#25
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ダイバは何も言わなかった。しかし、その表情の変化がそれが真実であると如実に物語っている。彼は内心の動揺を隠そうと勤めているようだが、この局面で集中力が高まっているトキヤは、表情筋が引きつる瞬間を見逃さなかった。
ダイバは確実にこちらの話に興味を持った。時間を稼ぐのなら、言葉を重ねるほかはない。
「そして―― 事の発端。実の娘を殺害しようと考えたのは、サギリ奥様です。あなたは奥様の依頼を受け、実際に行動した実行犯である。ボクはそう考えているのですが、間違っていますか?」
「……なぜそう思った」
ダイバ自ら続きを促してくる。ひとまずは成功のようだ。
だが、ダイバが興奮しているのは明らかだった。動けば発砲を誘うだろう。トキヤは銃口に意識を集中させながら、必死に言葉を操った。
「仮に誘拐殺人が明確な目的をもって行われたものであったとして、そう考えるのが一番無理がないから、ですよ。他に犯行を企てる必要があった人間は、ボクの調査では見つかりませんでした」
これはハッタリである。娘と最後まで一緒に居たサギリが「関係者」のなかでは一番怪しいという事実は揺るがないが、トキヤがこれまで得てきた情報の中に、「サギリが犯行を企てた」という確かな証拠はない。そのうえ、ホウジョウは晩年こそ落ち着いていたが、娘ができるまでは相当人格面に問題のある人物だったことがわかっている。恨みならかなり買っていたはずだ。それこそ"誰がやってもおかしくはない"くらいには。
それにも拘らず、トキヤがサギリが黒幕であると確信している。その確信は、サギリの言動の小さな違和が調査を経て成長したものだった。
――ホウジョウ氏の妻…… サギリ・ホウジョウというのだが、突然署に来て言うには、『夫は事件のことですっかり気が参ってしまい、シュトを離れて暮らすことにした』、と。
脳裏によぎるのはサガミハラの言葉だ。かつてサギリは署を訪れ、直接そのような話をしたのだという。結局それがきっかけとなり、捜査はだんだんと行われなくなった。娘殺しの犯人の確保を切望していたイツキ・ホウジョウの心が折れてしまったのだと、皆思い込んだからだ。
トキヤはこの「敢えて」の行動が、市警の捜査を打ち切らせるためのものなのではないかと疑った。それは当初、単なる「こじつけ」でしかなかったが、実際に会って話してみたことによって、これとはまた別の疑念が浮かび上がってきた。
サギリは夫を優先しすぎているのである。
そして同時に、自分の娘に対する愛情を感じられない。
事件の犠牲者は、サギリが腹を痛めて産んだ娘だ。それも、"自分が目を離した隙に攫われ、殺された"のである。これが普通の母親なら、何よりもまず自分を責めるだろう。そして取り返しの付かない命を嘆き悲しむ。女は男よりも気丈だが、殊子供のこととなると脆いものなのである。
しかしサギリは、娘の死にさほどショックを受けているようには見えなかった。むしろ、大きく取り乱していたのは娘を溺愛していたホウジョウのほうで、彼女は半ば狂乱状態にあった夫を気遣って世話をするような余裕さえも見せている。――ここまでくるとどうにもおかしいと思えてくる。単に「気丈な人」と片付けてしまうには不審な点が多い。
サギリは無感無痛の人であるということでもない。彼女はしっかりと後悔している。"夫を救ってやれなかったこと"だけについて。
昨日の会話中、サギリがもっともらしい後悔の表情を見せたのは、いずれも事件後のホウジョウとの関係に言及した時だけであった。夫の気が狂った原因であるはずの事件については、もはや「割り切っている」というよりも、「起こるべくして起こったもの」であると考えているような、あるいは他人事だとでも思っているかのような様子だった。
それらから導き出された「仮説」は、恐ろしいものだ。考えついた本人であるトキヤでさめお、これが現実であってほしくはないとさえ思うくらいに。
証拠は何一つない。しかし、
「奥様は、おそらく―― 取り戻したかったのでしょう、夫を。自分の、娘から」
「……そうだ」
ダイバは認めてしまった。自嘲が入り混じった笑みを浮かべ、トキヤを賞賛するようにうなずいてみせた。これによって、トキヤの「仮説」がおおむね「真実」であったことが証明されてしまったのだ。
「あの女は相当なキチガイだぜ。俺も相当な数の「殺し」に関り合いになってきたが、みっつよっつのてめェのガキを攫って殺してくれだなんて頼んできやがったのは、あの女が最初で最後だ」
あの頃は俺も若かった。ダイバは冗談のような台詞を愉しんで口にしていた。
「あの女は細い細い糸を辿って俺のところまでやってきた。驚きやしなかったさ。身なりの良い依頼人なんてェのはそう珍しくなかった。でも、話を聞いたらバカバカしくて、笑いどころなのか怒っていいのかわからなくなった」
自分の娘を攫って殺し、適当な場所―― できれば数日見つからず、それでいて絶対に見つからないことはないような場所―― に放置してきてほしい、というのが、ダイバのもとを訪れたサギリの依頼であった。
「俺は言ったさ。正気か? ってな。そしたらあの女は、なんにも言わないで俺の顔をジッと見るんだ。……それでわかったよ。コイツは正気じゃねえ。でも、本気なんだってな」
「それで仕事を受けられたわけですか」
「ああ、俺は完璧にやり遂げた。もっとも、ガキの始末なんかに手間取るはずはない。だが、あとで問題が出てきた。あの女は俺に払う金を用意できなくなった。だから、こんな辺鄙なところまでつきまとうハメになったんだ」
ホウジョウが作家としての仕事を辞め、文献の収集に金を惜しみなくつぎ込んだおかげで、サギリはダイバに払うはずだった高額の報酬を払いきれなくなった。ダイバはそれを良しとせず、ここまで追ってきたのだという。
「あなたは正式にホウジョウ家に雇われているというわけではないのでしょう? 適当な間隔をおいては奥様に金をせびって暮らしている―― といったところでしょうか」
「驚いたね、なんでもお見通しか」
「迎えの御者に扮していたのは、奥様の"お願い"ですか? それとも?」
「説き伏せたのはあの女だ。執事の爺は俺が馬車を操るのも嫌だというような顔をしていたがね。……御者の真似をさせてくれと頼んだのは俺だ」
「なるほど、それなら"これ"はあなたの独断ということですね。……よくわかりました」
「アンタほど核心をついてくる探偵ってのは、なかなかお目にかかれないんだろうな。だが、調子に乗るのもここまでだ」
予断なく銃口がトキヤの左胸を狙う。
「そこまでわかってるとあっちゃ、ここで逃がすわけにはいかねぇ。喋りすぎたことをあの世で後悔するんだな」
最初から逃がす気はないくせに、とは言わない。それはこの世を辞するさいの捨て台詞としてはあまりに格好がつかない。
結局、トキヤはこの難関を突破するための智慧には恵まれなかった。タイムリミットになったら強引に跳びかかってしまおうかとも考えていたが―― 幸運にも、リスクを冒す必要はなくなりそうだ。
――思えば妙だった。
ダイバは『アンタの味方は"もはや"居ない』と言ったのだ。まるで何者か、"トキヤの味方"が居たかのような言い種だ。
その違和の答えは、唐突に現れた。
ダイバの背後、開け放たれた扉の影から、長身痩躯の男の影がぬるりと飛び出してきたのだ。
トキヤが思わずそちらに視線を差し向ける。ダイバは数々の「殺し」に関わってきたと自ら言うだけあって、素晴らしい反応力の持ち主だった。異様な気配と人影に勘付き、振り向きざまに発砲した。
しかし、未照準で発砲された弾丸は長身の襲撃者の顔面の右側に大きく逸れ、廊下の壁面に新たな風穴を穿った。そこに決定的な隙が生まれる。
「――ッ」
長身の襲撃者は蛇のような声を漏らしながら、手に持った導管らしき筒状の物体で、思い切りダイバを殴りつけた。無造作に、かつ力まかせに放たれたと思われた一撃は、しかし寸分たがわずダイバの利き腕を砕き、武器を奪った。
「ぐあっ!?」
床に転がる拳銃の立てる音。それを合図に、硬直していたトキヤの体が動き出す。
よろめきつつも、次の攻撃に備えようと体勢を立て直すダイバの横合いから、さきほどまで無力化していたはずのトキヤが飛びかかってきた。
利き腕の機能を失っており、また型にはまった武術の対処法を知らぬダイバには、こうなってしまえば為す術がない。トキヤは流麗な動きですぐさまダイバの左腕を捻り上げると、そのまま床に組み伏せてしまった。
「ぐ、ぬぅ…… バカな、アイツら一人相手になにやって……!」
「生憎だが」
手にしていた鈍器を放り捨て、組み伏せられたダイバを見下ろし、襲撃者は勝ち誇りもせず、無表情で淡々と冷えた視線を送る。
「数を揃えればいいというものでもない。金に釣られた素人など、大した脅威にはならん」
――トキヤはその時になって初めて、"彼"がまともに言葉を操る姿を目にした。
「助かりました。ありがとうございます。……しかし、なぜあなたがここに?」
「仕事だ」
にべもなく短い言葉で回答したのは、現在シュトで待機しているはずのアカギリ姉妹の護衛―― シノその人であった。




