#24
「少しは理解できたか? わらわは厄介な記憶や記録の詰まった記憶装置ということだ。一般人にとっては限定的な価値を持つものでしかないが、魔術師にとっては違う。――自分で言うのも何だが、わらわは力を求める魔術師にとっては至高の呪具であろう」
「つまり、あなたはとんでもない貴重品ということよね? なぜこんなところに」
「わらわは匿われていたのだ。契約のためにな」
「契約?」
「そうだ。……といっても、呪のやり取りもない口約束のようなものよ。"あヤツ"もよく、守り通す気になったものだ。とはいえ、もうその契約も無いものとなった。今、わらわを庇護するものは何もない」
「これから、どうするおつもりですか?」
トキヤの問いかけに、"それ"は小さく首を振った。
「わらわには選択権などない。望みを言う権利もない。この場でわらわを見つけたなんじにらにこそ、その権利がある」
「ボクらに……」
「だが、こうしてなんじらがわらわを見つけることになったのは、偶然などではあるまい」
「どういう意味かしら」
「汝らは選ばれたのだ。わらわを受け継ぐものとして」
レイカは何事かを考えるような仕草と表情を作ったが、その実まったく考えが取りまとまっていないことは、泳ぎに泳ぐ視線を見れば一目瞭然であった。
「私にはその、魔術だか魔法だかはよくわからないのだけれど」
「ほんとうなら、知るべきことではなかった。たとえ断片だけだろうと、知ってしまったことは己の不幸となるだろう。――だが」
一瞬、トキヤの目には"それ"が悲しげに目を伏せたように映った。
「"あヤツ"はどういうつもりか、それを承知してなお、なんじらを"選んだ"のだ。別の者の助力を得たとはいえ、ここへと辿り着いたのなら、"そういうこと"にほかならない」
「……何を言っているの?」
"それ"の意味深な言い草に、レイカは思わず問い返す。しかしその声音は、どこか返ってくる回答を予感しているようにも聞こえた。
「今更是非もない。なんじらの祖父のことだ、娘達よ。あヤツはなんじらをみずから選んだのだ。……わらわを託す相手として」
場に沈黙が訪れる。
この場で行われている会話は、ひとつの結果だ。
隠されていたものを暴いたために。そして、隠し事をしていたのは誰か。今更議論する必要もない。
「……トキヤから聞いたわ。祖父はその、魔術師だったと。本当のことなの?」
重苦しい口調でレイカが尋ねれば、"それ"は頷いた。
「そうだ。あヤツは魔術師であった。……いや、元々はこの世の理不尽を知る"ただの"人間に過ぎなかったのだ。あヤツを魔術師たらしめたのは、他でもない。わらわだ」
"それ"は誰もいない虚空を見上げ、眉間にしわを寄せた。
「十年以上も前のことだ。とあるきっかけであヤツはわらわを手にし、魔術師となった。あヤツは知識を求み、わらわがそれに応えたのだ」
「――どうして」
「そうする必要があった。あヤツの置かれた状況はそういうもので、わらわもそれが最も冴えた選択肢であると断じたのだ。……悪いが、それ以上は言えぬ。それもあヤツとの契約のうちだ」
ショウダイ・マミヤは魔術師だった。
約十年前、一般人に過ぎなかったはずの彼は、偶然手にした"それ"と某かの契約を交わし、みずから手を染めたのだ。魔術というヒトの世の理を捻じ曲げる外法に。
「それはたしかに、祖父の意志、だったの?」
「それをわらわに訊くのはちと、意地が悪い。……提案はわらわがした。決めたのはあヤツだ。――あヤツは。ショウダイは…… 死んだのか?」
「死んだわ。……全身の骨を砕かれて」
「そうか。結局逃れられなかったのだな」
予感はしていたことだろう。改めて知らされた死を悼むかのように"それ"は目を閉じ、
「わらわは」
見開く。その瞳はあいも変わらず美しい瑠璃色をしていたが、トキヤの目には悲しみに色がくすんでいるように視えた。
「わらわはこれ以上、あヤツの死に対して何かを言う権利を持たぬ。後悔がないといえば嘘になるが、どれだけ悔いたところでわらわは所詮道具。何かが出来たわけでもない」
その声音はどこか平坦なものに聞こえた。おそらくはそういうふうにつくっているのだろう。
部屋に響いているのは、魔術で生み出した「音」でしかない。"それ"本来のものではないのだから、感情をあえて隠すことは可能だ。
しかし、魔術というものは使用者の精神力に強い影響を受ける。"それ"が改めて聞かされたショウダイの死に、ショックを受けていることは明らかだった。よく耳を澄ませていれば、魔術によって生み出された声音にわずかなノイズが含まれていたことに気がつくことが出来ただろう。
――もっとも、そのようなことに気を配るような精神的余裕を有していたのは、この場においてショウダイ・マミヤと直接的な関係を持たないトキヤただひとりだけであった。
「これからの話しをしましょう」
レイカが言った。彼女の声はわかりやすく震えていた。その心中がどのような様相を呈しているのか、察するに余りある。トキヤにも身内を失った経験はある。だが、その苦しみや悲しみは人によって質が異なるものだ。理解した気になるのは傲慢というものであろう。
「あなたが祖父と何をしてきたのか、私にはわからないわ。魔術というものもよくわからない。でも、あなたと魔術が祖父の死に関わっているということは、よくわかったわ。そうなんでしょう?」
おそらく、レイカにそのつもりはない。だが、その口調にはどこか詰問めいた響きが伴っていた。
レイカは公平な精神を持ち合わせている。自分の感情ばかりを押し出して、一方的に相手をなじるような行為を恥じと見るような性格だ。
しかし、彼女の性は女であるということから逃れられない。どうしても抑えきれない本音が、社会的な建前の一部を突き崩している。
レイカは泣きそうな顔をしていた。初めて見る表情だった。
フウカが後ろから、姉の手を握った。心の痛みを堪え、みずからの存在を訴えかけ、優しく包み込むようにして。
フウカの精神は脆い。だからこそレイカが矢面に立つ。
フウカはレイカに守られて生きている。だが、それだけではない。その光景を見ればわかることだ。
姉妹の絆は、外側から見るよりもずっと強固なものだ。少なくとも、一方的な感情によって成り立っているものではない。
レイカが剣と盾を携えた騎士なれば、フウカは帰るべき故郷のようなものだ。
いくら強靭な騎士であっても、その疲れや傷を癒やす愛すべき故郷なくしては、立ち上がることかなわない。レイカがフウカを守り、フウカがレイカを癒やすからこそ成っている関係なのだ。そこに鬱屈した感情は認められない。互いが互いの役割を意識せずとも認識しているのだ。
レイカはぶるりと一度体を大きく震わせると、毅然とした表情に立ち直り、"それ"の言葉を待った。
「――そうだ。晩年、あヤツはとある【組織】の者に執拗に身辺を囲われていた。無論、魔術に関わる者達だよ」
「その、【組織】というのは」
思わず訊ねたのはトキヤだ。
かねてから「個人が動いているわけではない」と考えていたトキヤにとって、"それ"の言葉はある意味予想通りのものだった。
"それ"はすこしばかりためらいを見せたが、そこまで喋ってしまえば同じと思ったのか、言いよどむことはなかった。
「正式な名称はない。ただ、その組織を知る者たちからはこう呼ばれている。【焚書会】、あるいは【憧憬を奪いし者ども】と」
焚書会、憧憬を奪いし者ども。
どちらも気にかかる字面だ。トキヤは少しだけどう問いかけるべきかを悩んでから、
「……【憧憬を奪いし者ども】という呼称の由来をお訊きしても?」
「なんじは、魔術書ならぬ【魔導書】というものを知っておるか?」
「ええ、話に聞いたことは。実際に見たことはありませんが」
【魔導書】。それそのものは魔術書となんら変わりはない。魔術師によって書かれた、魔術に関する書物である。
他と違う扱いをされる理由は実に様々だ。気の遠くなるような古の時代に記されたもの(あるいはそれの写本)であるとか、禁術やそれまでにない発見を文章にしたものであるとか、『魔』に『導く』という文字通り、優れた知識の宝庫であるとか――。
通常、魔導書は著者の名前か、著者不明ならば発見者の名前が冠される。魔導書として選定されている書物の数は多くはないが、ものによっては写本が複数存在している場合もある。
特記すべくもなく、魔導書の入手は極めて難しい。望んで実際に手にすることができる魔術師はそういない。多くの場合、魔導書を手にするためには魔術の心得のほか、社会的な地位や金、コネクションが必要となるからだ。
「もはや今となっては旧い風潮だが、魔導書を手にしたものは大いなる魔術の力を得るとされる。まぁ、間違ってはいまい。知とは力なり、だ。知ることで得られるモノは大きい。それが魔導書に選ばれるような書物から得たものであるなら、なおさらだ」
「魔導書は魔術師にとっての宝だといいますからね。……あなたのみずからが『至高の呪具』であるという主張には頷けます」
「そう、そうなのだ。わらわとあヤツの周囲を取り巻いていた問題の正体は、まさに。――魔導書とは魔術師の「あこがれ」なのだ。盲目的な者ならば、それがどういうものか知らずに魔導書を求める。そういうものだ。ヤツらは、【焚書会】はそういった「あこがれ」の的である魔導書を焚く事を目的に活動している連中だ」
「……まさか」
「なんじの考えていることを当ててみせようか。そうだ。それがヤツらが【憧憬を奪いし者ども】と呼ばれる由来であり、あヤツ…… ショウダイが、わらわの所持者であった魔術師が執拗に追跡を受けていた理由でもあるのだ」




