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「で、相談事ってなんです? 俺、まだなんにも聞いてないですよ」
――時は数日前に遡る。
シュトでの調査を終えたトキヤが次の段階へ踏み込むための準備をしにその場を辞したあと、スメラはほとんど身を投げ出すようにして高級ソファに腰掛け、目の前の恰幅の良い男、サガミハラに訊ねた。
トキヤが当然のようにそう思い込んでいたように、スメラはこの日、サガミハラの相談を受けるために事務所に戻ってきていた。
「……ほんとうは察しが付いているんじゃないのかね?」
「さぁてね。この街にゃ、イヤってほど腕の良い探偵を必要とするような事件が転がっているもんだから、そういう言われ方をされても"どれ"のことだかピンとこなくて」
「やれやれ、やれやれ…… ほんとうに喰えない男だよ」
サガミハラはほとほと困り果てた様子で額の汗を拭う。
「君に相談したいこととは、他でもない。【桃源郷】のことなんだ。最近ますます捌かれる量が増えてきてしまってね。学生などの若年層を中心に、中毒者が続出しているんだ」
スメラはおどけてわからないようなことを言いつつも、ある程度は察しがついていたようである。いつでも浮かべている軽薄な笑みを一瞬にして消し去り、人差し指で下唇を撫でるようなしぐさをした。
「【桃源郷】…… 近年出回り始めた変わりダネの薬、ですか。一度勢いが弱まったようだから、もうしばらくは噂を聞くことはないと思っていたんだが…… ずいぶんとまぁ、復活の早いことで」
「我々も警戒はしていたんだ。勢いが弱まったとはいえ、根絶出来たわけではなかったからね」
「たしか、売買の仲介を行っていた組織のひとつを潰したんでしたっけね」
「そう、そうなんだが、結局得るものは少なかった。ほとんど牽制にしかならなかったよ」
「情報は?」
「捕まえた人間が、揃いもそろって捕まる直前に薬を吸い込んで"トンで"しまったんだよ。アレの厄介なところは、"意識は強固に保たれたまま、強烈な依存性を発現すること"なのだ。一度アレに手を付ければすっかり虜。頑なに背景について語ろうとしなくてね。参ってしまったよ」
「拷問には掛けたんですか?」
「尋問、だ。言葉を間違えんでくれ」
咳払いとともに訂正をいれながら、サガミハラは続ける。
「もちろん、もちろん、言うまでもなく、我々はあらゆる手をつくした。けれど、誰も口を開かない。……あれはもはや、薬物中毒者というよりは何か、宗教の――」
「先輩、その言い種のほうがよっぽど問題あると思いますけど?」
「う、うむ、そうだな。とにかく、手詰まりなんだ。知らぬ間に市場が拡大していて、末端を少しずつ捕まえていたのでは間に合わない。せめて先の一件のように、大きな組織を潰す必要があるだろう」
「まさか、俺にそれに関われというんじゃあ、ないでしょうね?」
スメラは露骨にめんどくさいというような顔をした。実際、麻薬関連の強制捜査の類に関わった場合、「面倒くさい」の一言では済まない荒事に巻き込まれることになるのだが、彼の心配事はあくまでもそれが後の「面倒事」に綱がることであった。それが仕事の延長線上ならば文句を言わないが、殊自分の得にならないことに関しては、彼は恐ろしく狭量なのである。
「いいや、それは我々の仕事だ。まだもう少し時間は掛かりそうだが、人員を割いて行動できる準備は着々と進んでいるのでね」
「それじゃ、「相談事」ってのは?」
相談事というのはつまり、スメラに対する仕事の依頼のことだ。
スメラが市警に協力していることはよく知られているが、それでも建前というものは必要のようで、サガミハラは決して「事件の捜査を依頼する」というような表現を遣わなかった。
「まぁ、まぁ…… ある意味こちらの仕事よりも面倒なことかもしれないがね。今回カンザキ君に頼みたいのは、ずばり薬品の製造元の調査だ」
「…………は?」
サガミハラの予想外の言葉に、思わずスメラは目を剥いた。
「薬品…… って【桃源郷】? アレの製造元がわかってるンですか?」
わざわざ「製造元の調査にいけ」というのだから、その場所は国内―― 極東のどこかにあるということである。さしものスメラにもこれには少し驚かされた。阿片を筆頭に、現在シュトで取引されている禁止薬物の類の出処は、そのほとんどが西洋諸国である。それ以外もないではないが、国内で原料の生産・製造が行われているものがあるとは聞いたことがない。
「ああ、そうだ。もっとも、確証がないからこそ、君に調査を依頼しているのだ」
「――元の情報はどこから? 薬を流してた連中を一斉検挙しても、しっぽすら掴ませなかったワケでしょ? それがどうして」
「きっかけは匿名のタレコミでね…… あまり信用はしていなかったのだが、慎重に調べてみると、とある私有地で【桃源郷】の売買に携わっているという組織の頭の数人の出入りが確認された。そこがほんとうに薬品製造の現場でなくとも、なんらかの関わりがあると見ていいだろう。君にはその場所に入り込んで、件の場所が【桃源郷】となんらかの関わりがあることを証明する情報を持ち帰って欲しい。あとはこちらで処理をしよう」
「私有地、ね。……なるほど、市警公認の不法侵入をやらかせと」
「潜入捜査だ」
サガミハラは語彙のチョイスにこだわりがあるらしい。スメラはやれやれとつぶやきながら、大げさに肩を竦めてみせる。サガミハラは自分が無茶な要求をしていることがわかっているので、スメラのこの無礼な態度に物申すことが出来ない。
「ま、いいですよ。ただし、時間と報酬はきっちりいただきますからね。今回はかなり危ない橋を渡らなきゃなんねえみたいだし」
「おお、おお! 引き受けてくれるのか……!」
サガミハラは心底安心したようである。知らぬ間に腹筋に力を入れていたようで、体制を崩してソファの背もたれに沈み込む。その様子は空気が抜けてしぼんだ気球のようだった。
「それで、いったいどこを調べてくればいいンです?」
「ああ、それなんだがね。カンザキ君は覚えているか? だいぶん前に、虫を媒介にした肺病が流行ったことがあっただろう?」
「ああ、そんなこともありましたっけね。でもたしか、サエジマ教授、でしたっけ? 我が国の研究者が、他国の研究者と共同でワクチンを発明したとかで……」
「そうだ。今ではもはや、病気は過去のものとなっているよ」
「今じゃ肺病なんて、隣人みたいなもんですしねえ?」
スメラは窓の外、降りしきる灰と煤を見ながらシニカルな笑みを浮かべる。彼の言うとおり、この街の劣悪な大気に耐えかね、肺を悪くする住民は少なくない。サガミハラはスメラの冗談になっていない冗談をスルーした。
「君に調べて欲しいのは、その病気のために建てられたサナトリウムのひとつだよ。もっとも、今は元々の機能は停止していて、個人所有の研究施設ということになっているがね」
「いったいなんの研究を?」
「不明だよ。所員の所在も人数も不明だ。こう聞くと怪しいとは思わないかね?」
「さぁね。最初から頭のなかが"曇っている"と、まともな捜査ができない。あとは任せてもらいますよ?」
「君は相変わらずだな」
「ああ、そうだ、最後に一つ」
スメラはわざとらしく人差し指を立てると、サガミハラにつきつけた。
「例の匿名のタレコミとやら、もう少し詳しく探ってきてくれませんかねえ……?」
これで断章終了になります。
三章の更新再開日は不明ですが、少なくとも一ヶ月以上の時間はいただくことになります。
今回は私生活でやることが非常に多くなてしまったため、前回以上におまたせしてしまうかもしれません。ご容赦ください。
詳細はまたのちほど、活動報告にて行います。次回予告のようなものも掲載しておきますので、興味があればどうぞ。




