第十八話 雪と現実 -2-
どうしてそこに居るのか疑問に感じて、ついその場に立ち止まっていると後ろから入って来た本屋が真野の背中を軽く押しながら言った。
「まさか河原さんが居るなんて思わなかった! っていう風な顔をしていますよ真野くん。別に驚く事はありませんよ。だって河原さんも真野くんの出来事について無関係では無いのですから。私は元々二人に話をするつもりで居ましたよ。だから河原さんが此処に居るというのは凄く当たり前の事なんですよ。でも、まぁ真野くんにとっては意外だったかも知れませんね。だって知らなかった訳ですからね。即ちもう一つのたまたまって事になりますね」
「か、河原にも関係があるって一体どういう事なんですか? 俺一人が勝手に見た『幻実世界』じゃ無いんですか?」
「う~ん。真野くんの仰る通り、勝手に見た世界って事には変わり無いですよ。本を開いた人間が思っている事を現実にするのが『幻実世界』なんですから。しかし、じゃあ同じ様な『幻実世界』を別の人間も見ていたとしたら、どうなると思います?」
「えっ! まさかそれって――」
「まさにそういう事なんですよ。真野くんも頭の回転が良くなってきたみたいですね。つまり、真野くんが見ていた『幻実世界』の中に居た河原さんも自分が望む『幻実世界』として見ていたと事になりますね。だから河原さんもこの場に一緒に居て私の話を聞いて貰わないと困るんですよ。これで状況は理解して頂けましたかね真野くん」
「……そんな……河原も望んで俺と同じ夢を見ていたなんて……」
「いいえ。河原さんが真野くんと同じ夢を見たいと望んだのでは無く、たまたま望んだ『幻実世界』が同じになってしまっただけですよ。あっでも、もしかしたら真野くんが言った事の逆なのかも知れませんね。元々河原さんが望んだ『幻実世界』なのに真野くんも同じ様に望んでしまったという方が正しいのかも知れません。まぁ、それは後々話すとしまして、今回真野くんが見てしまった『幻実世界』というものがどういうものものなのかを説明したいと思います。ここで真野くんに質問です。まぁ簡単な間違い探しみたいなものです。この『幻実世界』というものは現実として過ごしていたならば問題は起こらないんですが、『幻実世界』として関わってしまう事で問題が起きてしまう訳なんですよ。この違いってどういうものか分かりますかね?」
そう疑問を投げ掛けながら河原の前に置いてある椅子に腰を下ろすと真野にも座る様に河原の隣の椅子に手を差し出した。本屋からの質問の内容がよく理解出来ずに居た真野は困惑の表情を浮かべながら差し出された椅子へと腰を下ろすのだった。
「違いって言われても……あの教室に居た全員はちゃんと実際にあった事として記憶されている訳ですよね?」
「う~ん。『幻実世界』は実際に現実に起こってしまう夢だからね。みんなちゃんとあのホームルームで起こった事は知っているし、実際にその場に居合わせてたよ」
「じゃあ……違いって……」
「それは本を読んでいた間に起こった出来事ですからその間の自分が何をしていたかだと思います」
悩む真野を助けるかのように河原が言った。だが、それはあくまでも答えでは無かった。まるで真野自身の口から答えを言わせる為の遠回しな言い方であった。
「本を読んでいた間って……でも、実際には書いてある文字なんて読める筈も無く、訳が分からなかっただけだったし……ただ気付いた時には本は顔の傍にあって……俺は寝ていた」
「つまりそういう事ですよ! 寝ている間に見るのが夢ですよね。あの本が顔の傍にあった。しかし、正確に言えば顔では無く、脳内へと影響を齎す為に頭の傍にあったと答えるのが正解なんですが、此処はまぁそういう答えで良いとしておきましょう。では、真野くんは寝て夢の中で起きた事と把握していた訳ですよね。っという事は河原さんも――」
「同じ様に寝ていた時に見ていた夢の中で体験した事」
「う~ん。今回の答えは満点で良いでしょうね。あと補足ではありますが、真野くんが幻逝膏文堂から怒って帰ってしまった後に見た『幻実世界』の時、私はちゃんと起きたままの状態で真野くんの夢の中に登場しましたけど、その時河原さんは寝てしまっていましたからね。同じ世界を同じ様に過ごしてしまった代償は大きいですよ。何せ一つの『幻実世界』でも厄介なのに一つの中に二つの意思が存在するなんて異例中の異例ですから。まぁ、そういう大問題という事もありまして、真野くんと河原さんがこんな早朝に私の話を聞く為に此処に居る訳なんですよ」
異例中の異例とか大問題と話す本屋だったが、その様子は何処か生き生きとしているように見えてしまうのだった。その様子に何処と無く苛立ちを覚えた真野は言う。
「本屋さん。何かこの状況を楽しんでませんか? さっきから話を聞いてると俺達を助ける為に呼んだというより、起こってしまった出来事に対して俺達を責めているように聞こえるんですが」
「あっ、そんな風に聞こえてしまったなら申し訳ありませんでした。私とした事がそんな誤解をさせてしまうだなんてね」
「いえいえ、俺の勘違いでした。何か済みませんでした」
「う~ん。謝らなくても宜しいですよ。私があまりにも気を使い過ぎてしまった為に、遠回しに言ってしまったのがいけなかったのですから」
「遠回しって?」
真野と本屋が言葉を交わしている横で河原は、さっきの一言以外は何も言わなかった。ずっと黙り続けている表情からは寧ろ言えないという雰囲気すらも感じられた。
「遠回しという意味は、此方に疾しい気持ちがあり、それをなかなか相手に対して言う事が出来ないで居る状況と相手がショックを受けてしまう事に気を使って率直な言葉を言えずに居る状況の二つに分けられると思うんですよ」
「えっと……別に遠回しという言葉の意味を知らなくて、説明を求めた訳じゃないんですが……」
「う~ん。いえいえ、そんな事は分かっていますよ。これから話す為の前フリみたいなものですよ。っと言っているこの状況がまさに遠回しをしている事になるんですけどね。さっきは、真野くんと河原さんを同じ一つの事とするように言いましたけど、実はこんな出来事が起こってしまった原因は真野くんに全てあるんですよ。河原さんはどっちかと言えば巻き込まれてしまった被害者と言っても良いでしょう」
「全て俺が原因だって……まぁ最初からこの事については俺が起こした事だとは思っていたから別にそこに対しては反論は無いですけど、河原が巻き込まれたっていうのはどういう事なんですか? だって河原はただ俺と同じ『幻実世界』に居たっていうだけじゃないですか? しかも同じ様に眠っていたからってそれが俺のせいになるなんて可笑しくないですか?」
「全然可笑しくなんて無いですよ。全くと言って良い程に可笑しな事なんてありません」
「じゃあ俺が河原を無理矢理眠らせて『幻実世界』に引き摺り込んだとでも言うんですか? どう考えても俺にそんな事が出来る筈無いじゃないですか?」
「何故そんな事は無いと言い切れてしまうのでしょうか? もしかしたら不思議な力を持っていて人間の意識を引き込む事が出来るかも知れないじゃないですか?」
「えっ……まさか本当にそんな力が俺の中に?」
「いえ、ある訳無いですよ! だって、真野くんは普通の人間なんですから、突然超次元の能力に目覚める事なんてある筈が無いじゃないですか」
「言ってる意味が訳が分からないですよ! 俺に不思議な力があるみたいな言い方をしたかと思ったら、急に否定し始める。本屋さんは俺の事をからかってるんですか?」
「そんなに機嫌を悪くしないで下さいよ。ただ可能性の話をしただけですよ。でも、自分は普通の人間だから誰にも迷惑を掛けて居ないと必ずしも言い切れないと言っているのです。何気無くネット上でもよく書かれているような『今日も凄く幸せな一日だったなぁ』という文章一つ取ってみても人を傷付けるには充分過ぎるんですよ。もし、そんな文章を何万キロ離れた場所で監禁されて自由を奪われている人が見たとしたなら、何気無く見過ごせると思いますか? いいえ、きっと見過ごせないでしょうね。こんなにも不幸な自分とは真逆な事を言っている人間が居るなんて想像しただけで絶望してしまうかも知れませんよね。そして下手をすれば自殺を考えてしまうかも……はたまたその人の事を嫉妬して嫉んでしまい、恨みを買ってしまう可能性だって否定は出来ないんですよ。遠く離れていようとも傷付ける時は傷付けてしまうものなんです。人間なんて生きているだけで誰かに迷惑を掛けている生き物なんですからね。『人畜無害』なんて言葉は私に言わせて頂けるなら、ただの理想を語っているようにしか聞こえません。おっと、関係無いような事まで言ってしまいましたね。どうしても私はお喋りが好きなせいか、ついつい話し過ぎてしまう癖があるみたいですね。いけないです。世界ではそんな事が起こってしまうだって有り得るのですから真野くんが自分自身のせいで起こった出来事なのだから自分一人しか迷惑が掛かっていない、巻き込まれていないというのはあまりにも自分勝手な考えだとは思いませんか? しかもそれを当たり前の様に思っていたというのが更に良くないですね。元々真野くんの自分勝手な理想がこんな事態を招いてしまったのですよ。少しは反省したらどうなんです?」
「そ、そんな大きな事を言われてしまうと本当に俺が悪いのかなって思えてしまいます。でも、別に僕は悪気があってやった訳じゃ――」
「悪気が無いならそれは罪にならないと仰るんですか? 自分は巻き込んでしまった事を知らなかったから。巻き込むつもりは無かったから。そうやって言い訳ばかりして現実から逃げるつもりなんですかね? 逃がしませんよ。不幸な目に遭ったのは自分だけだと被害妄想に浸るのもいい加減にして貰いたいですね。自分が犯した罪なんですから、ちゃんと償って貰わないと」
罪悪感を煽るような本屋の言葉で真野は一切言葉を言う事が出来なくなってしまった。本当に自分がそんな事を犯してしまったのだろうか。河原に対して大変な事に巻き込んでしまったのかと自分自身を責め始めるのだった。
(河原までも俺のせいで……気が付かないうちにとんでもない事をしてしまってたんだ……何も気にせずにただ此処にくれば全て解決出来ると思っていた……助けて貰えると思っていた。けど、本当に助けてあげないといけないのは河原だったんだ……でも、一体どうすれば巻き込まれた側の河原を助けてあげる事が出来るんだろう? 俺は……俺はどうなっても良いから河原だけは助けてあげたい……)
真野は河原の為なら自分が犠牲になってしまっても構わないと思った。それはつい数日前まで当たり前の様に考えていた事とは違っていた。人が傷付こうが悲しもうが他人は他人なんだから自分には関係無いのだから、想ったり考えたりする事なんて馬鹿げているという考えは今の真野には無かった。
ただ辛そうに歯を食い縛りながら俯いて必死に考えようとしていた。実際どうしてそんな事になってしまったのかという事実を把握出来ていない状態ではあったが、目の前で河原が苦しんでしまっている。しかもその苦しみを与えてしまったのが、自分だという状況に真野は思い悩んでいたのだった。




