第二十二話 雪と現実 -6-
「突然大きな声を出してしまってごめんなさい……でも、真野くんも反省している事ですし、これくらいで今回の事は許してあげて貰えませんか? 確かにドアが開いていたからって勝手にお店の中に入って良いとは言えませんけど、本屋さんだってちゃんと戸締りをしておけば今回の事は起こらなかったと思いますよ。だからみんな何かしらの手違いをしてしまった為に起こった出来事として今後気を付ける形で良いと思います」
本屋は、複雑そうな表情を浮かべ何も言わずにメガネの眉間部分を左手の中指で押さえながら考え始める。そのまま顔を上げる事無く言った。
「本当にそれで河原さんは良いんですか?」
「はい。私の願いはもう充分叶えられましたので望む事なんてありませんから」
「ですが、それでは――」
「それ以上の事は言わないで下さい。自分でも分かっている事ですから」
「う~ん……」
再び口を閉ざしてしまった本屋だった。そんな状況を見ていた真野は二人が何を話しているのかさっぱり理解出来ずにいた。河原が真野の事を庇ってくれたのは此処に来て、既に二回目であった。だが、一体何について庇ってくれているのか分からずにいた真野は質問をぶつける。
「あの、済みませんが、さっきから時々二人の話している内容についていけない時があるんですけど、俺にも分かるように説明して貰えますか?」
「真野くん、それはですね――」
「大丈夫だよ! 真野くんは分からなくても良いの。これは本屋さんと私の話だから気にしないで良いから」
河原は何か知られたくない事を隠しているようだった。ずっと真野に対して本屋が話している間、顔を俯かせて黙って聞いているだけだったのに本屋が何かの話題を話し始めると必ずと言っていい程、話を遮ってしまうのだった。
(絶対可笑しい……いつも大人しい筈の河原がこれ以上無いまでに必死に取り繕おうとしてるのがバレバレじゃないか。本屋さんはさっきから一体何を言おうとしているのだろう?)
それぞれが今にも喉から飛び出してしまいそうな言葉を必死に堪えているように感じた。とても大切な事の筈なのに言う事を躊躇っているようだった。だが、それは本屋と河原に対して言える事であって、真野自身は疑問しか無かった。
三人で机を囲んで話している筈なのにまるで自分だけ知らされていない事があり、一人だけ取り残されてしまっているような感じがした。
誰一人として目も合わさない、合わせられない時間がただ流れていった。それはほんの数分とも思えたし、数時間だったのかも知れなかったが、きっと正式に述べるなら十数分程度のものであっただろう。ただ、それくらいに思えてしまう程この場が動きを止めてしまっていたのだった。するとずっと考え込んでいた本屋が顔を上げると、いつもの表情をして口を開いた。
「まぁ、取り敢えず真野くんの失った記憶は完全と言っていい程、蘇らせる事が出来た訳なんですが、唯一作られた自分勝手な記憶が残ったままになっているんです。真野くんは、それが何なのかお分かりになられますでしょうか?」
(自分勝手な記憶って全て事実なんじゃねぇのか? 今まで当たり前のように俺の目の前にあると思っていた事が俺自身が作り出した勝手な記憶って事なのか? でも、そんなものなんてある筈無い……そう俺自身は感じているが、違うのか? 今あるこの記憶の中に本当に偽りがあるのか?)
戸惑いを隠すように右手で口を覆うと目を泳がせながら考える。しかし思い当たる事など有る訳が無いのだ。自分自身が接してきたものに嘘があるとは思えなかった、信じられなかったからである。
考えても見付けられる筈も無い真野は、恐る恐る質問を投げ掛けた。
「自分勝手な記憶って本当にあるんですか? だってちゃんと覚えているんですよ全部」
「う~ん。それは最初に見た夢にだって言えた事じゃないですか? まぁあの場合は逆だったんですけどね。本来なら曖昧でも良かった夢の記憶が鮮明に記憶されていて、それが実際にも起こっていた。今回は鮮明に覚えているというところは全く一緒なのですが、実際には起こっていなかった……無かったという事ですかね。別にこれに関してはずっとそう思って居られるなら良い事ですから、無理に何が間違いなのかを態々見付ける必要は無いんですけどね。しかし、まぁ態々見付けなくても気付いてしまうかも知れませんがね。ふとした時に気付くんですよ。元々起こりもしなかったし、何も無かった事実にね。ただ、私は真野くんを苛めたい訳では無いので今が幸せと感じていらっしゃるなら気付かないで過ごしていける事を心より願っていますよ」
相変わらず言っている言葉の意味を理解出来ずにいた。考えてみれば本屋が話す言葉には元からそう話してしまう癖なのか、ワザとそんな風に話してしまう癖なのかは分からないが、決して確信に対して断言する事はしなかった。
よく真野が本屋に対して全てを知られているような印象を受けてしまっているが、こういう曖昧な話し方をするからこそ相手にそんな風に思わせてしまっているのかも知れない。あくまでも推測に過ぎないが、本屋は正直なところそういう言葉を使うのが上手いだけであって全く何も知らないのかも知れないと今ではそう思えるのだった。
すっかり緊迫していた空気は嘘の様に消え去ってしまっていた。本屋もいつも通りの笑顔を浮かべ、河原は俯いていた顔をいつの間にか二人の方に向けていた。けど、真野にはまだ考えなければいけない事があった。河原の問題が未だ解決されていないままだったからである。
「兎に角、俺の中にある勝手な記憶がある事で何も問題は起きないとするなら、俺自身は解決で良いんですよね? じゃあ今度は俺のせいで巻き込まれてしまった河原を何とかしてあげないといけないんじゃ……」
ただ一人緊張を解く事の出来ない表情を浮かべながら本屋に質問を投げ掛けると、唖然とした様子で答えた。
「う~~ん。その事を考えていたんですか? それはですね……真野君が記憶をちゃんと蘇らせる事が出来た瞬間に解決済みとなりました。本当に真野くんのお陰で河原さんだけじゃなく私までもこうして付き合わされる羽目になり、巻き込まれた感じになってしまいました。反省して今度からこういう事が起こらないように気を付けないといけませんからね。因みに今回の仕事料と致しまして真野くんには幻逝膏文堂にある本を買い取って貰いますから」
「そんな! これだけの沢山の本なんて買い取れません! っていうか、ただ売れ残りを処分したいだけなんじゃないんですか?」
「真野くん、そんな事言ったら本屋さんに失礼だよ! それでなくても此処にはお客さんなんて滅多に来ないんだから売れ残りって言うより、ただの残りみたいなものなんだから!」
「いや河原……俺の言葉に対して注意するよりもお前の言っている事の方がよっぽど酷い事を言っていると思うんだけど……ほら、本屋さん拗ねちゃったじゃん!」
店の隅っこの方で陰を背負いながら蹲っている本屋の姿は誰が見ても精神のどん底へと突き落とされて意気消沈してしまっていた。
「まぁまぁ、きっとそのうちお客さんも来る様になりますよ。今はまだ誰も知らないから、こういう状態ですけど……そうだ! チラシを作ってばら撒けばきっと!」
「でも、一体何の本かも分からない意味不明な本ばかりじゃ。誰も買ってくれない気がする」
「だから河原はどうしてそんな本屋さんを落ち込ませる事ばかり言うんだよ! ああ~本屋さん、窓から飛び降りようとしないで下さい! 因みに此処は1階ですから飛び降りても死ねないですよ。精々擦り剥く程度が限度です」
さっきまでの雰囲気とは違い和やかな会話が飛び交っていた。人を嫌い、疎い、自分さえも必要無い存在だと思い続けていた真野が乗り越える事が出来た証であろう。しかし、全てが解決したように見えるが、疑問は残ったままであった。




