第三話 闇と記憶 -3-
『着信あり』
電話が掛かってきていたのだった。先程の鮮やかに光輝いていたイルミネーションは着信パターンがそうなっていただけの事なのだ。所謂初期設定のままだったという事。携帯に疎い真野がそんな設定があるなんて事知る訳も無いのだ。ましてや電話が掛かってくるなんて事、今までに一度も無かったのだった。これがよく言う初体験というものだ。しかし、ここまで必要の無い携帯電話を真野は何故持っているのだろうか? そして母親は何故に持たせているのだろうか? 今は全てが謎に包まれているという事にしておくとしよう。
真野が着信があった事を知らせている画面表示に驚いているとまたしても電話が掛かる。目に入ってきたのは、『川原朱華』という文字だった。
(どうして電話番号を知っているんだ? 俺に何の用事があって掛けてきてるんだ?)
恐る恐る受話ボタンを押す。ゆっくりと携帯電話を耳へとあてる。
「あっ……もしもし。真野くん」
「あぁ……俺、真野だよ」
そんな態々名乗らなくても掛けてきた方は分かってて掛けてきたのだと思うが……
「さっきは突然メールしてごめんね。迷惑だったかな?」
「いや、そんな迷惑だ何て思ってないけど……」
「ところで真野くんがメールで私に質問してきた事なんだけど……メールより電話の方が早いかなって思って掛けちゃったんだけど、今大丈夫だったかな?」
「ん? あぁ、丁度今手が空いたところだから平気だよ」
「そっかぁ。なら良かった! 真野くんってメールだと話し方が変わっちゃうんだね。一瞬、差出人と本文が合ってないんじゃないのかなって思っちゃった」
「あまりメール打つ事に慣れてなくて……変だったかな?」
「ううん! 変とかそういうんじゃなくて真野くんのまた違った一面っていうのかな……昨日話した時も言ったようにイメージがまた変わったって感じかな?」
河原との会話の中で真野は気になった。やはり昨日の記憶が無い事に。
(俺が分かっている記憶の中で河原と話した事なんて一度も無かった筈だ。でも、話の内容を聞いていると昨日、俺は河原と話をしている事になる。しかもイメージが変わる様な話をしていた事になる。それがとても砕けた話だったのか、それとも軽蔑されてしまう様な下品な内容の話をしてしまったのかは分からないが……いや、だがこうして電話で話が出来ているという事はイメージを悪くするような事はしてないと推測するのが正しいだろう。寧ろ電話をする様な仲になれているという事は今まで以上に好感が持てていると言う事じゃないのか? 取り敢えず今は話を合わせつつ、昨日の事を聞き出そう)
「その変わったイメージってどんな風に?」
「えっ! どんな風って…………思ってたよりも面白い人なんだなぁって」
(えぇ! 面白い人って良いのか? 悪いのか?)
「……面白い人かぁ……」
「あっ、だから変な意味じゃないよ。前よりも話し易くなったって事だからね。ずっと教室の真ん中の席から動こうとしないし、誰とも話そうともしなかったから正直もっと暗い性格の人なのかなぁって思ってた。けど、こうして話してみると暗いどころか寧ろ明るく前向きな性格なのかなって」
「前向きな性格っていうのは買い被り過ぎじゃないかな? そんな明るくないよ俺」
「そっかなぁ~。さっきのメールにしても楽しかったよ!」
「楽しかった?」
「うん。ちょっと解読するのに一瞬迷っちゃったけど、すぐに分かったよ」
(え……俺そんな解読しないと分からないようなメール送ったのか?)
「じゃあメールの質問に答えて貰って良いか?」
「良いよ。まず一つ目なんだけど、真野くんが知っているものと私が知っているものとが一緒かどうかは分からないんだけど、基本的には鰹が良く使われているみたいだよ。料理法には色々あるみたいで、獲れたばかりの鮮度が良い物だとそのままお刺身や煮付けなどにして食べられるみたい。あとは乾燥させて焼いたり炙ったりしてお酒のおつまみとしても幅広く食べられてるみたいだよ!」
「……えっ何を言って」
「まさか真野くんが私の好きな食べ物の事を知ってるなんて驚いちゃった」
「ちょっと待て! さっきから何を言ってるんだ? 俺の質問と全く関係無いじゃないか!」
「えっ? えっ? だって腹皮でしょ?」
「腹皮? 何だよそれ?」
「何だよって真野くんが私にメールしてきたんだよ……」
「……ちょっと待っててくれ。一旦切るからまた掛け直す」
半ば強引に電話を切ると妹の部屋へと向かい再び一撃をドアに食らわす。そして先程の遣り取りを経て携帯画面にメールの文章を出して貰うと自分の部屋に戻り、読み直す。
『まず、一つ目に皮腹って俺の知っている皮腹で合っているんですよね?』
(とんでもない程の変換ミスを犯してしまっているぞ! これじゃ鰹の話になってしまったのも頷けるな。まぁ、皮腹を腹皮という風に読んでしまったのは仕方無いとしておこう。だって皮腹という漢字の並びなんて存在しないのだから)
メールの確認が終わると河原に電話を掛け直した。躊躇なく行った事だったが、勿論今まで誰かに電話を掛けるなど無かった。本日二度目の初体験という訳だ。
「あっ、真野くん! 急にどうしちゃったの? 何か用事を思い出しちゃったのかな?」
「いや、ちょっと確認してきた」
「確認? 何を?」
「俺が河原に送ったメールだよ。確かに腹皮という間違いをされても仕方の無い変換ミスを犯してたよ。でも性格には皮腹って送ってたよ。自分の苗字なんだから多少漢字が違っていてもニュアンスで分かってくれても良かったのに……」
「そういう風に打ってたんだ! てっきり漢字から見て鰹の腹皮の事かと思っちゃった」
「いや、思っちゃったじゃなくて普通に初めて送られたメールに鰹の事が書かれていたら疑問に感じるだろう! 何すんなりと受け入れてるんだよ!」
「ごめん……私気付かなかった……」
「あっ……別に怒ってる訳じゃないから落ち込まなくて良いよ! っていうかこんなに話してたら一つ目の質問の意味は無いんだけどな」
「真野くん。本当は私に何を質問したかったの?」
「いや、もう終わった事だから気にしなくて良いよ。既に解決済みになってたから。それじゃ二つ目の質問の答えを聞かせてくれるか?」
「うん、分かった。でも、二つ目こそ解読するのは難解だったよ。でも、何が聞きたいのか分かったから大丈夫! 私あまり交友関係が広い方じゃないんだけど、確かSNSでそんな名前の人にフォローして貰ってたと思うよ。でも一回も話した事は無いから知ってるとは言えないかもね」
「……またか……河原。今度は一体俺はどんな変換ミスを犯してしまっていたんだ? 自分で探すのは大変だから教えて貰って良いか?」
「えっとね……『二つ目にいつ何処で俺のアドルスを知ったのでしょうか?』っていう風に書いてあったけど、これも間違いだったの?」
(アドルスって誰だよ! 俺にはそんなアフロ頭でフレンドリーな話し方をしそうなインターナショナル的な友人なんて居ないぞ! まぁ外見のイメージは俺の勝手な想像に過ぎないんだが……)
「どう考えても入力ミスじゃないか! 何で知らない外国人風の名前ですらも素直に答えてるんだよ……っていうかSNSにそんな人居たのか!! 偶然の産物とはこういう事なのか? まぁ兎に角、明らかな間違いだよ。正確にはアドレスって打ちたかったんだよ」
「あぁ~アドレスだったんだね。流石に変だとは思ったんだけど、逆に間違いを指摘して真野くんが心を痛めてしまったらどうしようかと思っちゃって……」
「俺はそんなナイーブじゃねぇよ! 寧ろ間違いを指摘されずに答えられた方が恥ずかしくて堪らないよ!」
「じゃあ今度からは間違ったメールを送ってきたら、どんどん指摘するね!」
「もう俺は二度とメールを打たないぞ! こんなの恥さらしの何者でもない!」
正直な所、真野は顔から火が出そうな程恥ずかしかったのだった。変換ミスに続き入力ミスまでも犯してしまうなんて今までのイメージが崩壊していく音が聞こえてきそうだった。最初に河原が言っていたイメージが面白いって言われてしまった事にも頷けた。確かにこの世の中に間違えようとしても間違える事の無いようなミスだ。それを平気な顔をして読み直しまで行った結果、赤っ恥を掻く羽目になってしまったのだ。出来る事なら今すぐにでも電話を切ってベットの中へと潜り込んでしまいたい程だったであろう。