#3
#3
「どう思う?」
「どう思う、と訊かれましても……」
トキヤが額に手をやったまま動かないので、業を煮やしたレイカがそう問いかけるも、現状では何も言うことがないトキヤには反応しようがないのである。
「この間のことで、私たちにとって信じられないようなことがほんとうに起こるんだなってことはわかったけど、眉唾な話をそのまま信じるようになったわけじゃないわ」
レイカとフウカは、なし崩し的に魔術によって引き起こされた不可思議な経験をした。
世の中には不思議な事が、信じられないようなことが、現実に存在している。彼女たちはそれを思い知ったが、それによってレイカの本質的な―― 懐疑的性格が変質を起こすことはなかったということだろう。
オオトミの告白を聞き、とっさにトキヤの顔が思い浮かんだレイカであったが、話をそのままこの場に持ち込んだわけではなかった。彼女は彼女なりに、オオトミの話が「どういったものであるか」を見極めようとしたのだ。
「詳しい話は今は省くけれど、とにかく夜中に特定の部屋から物音と声が聞こえるんですって。聞き間違いじゃないのかって何度も言ったんだけど、そうじゃないって。友達も聞いてるんだから、間違いないって言うワケ」
「友達、ですか?」
「なんでも、最初にその音だか声だかを聞いた時、友達を家にあげていたみたいなのよ。一人で住むには大きい家らしいから、たぶん溜り場みたいになっているんじゃないかしら」
「なるほど。そのオオトミさんだけではなく、複数の証言があるわけですね。その裏とりは――」
「もちろん、済んでるわ」
相も変わらず大した行動力であった。
レイカはオオトミの話によって上がった名前を片っ端から訪ね歩き、オオトミの話が真実であるかどうかの調査を行ったのだという。
「結果から言えば、嘘じゃなかったわ。――いや、まだ話が全部ほんとうかどうかはわからないか。少なくとも、オオトミ君と違ったことを話す人は居なかったわね。今のところは全員の証言が一致しているわ」
レイカは腰のポーチの中から古びた手帳を取り出すと、その内容を軽く流し見しながらそう断言した。全員の証言をすべて書き記しておいたのだというのだから、トキヤはさらに驚かされた。自分と同じようなことを、素人の少女が行っていたのである。
「その学生たちが意図的に話を示し合わせているわけでないのなら、"なんらか"の出来事が実際にその家の中で起こっている、と」
「私はそう思っているわ。……原因が幽霊なのかどうかは、知らないけれど」
「話は大体わかりました。それで、ボクからひとつ、お訊ねしたいことがあるのですが」
「なにかしら」
「結局、ボクに対する相談というのは、どういったことで?」
敢えて聞くまでもない雰囲気であったが、ここはハッキリさせなければいけないところであるというのは、前回の経験でトキヤが少しばかり学び取ったことであった。
「少しは自分の商売に自覚が持てたみたいね?」
「おかげさまで。……今のが返答であると受け取っても?」
「構わないわ。これは貴方に対する仕事の依頼の相談よ。まぁ、クライアントは私たちではなく、オオトミ君ということになるだろうけれど」
安堵したような、面倒なような。
複雑な心持ちで、トキヤは長く細く息を吐いた。
今は少しでも金銭が絡む仕事ならば、請け負っておきたいところであった。……それがたとえ、胡散臭い内容の事件であっても。しかし、訳もわからず飛びつくというのは、いくらなんでも格好がつかない。
「そうですね。現状ではまだなんとも言えません。依頼を受けるも受けないも、まずは本人から詳しい話を伺いたいところです」
トキヤは貧乏で、探偵としての実力は未だ低いが、それなりの矜持は持っている。
レイカの話は信用に値するとは思っているものの、世間的に見て「妙なこと」を口走っているオオトミなる人物が、正常な思考力と理性を保っている状態なのかどうか、自分の目で確かめる必要はあると感じた。もしもほんとうにオオトミの家で"なにか"が起こっているのだとしたら―― それを調べること自体は吝かではない。報酬が発生するのなら、なおさらである。
「ま、そう言うだろうと思ったわ。明日のこの時間に連れてくるということで、いいかしら?」
「そちらの都合がつくというのであれば、ボクの方は構いませんよ」
トキヤは返答しつつ、事務所を見渡す。気づいた時に小まめに片付けるように心がけているのだが、事務所は人をもてなすための部屋としてあまり相応しくない有様となっている。
部屋が散雑然としている原因はもちろん家主であるトキヤに原因がある。しかし彼は、散らかった事務所の様子を眺めるたびに、それがすべて自分のせいであるとは認めたくない気持ちになる。事務所にだらしない印象を与えている要素のほとんどが、事務机の上―― ソフィアの入れられた鳥籠の周囲に積み上げられた書物の山であるからして。
ソフィアは暇な時間をほぼ本を読んで過ごす。彼女は鳥籠の外には出ることができないので、本をとってやるのも仕舞ってやるのもトキヤの仕事だ。一日に数冊程度なら億劫に思うこともなかろうが、ソフィアの読書ペースは非常に速い。何十冊と取り出しては仕舞ってを繰り返していうるうち、トキヤは本を書架に戻す作業をおざなりにするようになった。
その結果がこれだ。出しっぱなしで放置された本の数は相当数となっており、元の場所に戻して整頓するには、うんざりするような労力が必要であることは明白である。
――彼女たちを見送ったら、大掃除だな。
トキヤは凝り性の完璧主義者である。一度何かを始めると徹底せずには居れず、その性癖が自分の首を絞めることが往々にしてあると知りながら、その何事に対しても極端な態度をどうしても正すことができない。掃除を始めれば、本の整頓だけに留まらないことは容易に想像がつく。
どうしてこうなってしまう前に、少しでも労力を減らすことをしなかったのか。過去の自分に呆れ返りつつ、思わず喉元まで出かけていた嘆息を飲み込む。
トキヤの視線を追って部屋を見渡したレイカは、部屋の印象が以前と比べて雑然としていることに今更気がついたのか、トキヤと目が合うとかぶりを振った。これが出会った当時の彼女ならば、事務所に立ち入った瞬間にダメ出しをするくらいのことはしたかもしれない。"姉妹にとって"不思議な体験を共有したせいか、彼女たちとトキヤの間には、妙な気安さが生まれていた。
「やっぱり、いきなり連れてこなくて正解だったかしらね?」
「ご配慮、痛み入ります……」
「とりあえず、掃除と―― そのお人形さんはどこか目の付かないところに仕舞っておくべきね」
事務所が散らかっている要因には察しがついたのであろうか。レイカがそんなことを口走ると、「人形ではないと言っておろうが」と、少しくぐもった声が部屋に響き渡る。なぜか魔術による言葉の直接転写を受け付けないレイカのため、ソフィアはわざわざ呪力を声に変えてみせるのだが、発生源は空間のどこでも構わないため、本来なら布に声が妨げられるということはない。わざわざ発生源を布の内側に絞り、そう聞かせているのだ。妙な芸の細かさに感心してよいやら呆れるやらで、トキヤは思わず情けない音の吐息を零した。
「そうしておきます。ところで、まだ戻る気はないのですか。……その、ご実家には」
「ないわね」
最近の悩みの種について訊ねてみるも、即答であった。内心頭を抱える想いである。
トキヤは現在、本来の「継承者」であるかもしれない姉妹から、ソフィアを預かっている状態である。それは敵対者の目的であるソフィアを引き離し、大企業である実家の監視下に在ればまず類は及ばぬであろうと判断してのことであったが、あろうことか、先日の一件のあと、レイカはアカギリを仕切っている彼女の祖母と喧嘩をして、家出をしてしまったのであった。
現在はカレッジ近くに家を借り、数人の使用人とともに暮らしているらしい。
余談であるが、その生活ぶりはレイカ曰く「かなり地味なものになった」ということだが、トキヤの生活環境には比べるべくもない。実際に確かめに行った彼は、ずいぶんと惨めな気分にさせられた。
「前のも言ったはずよ。心配する必要はないわ。自分自身の立場はきちんと理解してる。直接的な護衛にはシノが居るし―― それに、祖母も意地っ張りな人だけれど、私を完全に捨て置くだなんてしないはず」
「……つまり、監視や影の護衛がついていると?」
「間違いなく、ね。私のことだけじゃないわ。祖母は人一倍フウカを可愛がっているもの。危険があるかもしれないのにほうっておくわけがない」
「まったく考えなしというわけではなかったようですね。急ぐ理由もないからでしょうか?」
「他人に「自覚を持ちなさい」―― だなんて説教がましいことを言っておいて、自分に進歩がないんじゃ、滑稽もいいところだわ。違う?」
前回無謀な行動をトキヤに窘められたことに関して、レイカにも思うところがあったらしい。彼女は自分の益のためならば、自分の身の安全の保証さえ賭けてしまう危うさがある。それがいくらか改善したのだから、進歩があったとは言えるだろうか。――それで完全に納得できるわけではないのだが。
そのあたりの気持ちが、やはり顔に出ていたのだろう。レイカは勝ち気な笑みを浮かべると、
「心配してくれることに関しては素直にお礼を言っておくけれど、これは個人的な問題だから、私たちに任せて頂戴。こんな状況、いつまでも続くことではないのだし……」
最後の言葉は、どこか寂しげに聞こえた。
トキヤが巧い言葉を見つけられずに口を噤んでいると、レイカは場の雰囲気を振り切るように、勢い良く腰を上げた。
「とりあえず、今日のところはこれで失礼するわ。――フウカ」
姉の呼びかけに応え、フウカもまた立ち上がる。彼女は今回も積極的に口を開くことをしなかったが、やはり無関係というわけではなさそうだった。
トキヤが観察していた限り、フウカは何かを言い出そうとしてやめた、というようなしぐさを見せている。レイカが件の男子生徒・オオトミとの関係について話をしていた時だ。
それが今回の件にとって重要な事なのかどうかはまだわからなかったが、意図的に伏せられたものなのであれば、無理に聞き出す必要はないだろう。皮肉にもソフィアが言ったとおり、今やアカギリ姉妹とは会おうと思えばいつでも会えるような関係なのだ。
特に何を言うでもなく姉妹をエントランスまで見送ると、トキヤは事務所の入り口近くで立ち尽くした。
目の前には本の山。部屋中をひっくり返して掃除をしたのは、いつが最後だったか。開業前のことだったかもしれない。
「……骨が折れそうだな」
本人は独り言をつぶやいたつもりであったが、次の瞬間、気のない励ましの言葉が直接脳へ届けられた。まったく誰のせいだと思っているのか―― というような言葉は飲み込み、トキヤは手始めにと、うず高く積み上げられた本の山へと手を伸ばすのであった。




