#10
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「タツオ・カガセ、ね。知ってるも何も――」
レイカは思わず眉をひそめる。
タツオ・カガセ教授はカレッジの教職陣において、最若手の層に位置する。担当学科は考古学。海外留学を経験し、当時極東よりも文明的に五歩は先を行っていた留学先にて特別優秀な成績を残し、また学生の頃からいくつもの遺跡の発掘作業に関わった。
齢四十二歳。浅黒い肌に精悍な顔つきの、大柄な男性である。見た目のたくましさとは裏腹の紳士的な態度が、特に女子生徒から人気を集める要因となっている。
教授としては若すぎる年齢も手伝ってか、本人の意識とは関係なく目立つ男である。もちろん、レイカも彼のことはよく知っていた。他でもない、"ヒビキの専攻している学科の教授"として。
「まぁ、いいわ。それで、カガセ教授が何をしたって? 密会?」
「記事の内容を要約すると、『深夜カレッジの一角にて、とある女生徒と密会している姿を目撃された』ってことらしいですけど」
「ああ、例の記事を書いたのあなたじゃないのね」
「あれ、アタシってそういうの書く女に見えます? 心外だなあ。……ま、ゴシップ記事担当ではあるんですけどね。さすがにそういう下世話なのは、ちょっと」
大げさに頬を膨らませる姿は少々胡散臭いと感じられるが、嘘ではないだろう。サワに視線を向けると、彼もはっきりと頷いた。
「該当の記事を書いたのは、ゴシマだね。あんまり身内のことを悪く言いたくはないんだけど、彼はそういう他人の後ろ暗い噂とかが好きらしくて」
「悪意がダダ洩れじゃない。さっき彼女が言ってたけど、全部一緒くたにするにしても、掲載する記事は選んだほうがいいんじゃない?」
「僕も思うことがないわけじゃないから、出来ればそうしたいんだけど、無理なんだ」
「どうして? あなた会長なんでしょ?」
「仕方ないんですよ、アカギリ先輩。サワ先輩は"会長"であっても"編集長"じゃあないんです」
「……それ、何が違うの?」
「たぶん、代表者だけど、"一番偉い"ってわけじゃない、ってこと、だと……」
フウカが下を向いたままそう呟くと、シホはこくりこくりと何度も頷いた。
「だいたいそれであってます。記事にも良し悪しがあるので、通常は最終決定権のようなものを持つ、まぁ、俗に言う一番偉い人、ですね。それを置くものなんですが、ウチのシステムにはそれがないんですよねえ」
「これも会を立ち上げるときに決めたことらしくてね。一人の人間にすべての権限を委ねるのがどうにも公平じゃないということで、例えば掲載の有無が問題になった時は、多数決になる」
「要は、全員に訊くってことよね? 記事を新聞に載せるか否かというのを」
「そういうことだね」
「――例の記事は問題にならなかったわけ?」
「いや、僕のほうで多数決にはかけたんだ。女子生徒の方の名前はボカされていたけど、カガセ教授の方は名指しだったし、さすがに問題があるだろうと思って」
「でも、現に掲載されたんでしょう? それにヒビキが文句を言いに来たわけだし」
「そう、なんだよね。通っちゃったんだ、多数決で。それがまた厄介な話でね……」
サワがところどころ言いよどみながら話した内容を整理するに、どうやらエイキチ・ゴシマという人物は非常に厄介な人物であるらしい。
比較的庶民寄りの会員が多い衆聞会において、ゴシマはもっとも社会的身分の高い家の生まれである。普段はさほど会の方針に口出しをしない彼だが、何か思惑がある時に限り、その身分を利用して好き放題を働くのだという。先の決定には、明らかにゴシマの強い意向が絡んでいるとのことだった。
「――それって要は買収よね。公平じゃないからって採用されたシステムを、そんな風に利用されていたんじゃ世話ないじゃない」
「まったくその通りなんだけど、どうしようもないんだ。ゴシマを除名するにも会議をしなくちゃならないし、そうなったらそうなったで彼は手を打ってくるだろうからね。結局は同じことの繰り返しさ」
「そのゴシマという人が、そこまでして衆聞会にこだわる理由ってなんなのかしらね。普段はそれほど熱心ってわけじゃないんでしょう?」
「そう…… だね。文筆能力は高いけれど、ウチの活動に入れ込んでいるというわけではなさそうかな」
「ふーん」
「あの、そろそろ話を本筋に戻しても?」
シホが苦笑しながらそう言ってようやく、話題が盛大に横道にそれていたことに気づく。
聞く立場のほうがこれでは、ただただ話が長引いてしまう。
「それもそうね。えっと、どこまで話したかしら?」
「カミナさんが、衆聞会に来て、カガセ教授の記事について、『この記事は誰が書いたのか』って言った、ってところまで。だよ」
フウカが袖を引きながら教えてくれる。レイカは軽くうなずき返してから、
「そうだったわね。この際内容については置いておきましょ。……ヒビキはどんな様子だった?」
「あー、なんだかすっごく怒ってましたね。記事を書いた本人のゴシマ先輩が、自分が書いたとは告げずに『その記事がどうかしたか?』って訊いたんです。そしたら――」
「そしたら?」
「余計に興奮して、『こんなデタラメ許せません!』って。そりゃあもう、ビックリするくらいの金切り声で」
(こんなデタラメ、か)
曰く、『カガセ教授はこのようなことをする人ではない』とのこと。
とにかく興奮していたためきちんとした事情は聞けなかったのだが、概ねの主張はそれだった。
自分の専攻している分野の教授。尊敬している相手を貶められて激高する。――考えられなくはない話だが、どうにも"行き過ぎである"とレイカは思うのだ。
(ヒビキはどうして例の記事を、デタラメだと断言したのかしら)
衆聞会に現れたヒビキは、理性的ではなかった。つまり"本気の"感情を露わにしていたのである。
新聞に書かれていた内容は、所詮はただの噂にすぎないものであり、発行部数や購読者の数を鑑みても、影響力はさほど高くはないものと思われる。そんなものに腹を立てたにしては、いささか反応が過剰すぎるのではないか。
その違和をうがって考えてみると、案外と簡単に「それらの想像」に行き着いてしまう。レイカは思わず喉の奥にものが詰まったかのような唸り声を漏らした。いくつかパターンはあるにしろ、そのどれもが"ロクでもない想像"であったからだ。
「どうかしました?」
「あ、いや…… なんでもないわ、ごめんなさい。それで、そのあとはどう対処したの?」
「とりあえずはアタシが宥めましたよ。『記事を書いたのはアナタなんですか?』って何回も噛みつかれましたけど、張本人のゴシマ先輩は何も言わないし、素直に話したら話したで余計に荒れそうだったので、担当者は「不在」ってことにしました」
騒いでいるうちに少しは冷静さを取り戻したのか、ヒビキの声音は徐々に本来の物静かな少女のそれを取り戻していったそうである。ただ、落ち着きを取り戻しても主張は変わらなかった。何をすべきか熟考した上での行動ではなかったらしく、結局「何を求めているのか」「どのような対応をしてほしいのか」ということを一から話し合う結果となったらしい。
「それで結局、在庫は撤去。すでに出回ってるぶんについても、できるだけ回収ってことで決着がつきました」
「回収なんて出来るのかしら?」
「……無理ですね、実際のところは。ウチの新聞って、ほらそこに――」
シホが腰を浮かして指をさすのでそちらを見てみれば、ラウンジの入口付近に置かれている小さな木のロングテーブルの上に、薄い紙片が積まれているのが目に入った。現在ではそれそのものが「大衆紙」という意味を持ち始めた、タブロイド型の新聞紙である。
「許可を取って、ああいうふうに置かせてもらってるんです」
「……全然気づかなかったわ」
「アカギリ先輩って、興味が無いことにはとことん興味ない人なんですねえ」
シホは苦笑しつつ、
「見ての通り「お好きに持っていってください」って感じですので、あれを持っていった人たちから全部回収するなんて無理です。一応面目があるので知り合いの読者の方々からいくらか返してもらいました」
そもそも、呼んだあとに捨てちゃった、って人のほうが多かったですけどね、と付け加える。
「そんなものよね。別にとっておくようなものでもないし」
「その通りなんですけど、ハッキリ言われるとちょっと傷つくなぁ…… まぁ、そういうことがありまして。結局はそのあと一度も音沙汰はなかったですよ。正直この対応であとで文句を言われないかなぁ、とかちょっと心配だったんですけど、それ以降は何も起こらなかったので」




