第十三話 光と過去 -1-
階段を下りている間には何も疑問に感じなかったが、一階に下り切ったところで真野はある事に気付いた。全ての部屋の明かりは消されていたが、唯一リビングの部屋だけは明かりが点いたままになっていた。勿論さっきまで下りていた階段の明かりも点いていた。その状態はまるで真野がいつ起きてきて、リビングにある食事までの経路を行き易いようにしている様に感じられたのだった。しかし、すぐに疑問は解決した。きっと妹が自分の部屋へと戻る際、消し忘れてしまっていたのだと安易に考えを纏めた。
明かりが点いたままのリビングへとやって来た真野は、テーブルの上にあるおかずを手に取ると若干温もりを感じたが、迷わずレンジの中に入れてダイヤルを回す。その間にひっくり返して置かれていた茶碗を持つと、保温になっている炊飯器から御飯を盛り始める。
するとその音に気付いたのか母親が隣の部屋からやって来た。ダイニングの明かりを若干眩しそうにしている様子を見ると寝ていたのを態々起きて来た感じだった。
「……起きたの?」
「別に寝てたなら起きて来なくても良いのに」
「でも、それじゃ折角の御飯が美味しく食べれないじゃない。一人で食べる御飯ほど寂しい事は無いんだからね」
「同じ家の中に居る事は知ってるんだから一人きりだなんて思わないけどな」
御飯を盛った茶碗をテーブルの上に置くと椅子に腰を下ろした。
「家族なんだから顔を見合わせて話しながら食べるのが食事っていうものよ。同じ家に居ても壁で仕切られちゃったら相手がどんな事を考えているのか、今どんな思いをしているのかに気付いてあげられないじゃない。お母さんは息子や娘が一人ぼっちで困ったり悩んだりして欲しくないの。何だって良いのよ。些細で小さな事だって構わないんだから。お母さんはあなた達を一人ぼっちになんてさせたりしないんだから」
(息子か……)
心の中でひっそりと呟く様に思うと言った。
「母さん寝起きで一体どうしちゃったんだよ。別に俺もあいつも悩んだりなんかしてないんだからさ。変に気を使わなくて良いよ」
レンジがチンッと音を立てて止まると、母親が中からおかずを取り出して真野が座る場所の前に置いた。そして真野が座る向かいの椅子に腰を掛ける
「気を使っている訳じゃないのよ。こうして子供の事を考えて、想う事がきっと母親としての愛情表現なんだと思うわ。だってそんな風に考えたり出来る事や、心配出来たりする事がとても幸せに感じちゃんだもの。だからこんな言葉を言える事自体、凄く嬉しく思えてしまうの」
「ふぅ~ん。人の事を考えたり悩んだりするのが幸せだなんて何か変だよそれ。誰だって自分を一番に大切だと思っているんだから、そんな風に考えたって相手が同じ様に考えてくれるとは限らないんだよ。そんな一方通行の心配をしたって自分自身に何の得も生まれないんだからさ」
「うふふっ」
思ったままに意見を言った真野だったが、母親は急に笑い出してしまう。少しムッとした真野は母親に言った。
「何が可笑しいの? 俺、変な事でも言ったかな?」
「ううん。変な事なんて全然言ってないよ」
「じゃあ何で笑うんだよ!」
「だって、どうしてそんな意見になっちゃうのかなって思ってね」
「俺の方こそ母さんが言っている事が理解出来ないよ。人の為にそんな無駄な気を使うだなんて馬鹿げているよ。だから母さんはいつも損ばかりしてるんだよ」
「そっかぁ……確かにお母さん損ばかりしちゃってるかもね。うふふっ」
「だから何がそんなに可笑しいんだよ!」
「ううん、何も可笑しくなんて無いわよ。ただ、お母さんは思うの。損をする事がそんなにいけない事なのかなぁって。相手の事を想う事がそんなにいけない事なのかなぁってね。奏太から見たらお母さんは損ばかりしているように見えているのかも知れないけど、損をしたなんて感じた事は一度も無いのよ。どちらかと言うと、得してる気分になれる時の方が多いと思えるくらいよ。じゃあ今度は、お母さんから奏太に質問だけど相手の事を想ったり考えたりする事でどんな損をしていると思うの?」
「だからそういう考えをしている時点で損をしているって言うんだよ。得るものが何も無いじゃないか。想ったら想った分だけ、考えたら考えた分だけの何かが返って来る訳じゃないじゃないか。想えば想う程、考えれば考える程に損している様にしか見えないし感じないんだよ。人なんて自分自身の事だけ気にしていれば良いんだ。他人に関わろうとするから面倒な事に巻き込まれてしまうんだから」
「別に面倒な事に巻き込まれたって良いじゃない」
「全然良くないよ! どうして巻き込まれる事が良いと思えるのさ? 人だよ? 他人なんだよ! 自分以外のどうでも良い存在なんだよ!」
「だから奏太は、人の痛みを分かってあげられないんじゃないのかな? 他人だろうと何であろうと自分と同じ人間なのよ? 食べ物が無いとお腹が空くし、飲み物が無いと喉が渇いてしまう。怪我をしたら痛いし、酷い事を言われたら悲しくて涙を流してしまう。全部奏太にも分かる事でしょ? これは人間だけじゃなく生きている誰もが同じ様に感じる事なのよ。分かってあげる事で分かって貰う事にも繋がっていくし、今の嫌いという気持ちをほんの少しだけでも好きっていう風に想う事が出来ればきっと周りの人達も今よりもっと奏太の事を好きになってくれる筈なんだから。想う事で相手にも想って貰えるようになるんだよ。必ずしも全部が全部思う通りになるとは限らないけど、最初から諦めるなんて凄く寂しい事だと思う。お母さんは奏太の事をずっと育ててきたし、見てきたから分かる。本当は誰よりも人の事が大好きで優しい心を持っているって事。だから余計に人から嫌われる事を一番に恐れているんだと思うの。それはお母さんだってそうだもの。こんなにも大好きな人から嫌われてしまったらどうしようとか、優しくしても冷たくされたらどうしようとか考えちゃうもんね。不安に思う気持ちなんてどうしようも無いもんね。けど、いつまでもそうやって自分の殻に閉じ篭っている訳にはいかないんだし、自分の言葉しか自分自身を表現する事は出来ないんだからね。今は傷付いたって良いじゃない。人から嫌われてしまったって良いじゃないの。そんな事で挫けるような弱い人間には育てて無いんだからね。お母さんの子供なんだから自分の気持ちを隠さないで素直に生きて行って欲しいよ。もうすぐ高校生活も卒業してしまうんだから悔いを残さないようにね」
母親の言葉が届いたのか届いてないのか分からないが、真野は黙って聞いていた。それはただ口に御飯を詰め込み過ぎてしまっていただけかも知れない。若しくはワザと何も喋れない様に詰め込んだのかも知れなかった。
すると母親が急に椅子から立ち上がると
「はい! お母さんが奏太に言いたかった事でしたぁ! また何か疑問や質問等々、あと文句があったらいつでも聞いてあげるからね。それじゃ明日も早く起きて家の事をしないといけないからもう寝ちゃうね。食べた後の食器は流しの中に入れて置いてくれれば良いから。あっ、ちゃんと水には浸けておいてね。明日洗う時に落とすのが大変になっちゃうからね。あと――」
「まだ何かあるの? もうっ大丈夫だから早く寝なよ」
「うふふっ、何も無いわよ。じゃあお休みなさい」
「……うん、お休み」
隣の部屋へと消えて行く母親の姿を見ない様に視線を下に向けた。何故そんな行動を取ってしまったのかは真野自身にも分からなかったが、母親に言われた言葉で胸が痛くなった。
いつだって母親が子供に向ける眼差しには温もりと優しさが溢れていた。それは今の話をしている時も同じと言えただろう。しかし、真野が人に対しての思いを言う度に母親の目の奥がとても悲しそうに見えたのだった。
あんな何とも言えない表情を見たのは初めての事だった。
(母さんが悲しそうに笑っていたのは、俺のせい……だろうな。こんな話をする事なんて最近無かったし、俺も自分の本心をぶつけたのは初めてだった。今まで人と接する事を拒んで会話もロクにしようとはしなかったから、ずっと気付かずにいたけど……人の心を傷付ける事がこんなにも嫌な気持ちになってしまうものなんだ……けど、人間を信じるなんて正直今でも馬鹿な事だと思っている。この世で生きている全ての人間がそうだとまでは言わないし、決め付ける事はしない。だけど、母さんが言ってた様にどれだけの人間が人の事を考え、想う事が出来るんだろうか。きっとそんなに多くは無い筈だ。みんな身勝手な人間なんだから他人の事まで親身になって考えてくれはしない。期待するだけ損をするだけさ……)




