無かった。何故なら今の季節は真冬である。なのに汗が顔を伝って顎から滴り落ちる程だったのだ。
店の中へと入って行こうとした男性は振り返ると
「どうなされたんです? 早く中へお入り下さい。聞きたい事もあるんじゃないんですか?」
ついボーっとしてしまっていたのは特に何かがあったという訳では無かった。店の状態が想像以上にボロボロだったから衝撃を受けてしまったという訳でも無く、男性が小奇麗で好印象だったから見蕩れてしまっていたという訳でも勿論無い。真野にはそんな趣味なんて無いからである。
本当に辿り着く事が出来た――半信半疑ではあったが、まさか本当に辿り着けるなんて真野自身も信じられなかったからだ。
不思議を紐解くには常識は通用しないという事を身を持って実感した瞬間であった。
開いていた手をギュッと強く握ると、店の中へと入って行った。意外と書籍を取り扱っているという割にはそれ程沢山の書籍で敷き詰められているという感じではなかった。単なる読書愛好家が自分の趣味の範疇で収集した程度の様に見受けられた。
真野が中に入った瞬間の率直な感想は
(この店……やる気あるのか?)
たった一言だか、これがきっと全てにおいて適切な感想と言えるだろう。
店内に入って分かったが、机の上に幾重にも重ねて置かれている書籍もあった。とても綺麗とは程遠い様な場所で小奇麗な格好の男性。
アンバランスにも程があるだろうと言いたくなるところだが、言葉を喉の奥に仕舞い込む。
「これでも一応整頓したんですよ」
突然、男性が背中越しに言った。もしかして心を読めるのかと驚く真野だったが、きっとそれは無い事はすぐに分かった。本当に心が読めるとしたならば店の奥から冷たいお茶が出て来る筈である。しかし男性が手に持っていたのは
「いつでも飲める様に作ってあるんですよ。私の自慢でもありますから飲んでみて下さい」
そう言われて実際に出てきたのは、冬の寒さに凍えながら此処まで来たとしたなら有難いと思えるであろう熱々のコーヒーであった。
(汗を掻いてる人間にホットコーヒー出すなんて嫌がらせかよ……)
幾つかの机が並べられている中に一つだけ書籍も何も置かれていない机があった。コーヒーカップを手に持ったまま、そこへと誘導するように掌を向ける。真野は、男性の行動に従う様に机の近くに置かれた椅子に座ると持っていたコーヒーカップを真野の前に置くと男性も椅子に座ると話し始めた。
「正直な話、真野くんは来て頂けないんじゃないかと思ってたんですよ」
「まぁ……俺も正直に話せば来る気なんて無かったです」
「でも、来てくれました」
「やっぱりどうしても今日起こった事っていうか、多分昨日から起こってた事になると思いますけど……理由が知りたくて」
「う~ん、正確には真野くんが此処に来た木曜から全ては始まってたと言ってしまった方が正しいんでしょうけどね。取り敢えず見て下さい」
男性は、店内を見回させる様に指先を一回転させる仕草をする。入って来た時に既に見回していた店内だったが、改めてぐるりと視線を動かしていく。感想は、相変わらずだった。
真野が全て見回したのを確認すると男性は少し顔を伺わせる様にして言う。
「どうですか? 何か思い出す事は出来ましたでしょうか?」
そう言われても此処に来たのは、正直なところ初めてであった真野は、少し首を傾げるだけが精一杯の表現方法だった。
「やはりそうでしょうね。あの本を読んでしまったなら夢か現実かの境目が分からなくなってしまっていらっしゃるでしょうからね。理想としている自分を思い描いてしまったんですから、都合の悪い記憶なんて無くなるのが一番でしょうね」
「いや、よく意味が分からないんですけど、どういう事なんですか?」
「つまり真野くんは、自分で望んであの本を持ち、理想に描いた自分を手に入れたという事なんですよ。どうでしたか? 夢の中で見た自分は? 普段ではとても考えられない行動を取っていませんでしたか?」
「それは…………」
思い当たる節が幾つかあった。口を閉ざして誰とも話そうとしない真野が、クラスメイト全員の前で堂々とあんな事を言い放ったのだ。男性が言う様に普段ではとても考えられない行動と言えたであろう。
言葉を詰まらせている真野の表情を伺う感じで見ていた男性だったが、急にニコッと笑って言う。
「まぁ兎に角、真野君が此処に来てくれたお陰でこうして面と向かって話す事が出来ている訳ですから本当に良かったです。決して私の方からは真野くんの世界に行く事が出来ませんからね。あくまでも真野くんには自力で来て貰うしか無かったんですから」
男性が言った言葉に疑問を感じてしまう。
「あなたの方から行けないってどういう事なんですか?」
「あっ、やっぱりそこ気になりました? そうですよねぇ。真野くんには気になりますよね。だってさっきまで目に見える物事しか信じられない常識的な世界にいらしたんですからね」
何処と無く嫌味が込められている様に聞こえた真野は、ちょっとムッとしてしまう。
「存在する全ての物は、目に見えているんですから、それは常識として当たり前の考えじゃないですかね? きっと他の誰だって目に見える事しか信じられないと思いますよ」
「へぇ~こういう時は、まるで自分が他の人間と一緒みたいに言われるんですね。同じ括りにされる事を嫌がっていらしたんではなかったんですか? 自分以外の人間なんてみんなクズ同然と思っているんじゃないんですか? それなのにこういう状況になった途端、まるで他の人間と自分が一緒みたいに言うのは少し勝手が良過ぎではないんですかね?」
「別に俺は……」
反論する事が出来なかった。言葉の続きを言う事が出来ないまま黙り込んでしまう。
「あれ? どうされたんですか? 『別に俺は』この続きをどうぞ言って下さいよ。私が言った言葉に間違いがあるのでしたら遠慮なさらずに言って下さって結構ですよ。もし本当に私が間違っていて、真野くんの気分を害してしまっていたなら、ちゃんと謝らせて頂きますので」
「……大丈夫です」
「大丈夫? 何が大丈夫なんですか? 私がした質問に大丈夫と答えられても、それは正解ではありませんよ。ちゃんと答えて下さいよ。言われた言葉が合っているのか、それとも間違っているのかを真野くんの考えてる通りに……いや、考えなくても分かる事ですよね。だって今の今まで自分が他人の事をどういう風に思いながら過ごしてきたのかって事ですからね。自分と同じ様に見てきていたのか。クズそのものと思っていたのか。真野くんの言葉でどうぞ答えて下さい」
優しい口調でありながらも、まるで鋭利なナイフを一本ずつ胸に突き刺されている様な感覚であった。真野は、強く手を握り締め、顔を俯かせていた。
(何で俺はこんな事を言われなくちゃいけないんだ? 他人? そんなの考えた事も無い! 別に俺に対して害が及ばなければどうだって良い事だ! 誰がどうなろうと関係無いじゃないか。人は、所詮一人一人の個体として存在しているんだから、別々に生きていく。それだけの事じゃないのか? 誰かのせいで誰かが巻き込まれる事なんてあっちゃいけないし、誰かの影響で自分を変えるなんて馬鹿馬鹿しいにも程がある。自分は自分なんだ。他の誰でも無い。だから誰だって自分自身が一番大切だし、他人の事よりも自分を一番に優先するものなんだ。けれどこういう時はこんな事を言ってしまえば、また酷く責められてしまう……)
「……違いますよ!」
そう一言放って、顔を上げる。




