#21
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「……失礼。すっかり話の腰を折ってしまいました」
「お気になさらないでくださいませ。もう全部話し終わってしまうところでしたから。つまるところ、夫の精神は尋常な状態ではなかったのです。それこそが失踪の理由だと、わたくしはそう考えています」
「ご令嬢の事件のショックで精神を病み、ついには自発的に姿を消してしまったのだと。……そうお考えなのですね?」
サギリの口にした考えは、一般的な見識から導き出される考え方としては納得のいくものであると言えるだろう。
しかし、トキヤは知っている。ホウジョウは娘の事件に関するなにがしかの「真実」を掴んでいるのだ。彼の失踪にはその真実が関係しているはずであった。
「わたくしは手をつくしましたわ。……都を離れてこちらに帰ってくるというのも、わたくしの提案だったのです。あの家には家族三人の思い出がいっぱい残っておりましたし、あれ以上夫に事件のことを考えさせたくなかったのですわ。夫は最初、シュトを離れることを渋っておりました。それがようやく了承を示してくれて、これで穏やかな日々を取り戻せる。……そう考えておりましたのに」
サギリの横顔には、本気の悲しみが浮かんでいる。
トキヤはなおも警戒心を緩めなかったが、こうして夫との思い出を語るサギリは、深い心理的な傷を負った未亡人そのものだ。この時ばかりは、瞳にあふれていた力強さも失われる。
「こちらに帰ってこられてから、ホウジョウ氏が失踪するまでの間ですが、彼の様子はどうでしたか」
「帰郷して一週間ほど経ったころ、夫は『家を手放してくる』と言って単身都へ向かいましたわ。そのころにはだいぶん様子も落ち着いていて、考えこむようにしていたり、ぼうっとしていたりすることが多かったけれど、わたくしは自分の行いがうまくいったものだと思っておりました。……夫が消えたのは、都から帰ってきて三日ほど経った頃だと思います。その間は特に何も起こりませんでした」
「最初の一週間の方はどうです。何かありましたか?」
「何も。こちらに移ってからというもの、それまでの夫の"奇行"はいっさい見られなくなりました。そのかわり一気に老けこんだようにも見えました。日がな安楽椅子に座って過ごしたり、そのあたりをぼんやり散歩していたり―― 今思えば、夫の精神はあのころすでに限界を迎えていたのでしょう。わたくしはそれに気がつけなかったのですわ」
サギリの話には今のところ矛盾こそないが、直接ホウジョウの行方に繋がるような手がかりもまた存在しなかった。しかし、気になる点、不審な点は増えたように思う。トキヤは自身の推論とそれらを絡め、サギリに対して"追求"を試みたくあったが、あいにくと必要な材料が足りていない。そもそも、今回の目的を果たすことだけを主とした場合、その方法からのアプローチはリスクが高過ぎる。サギリがわざわざ"隠していること"を喋らせる―― 否、"喋ってくれることに賭ける"ということに他ならないのだから。
いずれにしろ、今はまだこの件に決着をつけることは出来そうにない。トキヤが考えていたよりもなお、サギリの対応は完璧に近かった。……そのおかげで、次に調べるべき場所もハッキリとしたのであるが。
トキヤはしばらく瞑目し、考え事をするような素振りを見せたあと、姿勢を正して切り出した。
「ありがとうございました。もう、結構です」
「……あら、もう充分ですの?」
サギリは意外そうな顔をしたが、これ以上憶測抜きに「訊ねる」ことは何もないのである。
「ええ。充分話していただきました。不躾な質問ばかりで申し訳ございませんでした。さぞご気分を悪くされたでしょう?」
「いいえ。……何分、もう十年も前の話ですから。さきほども申しましたとおり、もはや諦めはついております」
そう言ってのける彼女の表情は複雑なものだった。とても全てを割りきっている人間のものだとは思えない。おそらくは後悔があるのだろう。それが彼女が自分で話した内容からくるものであるかどうかは定かではないが。
「本日はこれにて失礼させていただきます。……ですが、あともうひとつだけ、ちょっとした"お願い"があるのですが」
「お願い、ですか? なんでしょう」
「誰でも構いませんので、この屋敷の使用人の方とお話がしたいのです。ひとつふたつ質問に答えていただくだけで良いのですが」
「使用人に? ……そうですわね。わたくしがいうことを聞かせられる使用人というのは、実は限られておりますの。さきほどあなたをご案内したセンジュや、侍女のカヨなら要望に答えられると思いますわ」
「ありがとうございます。今、お二人はどこに?」
「今、お呼びいたします」
そういって、サギリは手元にあった小さなベルを鳴らした。
甲高いベルの音が響き、やがて先ほどの老執事―― センジュという名らしい―― が音もなく現れた。ベルの音は決して大きなものではないので、おそらくは近くにて待機していたのであろう。
「ご用命でしょうか、奥様」
「カヨをここへ呼んで頂戴」
「かしこまりました」
センジュは惚れ惚れするような美しい所作で礼を返すと、再び音もなく扉を開けて姿を消した。
本来ならサギリのいない場所で使用人二人の話を聞きたいところであったが、今回トキヤはこの部屋の外を歩き回る権限を持っていないのである。そもそも、サギリ自身が私的な客を応接室に通すだけの権限を持っていないのだから、望むべきことではないのだ。
一、二分ほどして、センジュが十代後半と思しき侍女の少女を連れて戻ってきた。田舎風の平凡な顔立ちの少女で、屋敷の風合いに合わせたのであろう王国の公的な侍女服は、彼女にあまり似合っていなかった。
もう一度サギリの許可を得てから、トキヤは使用人二人に質問を投げかけた。いずれもサギリにした質問とそう変わらない内容であり、それにはサギリの話の信ぴょう性を確かめる目的があった。
本人の目の前で直接的にそれをやっては具合がわるいので、トキヤはあくまでも二人が自身で"サギリの話を裏付けることを言った"ふうに見せかけなければならなかった。
ただ、これは礼節の問題である。サギリにはトキヤの目的は看破されたことだろう。彼女はトキヤが使用人たちに質問をする様を、黙って見つめ続けていた。
「結構です。おふたりとも、よく話してくださいました」
トキヤが質問を終えてからそう言って開放してやると、センジュは恭しく礼をしてからドアのそばに立ち、カヨは戸惑った様子を見せながらも、普段の仕事に戻っていった。
「これでもうおしまいなのかしら。他に何か、ご要望は? 訊きたいことはありますか?」
「ありません、奥様。もう充分良くしていただきました」
「夫は見つかりそうかしら」
「それはまだ、なんとも。ですが、ボクは自分の目的を果たして見せますよ。そういう覚悟を持って、ここまでやってきたのですから」
トキヤは来た時と同じようにセンジュに先導され、エントランス・ホールへと戻った。
外には乗ってきた馬車とは別の馬車が用意されており、待機している御者もダイバとは別人であった。トキヤは世話になったことに対する礼と別れを告げ、馬車へと乗り込んだ。そうして屋敷が十分遠ざかったと見るや、口を開く。
「あなたは、ここへ勤めて長いのですか?」
「へえ、もう二十年になります」
白髪交じりの御者の男は、穏やかな口調で答えた。
「あなたが仕えているのは、ホウジョウ家―― つまり、現当主ということで間違いありませんか?」
「そのとおりでございます。それが何か?」
トキヤは御者に対し、サギリやサギリの使用人にした質問と同じものを投げかけた。
彼はすべてに答えることは出来なかったが、応えられたものに関して、サギリや使用人の話と矛盾するものはただのひとつもなかった。どうやら複数人が知っている可能性あのあることに関しては、サギリの弁に嘘はないらしい。
(……ということはやはり、問題は"それ以外"の部分と彼女の内面的な部分ということになる)
それがサギリの隠し事、というわけだ。
サギリは馬鹿な女性ではない。トキヤは与えられた情報に対して慎重になる必要があった。
(だからといって、調べないわけにもいかないだろう。……もはや真実が残されていそうな場所は、"そこ"しか考えられない。今度こそ、これが最後の手がかりというわけだ)
あとはすべての原因となった男である、イツキ・ホウジョウに賭けるほかはない。彼の行方の手がかりは十年以上見つかっていない状況だ。彼が足跡を残している可能性があるとすれば、それだけの期間"人の手が及ばなかった"場所であるとも考えられる。
――一両日などとは言ってみたけれど、いつまでかかることやら。
厄介事の種でしかない呪具だが、あの尊大な口調が今は妙に懐かしく感ぜられた。それに、あのおせっかいで好奇心が旺盛な姉妹のこともある。妙な縁だが、それを絶たないためにも無事に目的を果たして帰らなければならぬ、という気になった。
ため息を二、三こぼす。わかったことは多くても、保証はなにひとつないのだ。余計な憂いを断つことは難しい。
散々に悩んでから、トキヤは御者に訊ねるのであった。
「失礼。……あなたはエドガー・ジョン・フレミングという名の人物をご存知ですか?」




