#5
※軽度のホラー表現が含まれます
#5
「オレたちは嘘はついてないぞ」
友人たちの主張は頑なであった。どうあっても譲る気はないようで、結局オオトミが先に折れた。
「わかった。じゃあ、狭いけど俺のベッドを二人で使えばいいだろ。俺が二階で寝るからさ」
「正気か!?」
「だって、それじゃあどうしろって言うんだよ。俺は眠りたいんだ」
オオトミは、やはり根っから友人の主張を信じてはいなかった。
――どうせ気のせいだ。そうに決まっている。そういう考えが、態度に露骨に表れていた。
眠気で落ちてくるまぶたを擦り、オオトミは自室を出た。誰も止める者はなく、結果リビング組はそのままリビングに戻り、二階寝室組はオオトミの部屋で夜を明かすことになったのだった。
オオトミは苛立っていた。眠りを妨げられただけではなく、くだらない冗談まで――。
もしこの時、酒が入っておらず、また睡眠を妨げられたわけではなかったのなら、彼は友人たちの言葉にもう少し真摯に向き合っていたことだろう。
友人たちが寝室に駆けつけるときに使った室内用のオイルランプを手に、重い足取りで二階へと向かう。暗闇に沈んだ廊下はいかにも恐ろしげであった。幽霊という不気味な響の言葉が、余計にそう見せているのであろうと、縮み上がりかけていた肝を奮い立たせ、オオトミはどうにか二階寝室へとたどり着いた。
部屋は僅かに埃のにおいがした。掃除は済ませたが、外の環境を考えれば、窓を開け放して換気というわけにはいかなかったからだ。
室内にはなんの変哲もなかった。友人たちが慌てて起き出してきたことを示すように、蹴飛ばされたブランケットがくしゃくしゃのまま床に放置されているくらいのものだった。
嘆息し、オイルランプをベッド脇のサイド・ボードの上に置くと、オオトミはベッドの上に腰を下ろした。
眠気は強かったが、なんとなくすぐに眠る気にはなれなかった。馬鹿らしいと思いつつ、友人の話が真実であるかどうか、確かめなければならないというような気もしている。
「あの部屋…… 見てくればよかった」
東側の壁。その向こう側。開くことの出来ない扉。「開かずの間」。
ほんとうにそこから物音がしたとするなら。何かが"居る"としたら。それは―― なんだろうか。
「居るわけ、ないよな」
オオトミがこの家で生活を初めて、もはや二年になる。命あるものが、部屋に閉じこもったまま二年間生き残れるとは思えない。そう結論を出してみるものの、オオトミの脳は嫌な想像を次々生み出してしまう。
「開かずの間」に潜む者が、唯一無二の部屋の鍵を持っていたとしたらどうだろう。「彼」は自由に部屋に立ち入ることが出来る。今の家主である自分が入ることのできない場所に。
自身のパーソナル・スペースに異物が入り込んでいるかもしれない。しかも、それに二年間気づくことすらなかった。その妄想の不快感に、オオトミはみずから眉根をひそめた。
――もうやめよう。
妄想を振り切るように、激しくかぶりを振る。
眠気が少し覚めた。もう一度大きく嘆息し、ブランケットを拾い上げると、ベッドに身を横たえる。
目を閉じて眠ろうと試みてから、どれほどの時間が経っただろう。感覚は曖昧だった。ただ、体感時間は一夜よりも長かった。
次第に眠気に意識が支配されていき、まどろみに理性が絡み取られる。
呼吸が浅くゆっくりとなっていき―― 眠りに落ちる寸前、"それ"は聞こえてきた。
カリカリ――
カリカリカリカリカリカリカリッ――
何かをひっかくような音が、かすかに。
それはごく小さな音だった。にも関わらず、意識の隙間に潜り込んでゆき、オオトミを覚醒させた。
思わず上体を起こす。背中はびっしょりと汗で濡れていた。
「な――っ」
ほんとうに、音が聞こえる。
体をこわばらせ、第六感が「聞くな」と警鐘を掻き鳴らしているにも関わらず、オオトミはじっと気配を殺し、感覚を研ぎ澄ませていた。
カリカリ――
カリカリカリカリカリカリカリッ――
またあの不気味な音が。
息を呑む。一体何が起こっているのか。
何かをひっかくような音は、それから周期的に聞こえてきた。東側の、壁の向こう側から。
トッ、トッ、トン、トン…… トン。
恐怖に縮み上がっていると、次に聞こえてきたのは、そのような音だった。
当初、オオトミにはそれがなんの音だかわからなかったと言う。
控えめな打撃音。これも断続的に耳に届く。
オオトミはしばらくお間、耳と脳だけの存在と化した。自分の経験と記憶のなかから、音の記憶を探り出そうと、必死に思考を巡らせた。
そして―― たどり着いたのだ。答えに。
「ノック、してるのか……!?」
扉を。
得体のしれない何かが。開かないはずの扉の向こう側から。自分の知らない何かが。
全身の毛穴が開く。額に脂汗が浮き、呼吸が不規則なものとなる。
歯の根が合わない。音を立てたくないのに、ガチガチと歯が打ち合わさってしまう。
――――ッ、―――――ッ、――――。
オオトミが耳を覆う直前。聞こえてきたのは、何かの「声」だった。
ただ、それがオオトミの知る言葉を話していたかどうかはわからない。実際に「声」だったかどうかも、今となっては自信を持って断言できないと言う。
それは例えるのなら、紙上を木炭で軽くなぞる時のような。擦れるような不快で、耳に残る音。
「もうやめてくれっ」
耳を覆って叫んだオオトミ。
彼にとどめを刺すように――。
ドンっ、と。
強く扉が叩かれた。
そこでオオトミの精神は臨界点を超えた。意識がぷっつりと途絶え、気がつけば翌朝、様子を見に来た友人たちに揺り起こされていた。
「――とまあ、こういう事があって。それからあの家には戻ってないンですよ。怖くてもう、どうしようもなくて。またあの音を聞いたらどうなっちゃうんだろって」
一部始終を語り終えたオオトミは、そう言って体を大きく震わせた。彼の顔は青ざめており、ティーカップを握る指には力がこもっている。これが演技なのだとしたら、彼は天性の才能の持ち主だ。
(確かに嘘を言っているようには見えないな……)
トキヤはオオトミの様子を見つつ、居住まいを正そうとした。
軽く腰を浮かそうとすると、なぜか左側に体が傾いだ。
何かが引っかかっている。妙に思って見てみれば、トキヤのシャツの裾を、フウカが掴んでいた。彼女はうつむいており、体が小刻みに震えている。……どうやらオオトミの話に必要以上に感情移入をしてしまったようだった。
「…………」
それに気がついているのは、トキヤだけのようだ。
離せと言うわけにもいかず、中途半端な姿勢のまま、話を続けざるを得なかった。
「家に戻るつもりは今のところはない、と?」
「当然! あんなところに居らンないっすよ! 今は他の―― 家を借りてる友達のところに置いてもらってるっていうか……」
「つまり、その場しのぎに居候生活をしてるってわけよ」
レイカが刺々しく補足をすると、オオトミはバツが悪そうに「そうっす」と頷いた。
「それで、今の話を聞いてどう思った? ほんとうに幽霊が居ると思う? その、「開かずの間」とやらに」
レイカの問いかけに、トキヤは顎に手をやって天井を仰いだ。
(――そうだな。彼が嘘を言っていないとするなら、その時「何か」が「開かずの間」に居た、ということになるんだろう。そう仮定するとして、妙なのは――)
「オオトミさん、ひとつ質問してもよろしいでしょうか?」
「え? あ、はい。全然、構わないけど……」
「あなたは例の二階の寝室に移った際、『もしかしたら、誰かが鍵を持って部屋の中に潜んでいるかもしれない、というようなことを考えた』と話しましたね?」
「そりゃ、そういうことも考えましたよ。でも――」
「しかし、あなたはボクにこうも言った。『霊能者なんだろう?』と」
「――は? それがどうしたって?」
「ねぇ、トキヤ。いいかげん、相手のレベルに合わせて話を進めることを憶えたほうがいいと思うわよ」
本日のレイカの苛立ちの矛先は、どうやら相手を選ばぬようだ。トキヤはわざとらしい咳払いをすると、
「……失礼。単刀直入にお訊きしますが、「生きている何者か」の存在を一瞬でも考えたことのあるあなたが、今はなぜ一連の音や声の主が"幽霊であると思い込んでいる"のですか?」
「それは――」
オオトミは一度口を噤んだが、観念したように続けた。
「調べたからっすよ。その、前の持ち主のこととか。気になったし、ほんとうになんかが居るとしたら、それこそ問題になると思って」
「なるほど。それは納得出来る話ですが、どうしてそういった結論に?」
「家の管理者に話をつけにいったンすよ。それで元の持ち主とかについて話を聞いたんですけど」
「何か有益なことは聞けましたか?」
「元の持ち主については、詳しく教えてもらえなかったっす。でも、夜中に変な声と音を聞いたんだって言ったら、『ついに君もそういうことを言い出したか』って言われて……」
(ついに言い出した、か。今回も根が深そうだな)
最近関わる事件は、どれもこれも根が深い。今回もそういう類でないといいのだが。内心そう願うトキヤであったが、現実はそう甘くはないようである。
「しつこく訊いたら、教えてくれたんスよ。……あの家、今の管理者が購入した直後に、"人死に"が出たんだって」




