#29
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事務所のエントランス・ドアが激しくノックされたのは、激動の一日の翌日のことであった。
いつもどおりの時間に起床したトキヤは、大路に出て新聞を買い、ごくのんびりとした調子で朝の時間を過ごしていた。
無論、何もかもがいつもどおりというわけではない。
傍らには案外と口やかましい人形のカタチをした呪具があったし、それについて色々と考えるべきこともあった。その中でもとりわけトキヤを悩ませていたのが、関係者であるアカギリ姉妹とのコンタクトの方法について、である。
(すっかり忘れていたが、彼女たちは名家のお嬢様だったなあ……)
本人たちの前では口が裂けても言えないが、レイカとフウカは所謂「お嬢様然」としたところがあまり見受けられない。レイカはあの性格であるし、フウカは表立って跡取りとしての教育を受けていないこともあってか、下級市民であるトキヤと接するに当たっても、ほとんど屈託がない。
そのせいで―― というわけでもないが、彼女たちが雲の上の人物であるということを失念していた。アカギリの家からの正式な依頼でもないので、直接取次も願えないような状態である。トキヤの側から彼女たちと会話の場を設けるのは非常に難しいと言わざるをえない。
(いくら時間がなくて焦っていたとはいえ、訊くべきことも訊いておかなかったのは、失敗したな……)
つくづく、商売ごとには向かない男である。
趣味や才能、技能が高じて探偵となったトキヤであるが、それだけに思考が自身の中で完結してしまうことが多い。それが悪癖であることは認識しているのだが、なかなか改善が見込めない。何しろ夢中になると極端に視界が狭まるのである――。
さて、今後はどう動くべきか。
正式な報告も済ませていない、「説明する」と言ったきりのこともある。
もう一度アカギリ姉妹に目通りしたいところではあるが、現状ではコンタクトの手段がない。
頭を悩ませつつ、もはや「飲むこと」事態が習慣とかした珈琲を啜る。考え事をしているとあっという間に時間がすぎるものだ。せっかく買いに行った新聞を広げることもなく、傍目から見ればぼうっとただ時間を過ごしているだけのようにも見える。……その状態で、起床してから一時間以上が経とうとしていた。
午後十二時間際。そろそろ正午を告げる鐘が鳴り響こうかという時に、それは訪れた。
『主様よ。誰かが戸を叩いているようだが?』
「ん……」
思考に埋没していたトキヤの思考が、脳内に焼き付けられた言葉によって浮上する。主の上の空な態度に、傍らで読書をしていた―― 籠の中から小さな手を伸ばしてたいぎそうに頁をめくっている―― "それ"は溜息をつくような素振りを見せた。
『しゃっきりせぬか。仕事の話やもしれんぞ』
「ウチのような零細事務所にそう連日依頼が舞い込んでくるとも思えませんが」
『何を腑抜けたことを言っておるのだ! ホレ、なにやらただならぬ様子であるし、はよう行ってやれ』
トキヤを仮の主であると認めたらしい"それ"であるが、心なしかそれまでよりも態度が軽くなったというか、じぶんの扱いが悪くなったというか。そのような釈然としない気持ちを抱えつつ、トキヤは身だしなみを整えながら席を立った。
確かに、ノック音は激しい。よほど焦っているのか、それとも苛立っているのか。
相手の精神に余裕が無い時こそ、こちらは冷静に対応しなければならない。悠々とした調子でエントランスに向かい、扉に向かって「今開けますよ」と声をかけながら開く。
「……ごきげんよう」
果たして、扉の先に居たのは、息を切らした様子のレイカ・アカギリであった。
不穏な声音での挨拶。トキヤは睨めつけるかのようなレイカの表情に、冷静に努めようとしていた気持ちをさっそく乱された。
「……いったいどうされたのです?」
挨拶を返すことも忘れたそう聞き返すと、レイカはようやくじぶんの乱れきった姿に気がついたとでも言うように、ハンカチで軽く額を拭うと、大げさなほどの深呼吸を繰り返し、言うのだった。
「とにかく、中に入れてくれるかしら。話したいことがあるのよ、色々とね」
さきほどまでゆったりとした時間が流れていた事務所には、妙な雰囲気が漂っていた。
話したいことがある、と言っていたレイカは事務所に通されるなり、来客用ソファに体を沈め、名目したまま動かなくなった。疲れから、というわけではなさそうである。柳眉はひそめられ、何事かを必死に思案しているような様子である。
傍らでは、何も言わない姉に不安げに視線を投げかけるフウカが居る。その視線は時折トキヤにも向けられるが、彼もまた場の雰囲気に閉口しているうちのひとりであった。
ただひとり我関せずと読書に興じている"それ"が頁を繰るかすかな音だけが、無闇と室内に響き渡っていた。
「何から話してよいか、ちょっと見当がつかないのだけれど」
ようやく口を開いたレイカの言葉。ため息まじりであった。
「とりあえず、なんでもいいから今日の新聞には目を通した? 『新都新聞』あたりを読んだのであれば、話が早いのだけど?」
「新聞ですか?」
思わぬ切り口に首を傾げるトキヤ。
「その様子だと、知らないみたいね」
「待ってください。新都新聞なら、ちょうどここにあります」
奇しくも、トキヤが買ったまま放置していた新聞が、レイカの言う『新都新聞』であった。
新都新聞は昨今の流行りであるレッド・トップス系の大衆紙とは異なり、やや硬派な記事が売りで、中産階級以上の知識人にも愛読されている新聞である。誤報および虚報がほとんどないので、トキヤも時折目を通すことにしている。
事務机の上に置きっぱなしにしていた新聞を手に取り、レイカの指図通りの記事に目を通したトキヤは―― 思わず目を見開いた。
――二十八番地区にて、屋敷一棟が全焼する火災が発生。そこにはそうあった。
「……『火災にて崩壊した件の屋敷には周囲に隣接した建物がなく、被害拡大はしなかった。出火の時刻はおよそ二十時から二十一時の間と見られ』―― この識別番号は、まさか」
思わず地図を探して視線を走らせるトキヤを制し、レイカは頷いた。
「お察しの通り。燃えたのは祖父の屋敷よ」
どうやら私たちがあの屋敷を出たあと、誰かが火を放ったらしいわね、と。
レイカの淡々とした言葉に、トキヤは言葉を失った。
これでは話の切り口に困るのも頷ける。昨日の出来事に関して、いずれなにがしかのリアクションがあるものとは考えていたが、ショウダイ・マミヤの屋敷が放火によって焼失するなどとは考えもしなかった。
(……あまりに急展開すぎる)
頭を抱えたくなる衝動に駆られる。無言で新聞を放り出し、言葉にならない唸り声を上げるトキヤ。
「これって、そこのお人形さんを狙ってたっていう【組織】の仕業なのかしら」
「だから、人形ではないと言うておろうが」
なぜか魔術による言葉の直接転送を受け付けないレイカが同席しているため、"それ"はわざわざ魔術でつくりだした「音」で声を形成する。
「連中の目的はわらわを破壊ないしは封印することであろうから、わらわごと屋敷を焼き払ってしまおうと考えた、と憶測できなくもないが――」
「おそらく、そういう魂胆ではないのでしょうね」
引き取ったトキヤの言葉に、"それ"は「だろうな」と大げさに頷く。
「組織の仕業ではないということ?」
「それはわかりませんが、少なくとも彼らが最終的な目的のために火を放ったのだとは思えませんね」
屋敷に侵入していたと思われる【組織】こと【焚書会】の人間は、特に慎重派であった。その気になれば口を封じることも簡単であったはずの姉妹に接触しようとせず、行動も人目を忍んでいる。
元々呪具の破壊を目論んで火をつけるような短絡的な思考の持ち主であれば、それを"最初からやっていた"可能性が高い。少なくとも、同じ人間の一貫した行動だとは思えなかった。
「火を放ったのが彼の組織であるなら、何か状況が変わるような事があったのかもしれません」
「状況の変化、ねえ。例えば?」
「例えば―― そうですね。どうしても消すことの出来ない痕跡が残ってしまった、とか。……ダメですね。確たることが何ひとつない。今の段階でこれ以上この事について話してもムダでしょう」
なんにせよ、状況が変わったのは確かである。
こんなにも早く、そしてこのようなカタチで変化が訪れるとは思いもしなかったが、警戒するに越したことはない。
「身の振り方を考えたほうが良さそうですね。何が起こるか予想もつかない。……引き続き、呪具のことはボクが預かるということで良いでしょうか」
「それは構わないけど、あなたはどういうつもりでいるわけ?」
トキヤは端的に、昨日まとめた考えをレイカに伝えることにした。
ショウダイ・マミヤの真意について、まだ判明していないことがある。そう話すと、レイカは目をパチクリとさせて、珍妙なものを見たような表情で言う。
「気にはなることだし、調べたいというのなら止めはしないし協力もするけれど、それは私の「依頼」の中には含まれないわよね?」
「あなたの求めには表面的に答えましたが、完全とは言いがたい。曖昧なままではどうにも、ボクの主義に反するもので」
昨日この場所で行われたやり取りなどはお首にも出さず、トキヤは答えた。
実際の所、トキヤがこの事件を深追いするのには、純粋な興味の他にも理由があった。レイカやフウカへの義理という建前もまったく嘘であるとはいえないし、何より魔術絡みの事件を放置しておくと、のちに災害レベルの出来事を引き起こす恐れがある。今回の件にはその兆候があった。
トキヤはショウダイ・マミヤは何かを強く"恐れていた"のではないかと憶測している。条件次第で引き起こされる"深刻な出来事"を回避するために悪あがきをしていた。――トキヤにはそんなふうに思えてならないのだ。
その予感がもし正しいものであったならば、トキヤ一人にはどうにも出来ないかもしれない。だが、何も知らなければそもそも手段を講じることも出来ないのである。
(何も知らないまま「結末」を迎えるのは御免だ)
その想いこそが、根幹である。真実への欲求も何もかも、すべてはそこに集約されるのだ。
殊更真面目くさった表情のトキヤに、やや冗談めかされた話を聞かされていた"それ"は物言いたげな様子であったが、何も言わなかった。一方レイカはトキヤの表情に感じ入る物があったのか、自信も表情を消して頷いた。
「……わかったわ。どうせ私たちの手元に置いておいても仕方がないものだし、あなたに任せるわ。納得のいくところまでやって頂戴」
「ありがとうございます」
「それと、報酬の話なんだけど」
「未だ何もかも保留にしている状態ですし、すべてが判明してからということにしませんか」
今のままで金を受け取るのは、正直気持ちが悪い。
トキヤの潔癖な態度にあっけなく表情を崩したレイカは、呆れを宿した苦笑を浮かべる。
「少しは筋を通させてほしいものね。……調査費ということで、少しは出させてもらうわ。それと、あなたの叔父上に支払った紹介料のことなら、気にしなくて結構。あの場でもそうだし、あなたの働きについても納得づくだしね?」
「……では、最低限、頂いておくことにします」
「矜持があるのは結構だけれどね。それとこれとは話がベツ。あなたも商売をやっているんだから、そのあたりのことは意識しなきゃ。そのうち干上がってしまうわよ?」
「面目次第もございません」
趣味や主義では飯は食えないのである。
そのあたりの意識に関してひとしきりのレクチュアがあったあと、不意にレイカが手を打った。
「――ああ、そうだ。もうひとつ「問題」があったわ。といっても、個人的なことだから、単なる報告ということになるけれど……」
「まだ、何か?」
なぜか背筋がぞっとするような悪寒を感じつつ、トキヤは訊ねる。
――果たしてそれは、事態の混迷を深める答えで。
それによって、シュトに数居る探偵の一人に過ぎなかったトキヤ・カンザキの物語は、波乱の展開を迎えるのであった。
「実は私たち―― 家出、しちゃったのよね」
― 第一章 魔術師たちの昏き憧憬 完 ―
これまでお読みいただきありがとうございます。第一章完結になります。
この後に断章を挟み、しばらく更新はストップいたします。
具体的な日数は不明ですが、一ヵ月以上の見込み。詳しくは活動報告にて。
※あくまでも更新停止ではなく「執筆期間」なので、ご了承くださいませ。
※これ以降の構成は旧版とはほぼ別物となっております。こちらも詳しくは活動報告にて。




