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「それで、進捗は?」
二十五番地区。同地区にはとりわけ人の出入りが少なく、そしてもっとも治安が悪い―― 否。市警ですら容易に手を出せない、限られた負の聖域が存在していた。
こういった真のならずものたちの巣窟は他の地区にも存在していて、通常の倫理観を持つ者には立ち入ることすらままならない。秘密主義と悪意に充ち満ちており、少しでも好奇心を差し向けて探ろうものなら、その身を保証するものはなくなるであろうとさえ言われている。
――【番外】。悪意の温床たるそれらの場所は、そう呼ばれる。
同じ市内にあって不可侵であり、いくつもの暗黙の了解でかたちづくられた独立国家のような場所。そんな【番外】の一角にて、ひとつの会談が行われていた。
参加者は三人である。
最初に口を開いたのは、外套を纏い、深々とフードを被った得体のしれない人物であった。事の進み具合を訊ねるその声音には、いくらか剣呑な響きが含まれている。どうやら敢えて訊ねるまでもなく、「進捗」が芳しくはないと感じているようであった。
「今日のぶんの報告はまだ、ない」
フードの人物の問に淡々と答えるのは、フロックコートにトップ・ハットというような出で立ちの老紳士である。彼は少し離れた場所に立っており、壁に背を預け、決してフードの人物のほうを見ようとしなかった。
「――すでに探索を初めて一週間以上経つ。そろそろ何かを見つけてもかしくはないと思うが?」
「そうだなァ、もう少し頑張ってもらわねェと、頑張って動いてるおれたちが報われねーってもんだ」
フードの人物の、暗に責め立てる言葉に同調するようにして嘯いたのは、軽薄そうな出で立ちの青年であった。茶褐色の頭髪を煤烟る屋外で晒し、獰猛な野性味を湛えた瞳で、フードの奥に隠れた双眸を捉えんとしている。
「まるで他人事だな」
「他人事じゃァねェが、おれたちは探索に直接関わってるわけじゃねーんだ。ベツにおれたちがじきじきに件の屋敷に出向いても構わねェが、その場合―― 誰が"足止め"をやるんだ?」
「……脅しているのか?」
「冗談。おれァまだ消えたくないんでね。ただ、少しはおれたちの事情も察してほしいってことだよ。あんまり派手にゃァ動けねェんだ。わかンだろ?」
その問に、フードの人物は沈黙でもって答えた。
場を緊張感を孕んだ静謐が包む。その最中、新たな人物が闇の中からまろび出てきて、青年の前で跪いた。これといって特徴の無い顔立ちの、痩身の男である。
「――報告が」
「それは今、どうしても聞かねェといけないヤツなのか?」
青年は苛立たしげにそう言ったが、男は顔色一つ変えず、手に持った紙―― 新聞紙を青年へと手渡した。
「まずこれを見ていただければ、気分と考えが変わるかと」
「なんだァ、こりゃ。…………アァ?」
内容を確認した青年が、思わず声を漏らす。興味を示したらしい老紳士が身じろぎをしたので、青年はろくにそちらを見ようともせず、新聞紙を放り投げた。さして慌てる様子もなく、空中で広がりかけた新聞紙を受け取ると、老紳士は帽子のつばをわずかに持ち上げ、それに素早く目を通した。
「……ほう、これはこれは。厄介なことになったものだ」
「何事だ?」
「件の屋敷が、燃えたのだ」
フードの人物の問に、老紳士が淡々と回答する。
「燃えた? 何故?」
「おそらくはつけ火であろう。あの場所には出入りしている人間が居るとはいえ、生活している者はないのだから」
「なら、例の―― ヤツの孫娘たちが?」
「そりゃどうだろうなァ。火が最初に観測されたのは、午後二十二時ごろときてる。むしろそのころあの場所に居たのは―― ウチの連中だァな」
「どうやら、"何がしか"問題が起こったようだ」
「そうみてェだなァ。……チッ、報告が遅いと思ったらコレかよ。きっと現場じゃ"ヤキトリ"が出てくるぜェ。これ以上面倒事にならなきゃいいがなァ」
肩を竦め、事態を憂うような発言をする青年だったが、その言葉とは裏腹に、態度には深刻さが伺えなかった。老紳士は何事かを思案しているのか、眠るように瞑目している。
「一応訊いておくけどよォ、探索に行った連中は戻ってきたのか?」
「いいえ、まだ」
「そうかよ。……んじゃ、あのお嬢ちゃんたちの様子はどうだ?」
「……それが、担当との連絡が途絶えているのです」
「ンだとォ? いつからだ」
ようやく、青年の顔色が変わる。痩身の男は深々と頭を垂れ、続けた。
「二日前からです。昨日の朝、代わりの者を送ったのですが、その連中からの連絡もなく――」
「どうやらおれたちが「お仕事」してる間に、とんだことになってるらしいな」
「これからどうするつもりだ?」
「そうさなァ。【呪具】の類が火災ごときで失われるとは思えねェし、焼け跡も調べてみたい気はするけどよ」
「現在、現場には市警の調査隊が派遣されている模様です」
「だよなァ。こうあからさまな「事件」となっちゃ、しばらくあそこには近づけねェ。遠からずあの土地の所有者が誰かもバレっちまうだろうし、そうなったら余計に市警のマークが強くなるかもしれねーしな」
「"例のもの"が、すでに持ちだされた可能性も考えなくてはならないだろうな」
黙っていた老紳士が思い出したかのように呟いた言葉に、青年は無意識のうちに頷いていた。
「問題は誰が持ちだしたか、だ。お嬢ちゃんたちか、もしくはあの屋敷に火ィつけやがった"誰か"か――」
「お嬢さんたちは、あの場所に隠されているものの正体を知っている様子ではなかった。彼女たちが"例のもの"を持ち去ったという可能性は低いだろう」
「それなら必然と、アヤシイのは"誰か"のほうになるわけだ」
「これは憶測だが」
老紳士は壁に預けていた体を億劫そうに持ち上げると、青年のそばまで歩いて行って、初めてフードの人物と対峙するような立ち位置をとった。
「あの娘たちとその"誰か"はまったく無関係ではあるまい。彼女たちにつけていた監視の件もある。それがこのタイミングで消えた。……まさか偶然というわけではないだろう」
「それじゃ、何か。お嬢ちゃんたちがその"誰か"に命じてヤらせたって?」
「それはどうだろうな。彼女たちはあの屋敷に何が隠されているかも知らなければ、我々の存在にも気がついていなかったはずだ。そうでなければあのように堂々とした態度はとれまい。そんな彼女たちに従っていた者だというのなら、屋敷に火を放つという行為には"行き過ぎ"を感じざるを得んな」
「その"誰か"はお嬢ちゃんたちとは無関係じゃねェが、独自の思惑で動いてた可能性のほうが高いって? めんどくせェ話だ」
「――私たちと、あの娘たち。その他にあともうひとつ、何者かの意思。三つ巴だったわけだ」
フードの人物がそう締めくくる。再び沈黙が訪れた。
やがて、フードの人物は背を向ける。
「おい、どうするつもりだ」
そのままその場から歩きさろうとする背中に、青年が声をかけた。立ち止まったフードの人物は振り返ろうともせず、
「私は独自に動く」
「へえ、ついにドブさらいでもする気になったのかい」
「もっと建設的なことだ。少なくとも、おまえたちに任せきりにするよりは」
「辛辣だねェ。まあ、アンタが勝手に動くことにこっちから文句を言うスジはねェしな。ただ、共有はしてもらうぜ。同じ穴のムジナなんだからよォ」
青年の言葉に鼻を鳴らすと、それ以上何も言うこともなく、フードの人物は消えた。
「いまいち信用できんヤツだ」
フードの人物が姿を消した方面を見つめ、老紳士が呟く。
「そりゃ、お互い様ってやつだ」
青年は割りきった言葉を口にするが、やはり行動は裏腹なものである。忌々しげに地面に唾きすると、足を鳴らした。
「これから忙しくなるぜ」
「そうだな。お嬢さんたちの周辺も洗い直さなくては」
「まったく人形ひとつ手に入れるのに、面倒なことばかりだ」
「ぼやくな。【我らが主】にはアレが必要なのだ」
「わァかってるっつーの。とりあえず一度報告に戻るとすっか。末端に任せきりにするとロクなことがねェ。……おい」
青年は黙って控えていた痩身の男に流し目をくれた。
「はっ」
「体制を立て直す。一度全部の人員を撤退させとけ」
「承知しました」
男は慇懃に礼をすると、フードの人物が去っていった方面とは真逆の方向に消えていった。青年はやはり、その背中を見えなくなるまで睨めつけていた。
「ハインツ」
老紳士が、青年の名を呼ぶ。その目が「行くぞ」と促しているようだった。
「わかってるさ、ジーグ」
そうして彼らは帰ってゆくのだ。――彼らの主の下に。




