#7
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「やあ、おまたせ。ごめんね、結構時間がかかっちゃったよ」
案の定静まり返っていたラウンジにて席を確保し、待つこと約十五分。サワが姉妹の前に姿を表した。
「構わないわ。予定を切り上げてもらったのはこっちなんだしね」
「そう言ってくれると少しは気分が楽になるよ。……ところで、あっちの彼はいいのかい?」
サワが示す「彼」というのは、シノのことだ。
シノはレイカたちが陣取っている四人がけのスペースからやや離れた場所にある柱に背を預け、無言で周囲を見渡している。こちらの会話は聞こえているはずだが、気にかけるような素振りは見せない。
無論、サワに完全息を許しているわけではないので、警戒心は解いていないはずだ。人の意識に敏感そうなサワは、シノから絶えず放たれている圧力が気にかかるのだろう。
「彼のことは気にしなくてもいいわよ。ただの護衛だから」
「そうなんだ。さすがアカギリの人間だね。校内で個人の護衛を連れてる生徒なんて、ごく僅かだよ」
「あら、私たちのこと知ってたの?」
「これでも一応、ジャーナリズムに興味を持っているような人間だからね」
サワが薄く微笑む。若干表情が硬いように見えるのは、今から話すことをもう一度否定されやしないかと内心で不安に思っているからに違いない。元の人間性がどう在れ、ジャーナリズムに携わる人間ならば、口先だけならどうとでも言えることをよく理解していることだろう。
「さて、何から話したらいいかな」
「最初から順を追って話してくれないかしら。できれば、あの時間になんて会室に行くことになったのか、そのあたりの理由も含めて」
「……特に複雑な理由はないよ。あの日一番の講義で使う道具を、会室に置き忘れてしまってね。それで管理課から鍵を借りて、講義が始まる前に忘れ物を取りに行ったんだ」
まさか、あんなものを見つけることになるなんて思っても見なかったよ、と。サワはその時の状況を振り返って気分が悪くなったのか、さらに顔色を悪くして続けた。
「明かりを灯したら、会室の中心―― 大きなテーブルが置いてあるんだけど、その上に誰かが寝転がっていたんだ。驚いて近寄ってよく見てみたら、すぐにその人が死んでいることがわかった」
「見ただけでわかったの? 大きな外傷があったとか?」
「いや、そうじゃないんだ。むしろ傷や出血は一切なかった。特に争ったような痕もなかったかな。部屋も"まったく汚れていなかった"しね。見た目でわかったというのは、その、要は、明らかに"異常"だったんだよ」
サワは非常に話しにくそうだ。
レイカは逸る気持ちを抑えつつ、辛抱強くサワの言葉を待った。
「一番近い表現をするなら、死体は"干からびていた"んだ。服装から若い女性であるはずなのに、体が乾いて皮だけみたいになっていて、骨格が浮き出ていて―― 老人、いや、話に聞くミイラみたいだと思ったよ。直接見たことがないから、ちょっと断言はできないけど」
「……死因がよくわからない、みたいな話を聞いたけど、そういうことだったのね」
寒気がして鳥肌が立った腕を撫でつつ、レイカは呟いた。そもそも、死に様からして尋常ではなかったようである。幸か不幸か、ヒビキの生前の健全な姿がまだ脳裏に残っているレイカには、干からびて骨と皮だけになっている痛ましい姿は想像しがたい。急激に落ち込む気分を隠すだけの余裕だけは残った。
「それだけでも十分驚くようなことなのに、不思議な事が起こったんだ」
「それが、捜査官に話したらバカにされたっていうこと?」
「……そうだよ。あんまりにも信じてもらえないから、僕も夢でも見たんじゃないかって思い始めているんだけどね」
「どんなことでもいいわ。話してみて」
「気分が悪くなるかもしれないけど……」
そう前置きして、サワは重苦しい雰囲気を纏いながら口を開く。
「死体の内側、いや、皮膚の内側って言えばいいのかな。這い回っていたんだよ。乾いた皮膚を盛り上げながら、もぞもぞと何か得体のしれないものが……」
「――ッ」
黙って話を聞いていたフウカが思い切り体を震わせた。レイカも不快感から、思わず眉間にしわを寄せて溜息を吐く。
「それだけじゃない。僕にはそれが、なんだか光って見えたような気がするんだ。気味が悪くて思わず目を逸らしたよ。でも、確かめなくちゃって思ったから、もう一度目をやった。そしたら――」
そこでサワは、その時味わった緊張感を思い出したのか、ごくりとひとりで息を呑んだ。
「もう何も見えなかった。蠢く何かはもう居なかった。……正直なところ、少し安堵したよ。あの時もう一度同じものを見ていたら、正気じゃ居られなかったかもしれない」
「そのあとは、どうしたの?」
「どうするも何も…… そのままにしておくわけにはいかないだろ? でも、騒いでみたところで時間が時間だから、誰かが駆けつけてくれるとは思えない。だから、一度事務課のほうに戻って、事務の人に頼んで市警に連絡を入れてもらったんだ」
「それじゃ、それからは一度も例の部屋には戻ってないの?」
「ああ、うん、そうだよ。とりあえずこっちから人をやるからって言われて、そのまま残されたんだ。あとは知っての通り、市警のヒトに連行されて、あれこれ事情を吐かせられてたってワケ。捜査の足しになればと思って全部喋ったのに、ごまかそうとしてるとでも思われたのかなんなのか知らないけど、同じことを何度もしつこく聞かれちゃってね。結局開放されたのは、昨日の十七時くらいだったかなあ」
「朝からずっと市警本部に拘束されてたってこと? それは大変だったわね」
「まったくだよ。僕はただ見ただけだっていうのに、ほとんど犯人扱いさ。結局証拠不十分だってことで開放されたけど、あのぶんじゃまだ、いくらか僕のことを疑っているんじゃないかな」
一度言い出したら止まらなくなってしまったのだろう。サワの話はもはや自分の言葉が愚痴になっていることにも気づかずに喋り続けた。
(……つまり、死体発見直後から十七時までの間、このヒトはロクに身動きできなかったってことよね? ちょっと整理してみようかしら)
レイカは前日の騒動を思い返す。
生徒が登校しだすのとほぼ同時に市警の人間が姿を表し、にわかに騒ぎが起こりはじめたのは午前八時半過ぎのことだ。
サワが会室に忘れ物を取りに行ったのは、午前八時かそれより少し前のことだろう。おそらく、レイカが騒ぎに気づいたこのタイミングでは、サワはまだ管理課に居たはずだ。
このあと、市警の検分が始まり、サワは市警本部にて事情聴取を受けるために連行された。その様子を遠目に見た記憶があることから、これは講義が始まる九時以前のことである。
「えっと、死体消失騒ぎが起こったのは―― 何時くらいだったっけ」
「十一時二十六分頃」
「ああ、うん。だいたい十一時半ってことね」
零したひとりごとに、いやに性格なフウカの補足が入った。
――午前十一時半。正しくはそれより少し前の出来事だろう。市警によって回収され、更に詳しい検査にかけられるはずだったヒビキ・カミナの死体が消えたのだ。
「死体消失……? なんのことだい?」
レイカのつぶやきに反応したのは、フウカだけではなかった。さすがに耳聡い。
「ああ、あなたはここに居なかったものね。実際に見ていないのか。市警のヒトから聞かされ―― るワケはないものね。口止めしたがっていたぐらいだし」
「あのあと、何かあったんだ?」
「ええ、まあ。……なんでも、死体がどこかへ消えてしまったらしいわよ」
「死体って、僕が見つけた例の?」
「そう。私の親友―― ヒビキのね。突然消えちゃったらしいの……」
二度目の騒ぎは、一度目よりもずっと早くに収まった。
なにしろ、取り乱していたのは市警の人間で、それに気がついたのはごくわずかな生徒たちだけだった。
いくら信じがたい事態が起きたとはいえ、警官である。彼らは自分たちの騒ぎに感応して動揺を見せ始めた生徒たちに口止めをすると、事実関係の確認に奔走しだした。
――もっとも、人の口に戸は立てられない。噂はその日のうちに校内に広がった。今では相当数の生徒が、死体消失の噂を知っていることだろう。サワがこのことを知らなかったのは、昨日のうちにカレッジに戻ってこれなかったのと、意識的に事件に関連する話を避けていたためだろう。
「そんなことが…… いや、全然知らなかったよ。いったいなにが起こっているんだろう。まさか僕が見た死体すらも見間違いだった、とか?」
「私はそうは思わないけどね。死体そのものは市警の捜査官が何人も確認しているわけでしょう?」
例えば死体が消えたタイミングが、サワが発見してから捜査官たちが到着する前のことであったなら、サワの見間違えであたっという可能性も考えられる。しかし、実際に死体は複数の人間によって観測されているのだ。十以上の目が一度に狂ったなどということは考がえ難い。
「確かに…… それじゃ何かい? 市警の目を盗んで、"誰か"が死体を持ち去ったってことか」
「今のところ、そう考えるしかないわねえ。そんなことが可能だったかどうかってところは別にしても」
そこで会話はプツリと途絶えてしまった。




