第二十三話 雪と現実 -7-
暫く机を囲んで他愛も無い会話をしていたが、真野はある事をふと思い出した。
「そういえばクリスマスパーティーで何をやるのか全く決めて無かったよな。河原は何か考えてるのか?」
「うん……プレゼント交換はしたいなって思ったんだぁ」
「プレゼント交換か。限度額を決めてそれぞれで買って来て貰えば良いかな。それなら確かに今回のやる理由である思い出にもなるしな」
「そうだね。あと、私実はクリスマスってやった事無いからそういう事に憧れがあってね」
「今まで一回もか? だから突然やろうなんて言い出したんだな。そっか! それならより楽しいパーティーにしないとな」
「うん……有難う」
楽しい話をしている筈なのに河原は何処か寂しそうに笑った。しかし、全てが解決出来た事に浮かれていた真野はその笑顔に気付く事が出来なかった。
幻逝膏文堂のカウンター奥の壁に掛けられている時計を見た真野は
「そういえば何も言わずに早朝から家を出てきてしまったから、もしかしたら妹の奴が騒いでるかも知れない。本屋さんにはご迷惑をお掛けしました。また改めて此処に来ますので。河原はまた明日学校でな。それまでにはクリスマスパーティーについてもう少し考えておくからな。それじゃ今日はこれで」
椅子から立ち上がると片手を挙げたままドアから出て行った。真野が帰ると本屋が小さな声で言った。
「本当に良いんでしょうか? 真野くんきっと悲しみますよ」
「悲しんでくれますかね私の事で。こうする以外に真野くんを助けてあげられなかったから私は良かったと思っています。願いを叶える事は出来なかったですけど、もしかしたらこうして誰かと他愛もない話をしてみたかったのかも知れません。仲の良い友達のように真野くんと話してみたかったんだと思うんです……」
「そうですか。河原さんがそう考えているなら私は何も言えませんからね」
優しく微笑んだ本屋は窓際まで行くと、外を見ながら思い耽ったように呟くのだった。
「もう五年になるのですね。君が此処に来てから……」
「……そんなになるんですね」
家に向かって歩いて帰っていた真野は、本屋の言葉を思い出していた。当たり前のようにある思い出の中に本当は存在しない記憶がある事について考えていたのだった。
(あれは一体何の事なんだろう……でも、本を手に入れてからだとするなら特に何も無い様な気がする。強いて言うならクリスマスパーティーの話自体が無かったって事なのだろうか? いや、それなら河原があんなに楽しみにしている訳が無いし……まさか、家族の事だったりして……この二日間で母さんや愛実と過ごした時間が本当は作られたものだったとしたら……)
突然、走り始める真野。家に向かって急いで帰って行く。玄関のドアを開けて家の中に入って行くと、そこには丁度母親の姿があった。真野は徐に質問をぶつけた。
「母さん! 昨日いや、この二日間俺とした会話覚えてる?」
「急にどうしたの? 朝から居なくなってると思ったら突然帰って来てそんな事聞くなんて?」
「良いから答えてよ!」
少し困ったような表情をしたが、すぐに笑顔になって答えてくれる。
「昨日の夜はちゃんと食器を水に浸けてくれてて有難う。お陰で洗い物が楽だったわよ」
「う、うん。なら良かったよ」
その答えで昨日の母親とした会話が実際にあった事だと分かると、今度は二階へと上がって行くと、何時ものように一撃ノックをする事も無く愛実の部屋へと入って行った。
「ちょっと! ノックもしないで入って来るなんて驚いちゃったじゃん!」
「愛実! 昨日の事なんだけど――」
「あっ! そうそう、何で私をベットに残して朝早くから出掛けて行っちゃったの? 起きてお兄ちゃんの姿が無かったから凄く不安だったんだからね……うぅ……」
「あぁ……ごめん。ちょっと朝早くから出掛けないといけない用事があって愛実を起こすのは可哀想だったから、そのまま出掛けちゃったんだよ」
「なら書置きとか残してくれれば良かったのに……」
「ごめんな」
愛実には質問をする必要は無かった。今朝の事を口にしているって事は昨日一緒に寝た事や色んな遣り取りがあったという事が証明されたからだった。
特に何一つ変化があるように思えなかった真野は少し安心した。よく思い返してみると、『気付かないで過ごしていけるように願っている』とも言っていた。なら、気付く事も無いくらい些細な事なのではないかと真野は思った。それ程、重要な事で無いと感じた真野は不安だった気持ちが消えていったのだった。
今居るみんなが存在してくれているなら、それだけで自分は幸せだと思えていた。ずっと前ならそんな幸せを幸せとも感じる事は出来なかったであろう。当たり前の日常を当たり前に過ごしていける事がこんなにも掛け替えないものだという事に気付けた事が真野が変わる事が出来た証といえてしまう。
次の日になり学校に向かっている真野はちょっと眠たそうな面持ちをしていた。何故なら昨日の夜遅くまで河原との約束通りクリスマスパーティーの事を考えていたからであった。今まで出来ないままで居たなら、今年はきっと最高のクリスマスにするべきだと考えていた。しかし、教室に入った真野は、違和感を感じてしまう。何かが足りないような気がしたのだった。
これまで話した事の無いクラスに居る女子に話し掛ける。
「なぁ、河原はまだ来てないの?」
「えっ、誰の事を言ってるの? 河原なんて人、このクラスには居ないよ」
「何言ってんだよ。河原だよ。いつも大人しくて俯いてばかりの女の子だよ」
「だから居ないってばぁ。連休中に何か不思議な夢でも見てたんじゃないの?」
「そ、そんな訳無いだろ……今まで一緒にこのクラスに居たじゃないか……嘘だろ……」
驚愕の事実を目の当たりにした真野は、足を後ろに下げると向きを変え、教室を飛び出して行った。
(まさか本屋さんが言っていた自分勝手な記憶というのは河原の事だったのか? いや、だって本を手に入れる前から河原は俺と一緒のクラスに――)
真野は、自分の中にある連休前の記憶を辿っていく。教室にある真ん中の席から斜め前にある席にいつも河原が座っていて、その背中がいつでも視界の中に入っていた事を思い出していくと、気付いてしまったのである。そんな女の子の背中を見ていた事なんて無かった事に。
学校の校門を抜けると、家へと向かう道を必死に走って行く。そして道路横にある路地へと入って行き、抜けた場所には何も無かった。荒れ果てた空き地が広がっていたのだった。一体何が起こってしまったのだろうかと心の中にはぽっかりとした穴が空いてしまっていた。
「こんな事って……俺が助かったと同時に河原も助かったんじゃないのかよ……本屋さんは嘘をついたんだ。河原も俺に隠し事をしていた。二人してやっぱり俺の事を騙したんじゃないかよ! 信じたのに……漸く人の事を信じられるようになったのに……それなのに騙すなんて酷いじゃないか……居なくなるなら俺も一緒じゃないといけないじゃないか……全部俺のせいで起こってしまった事なのに、どうしてそんな俺が此処に居るんだよ……」
全てが終わってやっと真野は分かった。昨日三人で話していた時に、本屋と河原が話していた意味を理解する事が出来たのだった。
あの日、幻逝膏文堂に勝手に入り込み本棚から持って帰った本は、あの窓際に座っていた女の子の本であった。つまり河原の本であった。一つの本を別の誰かが読む事はいけない事だった。しかし真野が勝手に持ち帰り、読んでしまった事で深部まで本の中に入り込んでしまっていた河原が一番の影響を受けてしまったのだった。そのせいで存在していた筈の河原自身の存在が消えてしまったのだ。もし、あのまま真野が記憶を蘇らせずにいたならば一緒に消えてしまう羽目になるところだった。既に河原が助かる方法は皆無に等しかったという事である。真野だけを救った河原は、全てを本の中へと取り込まれてしまい、存在を無くした。本屋はそうなる事を知っていた。知っていたから真野に話すとしたのだが、河原に止められてしまっていたのだ。全てを知ってしまえば真野が折角、自分自身を取り戻したばかりなのに再び自分自身を責めて、嫌いになってしまうと感じたからである。
地面に膝をついて顔を俯かせながら涙を流していた。乾き切った土に真野の涙が落ちていった。誰かの為にここまで自分が涙を流してしまうなんて不思議であったが、それを感じさせない程にとても悲しかった。河原が自分の為にしてくれた事を考えると胸が苦しかった。
すると頬に冷たいものが当たった事に気付く。ふと見上げると空から雪が降り注いでいたのだった。そして視線をゆっくりと落としていくと、幻逝膏文堂があった場所に一冊の本がある事に気付く。立ち上がり本があるところまで歩いて行く。真っ白な表紙をしたその本の間には一枚の紙が飛び出すように挟まれていた。その紙を引き抜く様に取ると開いて中を見る。
『これを読んでいるという事は気付いてしまった訳ですね。本当なら真野くんの事を責めないといけないところなんですが、河原さんの気持ちを優先したいと思います。確かに真野くんのやってしまった事でこうなってしまいました。落ち込むのは勝手です。ですが、どうして河原さんが助けてくれたのか考えてみて下さい。決して後悔をして自分を責める事をして欲しいなんて思っていませんよ。その答えは自分の中にあると思いますので、よく考えてみて下さい。あと河原さんから伝言です。私が存在していた事を覚えてくれて有難う! だそです。ところで真野くんはもう一つ河原さんにお礼を言わなければいけないのですよ。それはきっと真野くん自身の記憶の中にあると思います。ヒントは雪道で聞こえた声です。では、今後の真野くんが自分らしく生きていける事を願っています』
読み終わった紙を折り畳むと、ポケットの中に入れて立ち上がる。
「そっか……そうだったんだ! やっぱりあの時の声は本当に聞こえてきてたんだ。しかも声の持ち主が河原だったなんて……俺はどうやって河原に恩返しをすれば良いんだ? 有難う河原。君が存在していた事は俺が一番知っているんだからずっと忘れずにいるよ……ずっとね」




