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『せっかく一仕事終えたというのに、暮らしぶりがまったく改善せんな』
「前回の依頼にはいろいろと経費が嵩みましたので……」
『そういったものは、依頼人に報酬とは別途で請求できるのではないのか?』
「それはそうなんですが、何と言いますかその、忍びなくてですね」
『それで自分の生活がひっ迫していたのでは元も子もあるまい。ほんに商売の下手な』
「面目次第もございません」
『……少し前も同じようなやりとりをして、同じような台詞を聞いた気がするのだが、気のせいだったかの』
前回の一件が落着して数日後のことである。
無事念願の依頼料を手に入れた探偵トキヤ・カンザキであったが、地方への遠征をはじめとしたもろもろの費用がかさんだ結果、純利は雀の涙といっても過言ではないほどになってしまった。
意思の宿った人形の姿をした呪具であるソフィアの言う通り、通常なら捜査のために費やされた金は報酬とは別途に経費として依頼人に請求できるはずだが、トキヤはそれを敢えてしなかった。なぜなら、依頼人が金にあまり余裕のない学生だったからである。
『ところで、どうだ。例の依頼人はあれからつつがなく暮らせているのか?』
「ええ、そのあたりには問題はないようです。【真実の輩】は無事元の次元に還ったということでしょうか」
『それは何よりだ。わらわのなかの情報をもとに儀式を行ったのだ。万が一にも間違いは起こり得ないとは思うが、一応な』
前回「自分の借りている家に住み着いている幽霊を追い出してほしい」と、常識を疑うような依頼を持ち込んできた青年・オオトミ。彼の家にはほんとうに"尋常ではない"生物が潜んでいた。
紆余曲折を経てなんとかその生物を追い出すことに成功したトキヤであったが、この成功はソフィアの助言なしにはなかったものだ。
トキヤには一般人が知覚できないものを知覚するだけの知識が備わっているが、完全ではない。むしろなまなかに知覚できてしまうだけ、彼は大きな危険にさらされ易いとも言えるだろう。
再び魔術という理不尽な現象との関わりを深めてしまったトキヤにとってはソフィアは大変心強い存在だが、同時に危険を招く代物でもあるのだ。
今のところ目立った襲撃などは起こっていないが、いつ何時【語る魔導書】であるソフィアを狙う者が現れる外敵が現れてもおかしくはない。トキヤは日々警戒を怠らないように過ごしているが、最近は生活環境が荒れているせいもあり、気が緩みがちである。
金がなければ生活もままならぬのだ。
本日も「カンザキ探偵事務所」では閑古鳥が鳴いている。やってくるのは依頼ではなく、暇人の類のみだ。
『おっと、どうやら今日も来たようだぞ』
「そのようですね」
だいたい午後の決まりきった時間になると、事務所の扉が叩かれる。
御用のお方は遠慮なくお入りください―― と書かれた札の下がっている扉をわざわざノックする人間は限られている。トキヤもソフィアもわかりきっていた。
ほかに行くところはないのか、と思いつつ、トキヤは凝り固まった腰をほぐしつつ立ち上がった。おそらくは金にならないとはいえ、来客をないがしろにしてはいけない、ましてや、相手は身分的には立派なレディなのだから。
「はい、ただいま」
ごく軽い調子で扉を開くトキヤ。案の定、扉の向こう側には見知った顔が二つ、その後ろにもう一つと並んでいたが、表情が普段と違っていた。
「ごきげんよう」
いつものあいさつにも、心なしか覇気がない。
レイカ・アカギリはとにかく自信にあふれた女性だ。他者に付け入られるような隙を滅多に見せることはない。だが、今回ばかりはその"滅多な"ケースであるらしい。彼女の表情は深刻で、その隣に立つ妹にもそれが伝染していた。
フウカ・アカギリにとって、姉の痛みは自分の痛みである。よほどのことがあったのだろう。彼女たちのたたずまいは明らかに気分の沈み込んだ人間のそれであった。
「……何かありましたか? ご気分が悪いようにも見えますが」
「ええ、ちょっと、消化しきれないことがね。話を聞いてもらっても構わないかしら」
トキヤは口を濁すレイカから、その背後にたたずむ護衛の男、シノに視線を移した。彼は目線をそらすでもなくトキヤの視線を受け止めたが、それによって得られることは何もなかった。シノは与えられた役目以外には余計な行動を一つも起こさない男である。プロフェッショナルらしいといえば聞こえはいいが、どうにも機械めいており、距離感をはかりかねる人物だ。
「わかりました。中へどうぞ。お茶を用意いたします」
ここでお見合いをしていても始まらない。そう判断したトキヤは姉妹をいつも通りに応接スペースに通し、これまたいつもと同じように茶を沸かした。
いよいよ調子の悪さが目立ってきた湯沸かし装置は、これまでよりも一オクターブ上の悲鳴を上げるようになっていた。中古のものを安く仕入れたのが間違いであった。買い替えも視野に入れなくてはならないが、そのためには新しい仕事を得なければならない。
装置の急所を小突いてやかましい悲鳴を止め、トキヤは姉妹の向かい側に腰を下ろした。いつでもまっすぐ相手の目を見つめて話すレイカには珍しく、視線はうつむきがちである。本人に申し訳なく思いながらも、トキヤは厄介事の気配を感じ取られずにはおれなかった。
「今日はどうなさったんですか?」
姉妹が自分から口を聞くそぶりを見せないので、改めて話の先を流すことにする。
「友達が死んだのよ」
「えっ」
「だから、友達が死んだのよ。今朝、学校で」
何か悩み事があるのだろうとは考えていたトキヤだったが、レイカの口から飛び出してきた言葉は衝撃的なものだった。
ついにアカギリ姉妹の身の回りでなにかが起こってしまったのか、と身構えたトキヤだったが、どうやら事情が違っているようだ。ただ、レイカのたたずまいや口調には、悲しみの他に明らかな動揺も含まれている。彼女をこんなにも困惑させる「何か」が起こったのだ。
「私の友達―― ヒビキというのだけど、その子が今朝、カレッジの同好会が借りている部屋の中のひとつで死んでいるのが見つかったのよ。状況的に自死ではなさそうだということなんだけれど……」
「ということは、他殺でしょうか。それとも事故?」
「市警は他殺の方向で調べているという話だったと思うけど、それよりも妙なことが起こったのよ」
嫌な予感は的中しそうだ。しかしこうして話を聞く立場に収まってしまった以上、続きを聞かないわけにはいかない。
「その、妙なことというのは?」
「死体が消えたのよ」
「……どういうことですか?」
「どういうことも何も、言った通りよ。死体が消えてしまったの。もともとそんなものなんて存在しなかったみたいに、きれいさっぱりね」
トキヤは片眉を動かしながら、男性にしては線の細い顎を撫でた。そのしぐさは叔父から伝染した、考え込むときの癖のようなものだ。
「……先ほどの話からして、すでに市警に通報がなされているのですよね? 遺体は市警の管理下にあったのでは? それが消えたと?」
「ええ、そうみたいね。詳しく聞いた話じゃないからなんとも言えないけど、検査に回そうとした遺体が忽然と消えてしまったらしいわ。さすがの市警もあわてたらしくて、現場の統率が取れなかったみたい」
「騒ぎになったのですね。それであなたの耳にも入った、と」
「その通り。まぁ、それだけでも大概だわね。でもそれだけじゃなくて」
「まだ何か?」
レイカがここに来るてわざわざそのことを話しているということには、それなりの理由があるはずである。ほかの人材ではなくトキヤを選んだということが重要なのだ。
「死体の第一発見者、というのかしら。それが私たちと同じ学生でね。事情を聴くために市警に連れていかれちゃったんだけど、その前に友達か何かに漏らしていたことがあって、それが噂になっちゃってるのよねえ」
事件の起こった場所は学校―― つまりは極東一の大学府である、通称【カレッジ】である。学生の数は全学年を合わせて二千を突破している。それに加え、噂好きの若者の共同体だ。たとえたった一人から始まった噂話であっても、予想外の広まりを見せることがある。
「なんでも、死体は"普通じゃ考えられない状態"だったとか」
生存報告までに。
難航しております。以後の更新は未定です。申し訳ございません。




