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魔術師たちの昏き憧憬:Re  作者: 美凪
二章 真実の輩は扉を叩く
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#11

#11


「……さて、なんにせよ、ボクの手に負えるようなものであればいいが」


 昼間のことを思い起こしつつ、ひとりごちる。

 ソフィアは指針を示してやると言ったが、【開かずの間】に潜むモノの正体については未だ何一つ判明していないので、それがトキヤの手に負えるような存在であるかどうかは定かではない。


 そもそも、ごく初歩的な魔術の知識を持つトキヤであるが、"常識の通じない生物"、謂わば魔術的な生物。――自身が便宜上【魔物】と呼んだものについては、一切の知識を持たない。そういうものがいてもおかしくはないと納得はできるが、理解はしていない・想像ができないというのが正しい今の状態であろう。


 仮にそのようなものがいるとして、"それ"はいったいどういった質のものなのか。


 ソフィアは確証を得ていないと言いつつ、自身が持つ知識から、"それ"がなんであるか、ほぼ確信を得ている。そうでなければ、あれほど具体的な指示は出せない。

 自分がなにも知らされていないことについて、不安がないわけではない。なぜなら、"それ"がなにがしかの悪意を秘めたものであるということは、わかりきっているからだ。


 第一に、【開かずの間】の前で死んでいたという作家の男。第二に、他でもないフウカの様子が根拠に挙げられる。第一の根拠に関しては、当時の詳しい状況がわからないのでなんとも言えないが、管理者の男の話を信用するならば、扉のムコウの存在に鑑賞を受けた可能性が高い。

 現段階ではあくまでも予想にしか過ぎないが、作家の男は鍵穴から部屋の中を覗く真似をしたのではないか―― とトキヤは考えていた。おそらくその行為は、扉のムコウの存在をどうしようもなく"駆り立てる"のであろう。フウカはそれを敏感に感じ取ったのだ。彼女になぜそのような感覚が備わっていたのかは皆目見当もつかないが、昼間の経験がトキヤの判断に影響を与えた。尋常では"まとも"には聞こえないフウカの言葉に、彼女の人柄とは別の信憑性を感じたのだ。


 すなはちトキヤは、扉のムコウの存在は"危険なもの"であるという裏打ちのひとつとして、フウカの話を信用することにしたということである。それが不安の種だった。


【開かずの間】に潜むモノには禁忌(タブー)が存在している。そのうちのひとつが「鍵穴から中を覗くこと」なのであろうが、それ以外には禁忌が存在しない証左はどこにもない。ソフィアの「余計なことはしないほうがよい」という言葉が、玄妙な響きをもって記憶から掘り返された。彼女がわざわざトキヤを陥れる理由もないので、彼女の指示を忠実になぞってゆけば、トキヤの身に害が及ぶことはないだのだろう。


 ――しかし、トキヤは自身の詰めの甘さを呪わずに入られなかった。「余計なこと」について、せめてもう少し踏み込んだ話を聞いておけばよかった。そうすれば少なくとも、この落ち着かない気分は取り払えたはずなのだ。


 落ち着かない気分のままろくな休息も取れず、時間だけが刻々と過ぎゆく。


 とうに窓の外は闇に沈んでいた。シュトの夜は不気味なほど静かである。野良犬の遠吠えすら聞こえてくることは稀であり、その静謐と色の濃い闇が、時間の流れを早くも遅くも感じさせる。

 どれほど時間が経っただろう。時折身じろぎをしたり、足を組み替えたりしながらも、ベッドに座った姿勢のままから動かずにいたトキヤは、とうとう衝動に負けて時計の文字盤を覗き込んだ。

 時間というものは、気にすればするほど流れるのが遅く感じるものである。特に何もすることがなく、かといって何も考えることがなかったわけではないトキヤには、時の流れが一層に遅いもののように感ぜられていた。


 ――午前一時半。オオトミが例の「音」と「声」に遭遇した時間まで、あと少しばかりだろうか。彼以前にも、彼の友人たちが遭遇していることから、その瞬間がいつなんどきやってくるかは定かではない。

 思えばずいぶん長い間何もせずに過ごしていたものだ、とトキヤは思う。

 室温はさして高くはないが、外出用の出で立ちのままでいたトキヤは、気づけばじっとりと汗をかいていた。強い喉の渇きも感じた。予め用意していた革製の水筒の中身は、すでに空である。

 意識しだしたことで急激な居心地の悪さをおぼえたが、今の時間に部屋を空けるわけにはいかない。あともう少しで何らかの動きがあるはずなのだ。


 体の変調に苛立つ精神をなだめ、感覚を研ぎ澄ます。

 隣の部屋の気配をうかがう唯一の手立ては聴覚に頼ることだ。目を閉じて視界を遮断し、聴覚の鋭敏化をはかった。すると、普段はまったく意識しないような音までもが耳に飛び込んでくる。

 自身のわずかな身じろぎの音。無音のために走るノイズ。


 緊張感が喉の渇きと、発汗を助長する。無限の続くかとも思われた忍耐の時間。時計すら確認することも忘れ、トキヤは待った。……そして、その瞬間は訪れたのだ。


 カリカリ――

 カリカリカリカリカリカリカリッ――


 ――来たッ……!


 何かをひっかくようなわずかな音が、隣室から響く。トキヤは静かに立ち上がると、部屋の出入り口に近い東側の壁―― つまり、【開かずの間】の"開かずの扉"により近い場所へと移動した。


 カリカリ――

 カリカリカリカリカリカリカリッ――


 壁に耳を当てる。音はより鮮明に聞こえるようになったが、具体的になんのために聞こえてくる音なのかがはっきりしない。それどころか、カリカリともカラコロとも聞こえるようになってきて、余計に正体がわからなくなってきてしまった。ただ、単純に「爪のような硬質なモノで何かを引っ掻く音」ではないようには思われた。モノを引っ掻いく音にありがちな不快感がないのである。不吉な予兆は感じるものの、それほど「イヤな音」ではない。そんな不思議な音だった。


 それからも謎の音は断続的に聞こえてきたが、しばらく経つと聞こえなくなり、今度はズルズルというような、"何かが這いずる"ような音が聞こえてきた。

 これはオオトミの話には出てこなかった音だ。それもそのはずだ。その音は非常に小さく、トキヤのように壁に耳を当てでもしていない限りは、隣室にてまず聞き取れない。


(……移動を始めたのか?)


 思わず息を呑む。

 音の主である"何か"は、その僅かな音から、段々とトキヤのほうにむかって近づいてきているように思われた。トキヤとの距離が近いということは、すなはち"部屋の入口に近づいている"ということでもある。

 いったいなんのために。――否、おそらく扉を叩くためなのであろうが、なぜそんなことをしなくてはならないのか。まるでみずからの(おとな)いを知らせるようではないか。家の内側から訪いを知らせるとは、なんとも奇妙な話である。


 息を殺して待機していると、果たして聞こえてくるべき音が聞こえてきた。


 トッ、トッ、トン、トン…… トン。


 ノック音だ。この瞬間を待ちわびていた。

 少々の焦りにオイルランプの炎が大きく揺れる。控えめに開いた扉の隙間に身を潜らせるようにして廊下に出ると、トキヤは【開かずの間】の前に立った。


 トッ、トッ、トン、トン…… トン。


 ノック音は未だ途絶えない。

 この向こう側に"何か"が居るのだ。確実に。

 この時ばかりはトキヤもはっきりと感じていた。――扉のムコウの気配を。

 現に"それ"が立てている音を聞いている所為もあるのだろう。重く胃にのしかかるようなプレッシャー。


 フウカはこれと同じような感覚を味わったのであろうか? ふとそんなことを思う。……だとしたら、なぜ自分やレイカはあの時何も感じるものがなかったのだろう。

 どんどん至高の溝にはまり込んでいく自身に気づき、トキヤはハッと体を震わせた。目の前の気配から目をそらしている場合ではない。やるべきことがある。


 扉から出来得る限り距離を取り、遠慮がちに二回、扉を叩く。叩き方が悪かったのか、内側から聞こえてくるような明白な音ではなく、鈍く濁った音が廊下に響く。


「我、真実を求む者也」


 ソフィアから教わった通りの文言を口にする。緊張からか、必要以上に大きな声が出てしまった。


 しばし沈黙の時間が流れる。それは実際のところ、数十秒にも足らない時間であったが、鼓動の速まった心臓が、時の感覚を狂わせる。


 ――そして。

 耳障りな掠れた、じれったい声で。

 ようやく聞き取れるだけの返事を、"それ"は寄越したのだった。


 ヒトならざる者の声。それを聞き遂げた時、それがどういう意味を持っているのか考え始める間もなく、トキヤの身は凍りついた。たとえ覚悟をしていても、その覚悟の上を行く。非常識、あるいは不条理というものはそういうものだ。

 よろめくようにして扉を離れる。トキヤを支配しているのは、正体がわからないがための恐怖ではなかった。尋常ならざるものと接触したがための、生理的な恐怖である。


 隣室に戻る気にはならなかった。トキヤは強張った体を引きずるようにして階下に向かうと、リビング・ルームのソファに身を預け、目を閉じた。とうとう、朝まで眠ることは出来なかった。


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