#25
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「……ごめんなさい、少し待ってもらえる? 頭のなかが混乱してきたわ」
レイカが額に手をやり溜息をつく。
「そうですね」
トキヤは彼にしては珍しく気のない返事をしながら、懐から手帳を取り出す。それまでに得た情報と今"それ"から聞き出した話の整合性を計るつもりであるらしい。
「ここで少しばかり、情報を整理してみましょう。ショウダイ・マミヤ氏は『生ける魔術書』―― いえ、生ける『魔導書』とでも言うべき呪具を手に入れ、なんらかの魔術的な契約を交わし、魔術師となった」
「何のために…… っていうのは、まだわからないのよね。そういう話はまだ出ていなかったはず」
「なんのためにあやつが魔術を欲したのか。今はそれについて語るべきときではない、とわらわは考える」
"それ"は頑なな態度だ。よほど強くショウダイが望んだと見え、彼が死んで契約が「ないもの」となった今でも、それを違える気はないようだ。「話す気がない」と言っているわけではない所が気にかかるところではあるが、今は追求しても答えを得られる状態ではない。
「――ということですので、それについては保留です。……いいですか。魔術師となったマミヤ氏は、なんらかの望みを叶えたことでしょう。その代償として、呪具を秘匿する義務を負いました」
「わらわには少しでも長く、秘密で在れる場所が必要だった。幸い、ショウダイがわらわを手にしたのは偶然も偶然。そこには当事者の意思すら介入する余地もなかった。そんなことであったから、あヤツがそしらぬ顔でわらわを隠し続けていれば、かなりの時間が稼げると思うていた」
「実際、あなたは十年近くもの間、誰にも見つからず過ごすことが出来た。しかし、何事にも限界というものがあった。どういうことがきっかけとなったかはわかりませんが、マミヤ氏が生ける知識を所有しているということが、最悪の相手に察知されてしまった」
「それがあの、さっき言ってた【焚書会】? だったかしら?」
「ヤツらの真の目的はわからぬ。だが、世界中に散らばった数十冊ほどの特に重要な魔術書―― 魔導書をかき集め、燃やし、その深遠なる知識を灰燼に帰そうとしているのは確かなことだ」
「二百余年も世界を渡り歩き、知識を吸収し続けた呪具。いったい魔導書何冊の知識が詰まっているやら…… そんなシロモノを、魔導書をこの世から消す目的を持つ人間たちがほうっておくとは思えません」
「ヤツらは執拗だ。だが、理性がないわけではないようだった。ショウダイは度々言っていたよ。遠回しにわらわを引き渡すようにと、何度も説得を受けたと」
「彼はそれに応じなかった」
「バカなことだ。……いや、感謝こそすれこのようなことを言える立場ではないな、わらわは。しかし、わらわとの契約を守り通した結果が"これ"では滅入るというもの……」
「それじゃあ、やっぱり」
レイカの声が上ずり、裏返った。
おそらく理解したくなかったのだろう。
レイカは何故祖父があのような目に遭ってしまったのかが知りたかった。だが、この場において明らかになっていったいくらかの真実によって明らかになってきた祖父の死の真相は、彼女にとっていかにも理不尽であったに違いない。
まるでつくり話の登場人物のように、ショウダイ・マミヤは殺されてしまった。
いくらそれが紛れもない「真実」であったとしても、それが真実となる世界で生きてこなかったレイカにとっては、理不尽で不謹慎な冗談のようにしか聞こえない。
握りしめた拳に力が篭っていた。ようやく彼女は理解したことだろう。人の死は時に、理屈で乗り越えることが出来ないということに。
「祖父を殺したのは、その連中なのね?」
怒りと戸惑いと悲しみが綯い交ぜとなった表情で、噛みちぎるように言葉を発する。
「おそらくは、説得に応じないことに業を煮やしたヤツらの仕業であろう。ショウダイの行動範囲はごく限られていた。だからあヤツを殺し、鍵を奪って家探しを……」
やや間を置いて、"それ"が答えた。何もかもを諦めたような声音だった。
「どうして――」
嗚咽が漏れた。気丈なレイカの双眸から、ついに涙が溢れだす。
「どうして祖父は死ななくちゃならなかったの……? どうして、私たちに"こんなもの"を託そうと考えたの……? どうして……」
繰り返される「どうして」の言葉は、決して理屈を求めるためのものではない。それをこの場にいる全員がわかっていた。だからこそ、誰もが口を閉ざして黙り込んでいた。
レイカの手をただ握りしめていたフウカが、腕を抱き、寄り添い、肩に頬を触れさせる。彼女もいつの間にか泣いていた。声もなく、ただ涙を流している。それは自分の気持に整理がつかなくて泣き出したレイカに感応したために流れた涙であった。姉の悲しみは彼女の悲しみなのである。
極東の美しい少女が体を寄せあってさめざめと泣く様は、見る者に言葉を失わせるだけの迫力があった。
ややあって、
「時間がない……」
と、"それ"がつぶやいた。
それに感化されたトキヤが預かっていた時計を取り出してみてみると、時刻はそろそろ「夜」の時間帯にさしかかろうとしている。
トキヤが顔を上げると、"それ"が真っ向から彼を見つめて言う。
「こうなっては仕方あるまい。……なんじに問おう。もはやこの場でもっとも正確な判断を下せるのは、なんじを置いて他にない」
「ボクは雇われの身なのですが」
「くだらぬ冗談を言っている場合ではないのだ」
部屋に響く声には、いよいよ逼迫した雰囲気が備わっていた。
「改めて、問おう。なんじはわらわをどうするべきと考える? わらわは多くの魔術師の求む知識を秘めた、純粋な力のようなものだ。本来は世に放たれて良いものではなく、放置すればどのような災禍を生むかわかったものではない。――だが」
――このままこの場に放っておけば、わらわは"ヤツら"の手によって闇に葬られるだろう。
自らの末路を語るには平坦すぎる声音で、"それ"は語る。
「放っておきさえすればよいのだ。それで負の連鎖は終わる―― はずだ。わらわが『生ける魔導書』として存在を抹消されれば、そこな娘たちが厄介事に巻き込まれることもない。それを理解した上での質問だ」
わらわをどうする、と。
選択。それがこの場所で自分を発見した者の権利であり、義務である、と。
「あなた自身はどうなのですか」
「先に言うたとおりだ。わらわにはなんじの選択に口を出す権利も、何かを望む権利もない」
「――やれやれ、一介の探偵には荷が重すぎる決断ですね」
どうしてこんなことに。トキヤもその言葉を口にしたくなった。
まさかこのような最終展開を迎えようなどとは、依頼を受けようと思ったときには夢にも思わなかった。
これは重要な選択である。
すべてを見なかったことにするにはトキヤには知識がありすぎるし、すべてを負うにしては知識も経験も半端すぎた。
本音を言えば、目の前の「問題」を見なかったことにしたい。本人も言うとおり、"それ"は扱い方次第では極めて危険な呪具であるし、ほんとうにまっとうな方法で処分されるのであれば、それはそれで良いのではないかと思わなくはない。――が。
(どうも、気になることがある。まだ、ボクのなかで解決していないことが多い)
手元で開いたままの手帳に目を落とす。そこには未だ整合性の取れていない、かすかな矛盾が存在していた。トキヤ・カンザキという男は、こういった細かな「不詳」をどうしても無視できない。
(おそらく、呪具は嘘をつけない。質問に対する回答を拒否することはできるが、道具としての本質的に嘘を言うことは出来ない。そういうふうに"できている"んだろう)
意思や感情が存在しているというのは、難しいことだ。"それ"は情報を扱う呪具だが、意思や感情が備わっていることにより、どうしても純度が失われている。"それ"が話す「嘘のない事実」には、"それ"自身が考え、感じたものが主観として混じっている。
(話自体に不自然さはない。当然か。あくまでも呪具の立場から見た場合の話の整合性は取れている。――が、結論を出す側としては気にかかることが残リ過ぎている)
特に、ショウダイ・マミヤの行動についての疑問点が多い。ここに関しての情報が現時点で一切入っていないのが致命的だ。
実質的な「詰み」の状態である。結論を求められているこの場面で、まだ明かされていない部分が存在しているのは非常によろしくない。足りなければ情報を収集しなおせばいいだけの話であるが、「この場」はこれ以上長続きさせられないのだ。
(――時間をかせぐ必要がある)
"それ"は貴重な情報源だ。今失ってはこれ以上の情報収集は見込めない。しかし、だからと言ってショウダイ・マミヤが選んだ後継者として、魔術をほとんど知らぬアカギリ姉妹にそのまま託してしまうわけにもいかない。
(この場での最善の選択は――)
どうやら、この厄介事からは逃げられぬらしい。
背中を濡らし始めた嫌な汗。ごく自然に口を割って出てきた嘆息。
関わるな、やめておけと訴えかける体の訴えをまるっと無視し、トキヤは言葉を絞り出す。
「――レイカさん、フウカさん。とりあえず今日の所は、ボクが呪具を預かろうと思います」
トキヤの中で出された結論。それは―― 保留であった。




