#23
「大丈夫よ。別に噛みつきやしないわ」
「そ、そういうんじゃ、なくて……」
その場から動こうとしないフウカの腕を、レイカが取った。
フウカはその場に踏ん張って粘っていたが、これ以上不毛な争いをしても得にならないと感じたのだろう。結局得体のしれない人形の前まで引きずり出されてしまうことになった。
狭い部屋に三人が立ち並ぶ。鳥籠の中の"それ"は自身に注目が集まっていることに満足がいったのか、二、三度頷いてみせた。
「うむ、これでようやく話を続けられそうだ。これからは横道にそれぬようにしたいものだな。余計な時間はつかいとうない」
「それについては同感です。――それで、改めてお尋ねしたいのですが、あなたはいったい"何"なのですか? ボクたちについて、知っていることがあるのですか?」
トキヤが代表して口を開く。
結局のところ、この呪具を名乗る人形もどきがなんなのか、少しも明らかにされていないのである。先ほどの問答は、アカギリ姉妹が現れたことによって、リセットされてしまった。
「なんじに関しては、最低限の事しかわからぬ。なんじ一人でこの場に現れたのなら、なんじが何者か意地でも明らかにしなければならぬところだったが、そこな娘たちと共に参ったというならば、話は別だ」
「彼女たちをご存知で?」
脇目で姉妹を見やるが、ふたりとも不思議そうな顔をしている。前に面識―― といってよいやらわからないが―― があるわけではなさそうだ。
「顔は知らなかった。だが、"あヤツ"に孫娘が二人いるということは知っていた。……一応訊ねておくが、なんじはその娘たちの同伴者ということで相違ないな?」
「……ええ、ボクは彼女たちに雇われた探偵です」
「なるほど、なるほど。嘘はないようであるな。……いいだろう。汝らの質問に答えよう。わらわに"ゆるされた範囲"でな」
"それ"はゆっくりと息をつくような素振りを見せる。無生物の体という言葉に違わず、息吹は感じられない。
「まず、わらわは"何"であるか、だったか。そこの男は多少心得があるようだからわかっているのだろうが、わらわは特別な目的のためにつくられた【呪具】である」
「じゅぐ……?」
魔術の知識がない姉妹には馴染みのない語彙だ。
思わず首を傾げるフウカ。レイカは顎に手を這わせ、なにやら厳しい表情で"それ"を見つめている。
「その、呪具というのは?」
「知識のないものに説明するのは難しいな。単独でここまでたどり着けるような者であれば、今更説明など不要だったのだがなぁ」
「悪かったわね。私は一般人なの。魔法? には詳しくない」
「まぁいい。……呪具というのは、魔法の道具の中でも邪法を用いて生み出されたもののことを言う。あるいはとりわけ危険な力を秘めたものと言い換えてもいいかもしれぬが、正確ではないな」
「いまいちピンとこないわね」
「そうであろうな。ま、前提となる知識はあとでそこの男にゆっくりと訊くがよいだろう。今はわらわが道具は道具でも"ただ"の道具とはわけが違うのだということだけ理解していれば良い」
「なんだか煙に巻こうとしてない?」
「安心しろ。わらわは"そのようにできていない"。ただ、今は悠長に説明しているだけ時間が惜しいのだ。こうしてわらわの居場所が暴かれた以上、ことは迅速に運ばねばならぬ」
「それって、この屋敷に誰かが入り込んでいるっていう話と関係がある?」
「むぅ、やはり賊が入り込んでおったか。それはいよいよ急がねばなるまいな」
話が逸れた、とさらに問答を重ねようとするレイカを制し、"それ"は言う。
「わらわの呪具としての役目は、あらゆる知識の『収集』、そして『管理』だ。これがどういうことか、わかるか?」
"それ"の問いかけに大きく反応を示したのは、トキヤだけだった。
話のスケールがつかめないのか、姉妹はきょとんとした様子である。
「それはつまり、あなたは見聞きしたことすべてを『記憶』し、その『知識』をどう扱うかを自分で判断するという―― 謂わば『機能』を有していると。そういうことですか?」
「左様。……これでわらわがどれだけの危険性を秘めたものであるか、理解したか?」
「待って。イマイチつかめないのだけど」
レイカが慌てて制する。そのまま放っておけば自分たちを置いて話が進んでしまいそうだったからだ。
"それ"は、小さな人差し指を立て、
「――知識とは、本に書かれていることや、ヒトから教わるものばかりを指し示すのではない。……そうだな、そこの男が言ったことのほうがわかりやすかろう。わらわはわらわの目で見、耳で聞いたことを"絶対に忘れぬ"のだ。それがどれだけ取るに足らぬものであってもな」
人の言葉、行動。すべて。"それ"は忘れぬというのだ。
「そしてわらわは、自分の『知っていること』をどう扱うかを判断するという機能と権限を有する。わらわに一度情報を握られた者は、確実に"秘密を失う"のだ。それだけでも致命的だろう?」
「こ、子供の頃のイヤーな思い出をほじくり返されるとか……?」
「……そのようなことで済めば良いが、世の中には脛に傷を持つ人間が多いものだ。わらわに秘密を知られたものは、わらわによって―― いや、わらわの所有者によって、いつその身を滅ぼされるかわかったものではない」
「たしかに、地味にイヤな『危険』だとは思うけれど」
「――そう、地味なのだ。危険性がいくらかあるとはいえ、そういった面でわらわを活用できる者は少ないだろう。……よくそこに気付いたな。実は、"問題はそこではない"のだ」
「……は?」
レイカの喉から呆けた声が放たれた。
それはそうだろう。肩透かしを食らったかのような体だ。
「今語ったような危険性は、副次的なものでしかない。なんじらにはわからぬだろう。なぜ"このような機能を有したわらわというものが、つくられてしまったのか"が」
「そんなの、わかるはずないじゃないの、なんだって言うのよ?」
「――魔術」
それまで黙ってレイカと"それ"のやり取りを聞いていたトキヤが、口を開いた。
「あなたをつくった人間の目的は、魔術知識の収集だったのではありませんか。あえて卑近な言い方をするのであれば、『生きた魔術書』を作りたかったのでは」
わずかな焦りを含んだようなトキヤの言葉に、"それ"はあのぎこちない微笑を見せた。
「そのとおりだ。わらわの本来の目的は魔術知識を蒐め、それを余さず記憶して管理することにある」
「どうしてそのようなことを?」
「知れたこと。魔術書によって得られる知識も、他人から伝えられる知識も、完全な状態でヒトの脳みその中に保ち置くのは難しい。わらわのような記憶装置があれば知識の劣化や損失を防ぐことができる上に、必要な物を探す手間さえも省ける。忘れないのなら、索引も一瞬であるからな」
「一魔術師が使うものであれば、これほど便利なものはない。……ですが、あなたは最初の持ち主の手から離れた。その瞬間、あなたはこの上ない危険性を獲得したんだ」
「――本来わらわは、門外不出の存在であったのだ。しかし、とあるきっかけで外界に流出し、実に様々な人間のもとを渡り歩いた。魔術師も居たし、魔術を知らぬ人間も居た。そうして二百年間だ。わらわは本来得るはずのない知識をも得た。禁術のたぐいの知識もある」
魔術師の実力は、才能と知識量に大きく左右される。所謂技倆というものは、才能や知識をどう活かすかの問題でしかなく、魔術を扱う上での前提となるのは、もっぱらこの二つであろう。
才能を備えた魔術師にとって、「知ること」は何よりもまさる力の獲得である。そして、純粋な力は毒である。――それが"それ"の語る自らの危険性というものの正体であった。
トキヤにはその危険性というものが充分理解できた。
無論、"それ"には意志がある。おいそれと危険と思われるような人物に知識を与えるようなことはしないだろう。だが、意志や人格が備わっているということは、強みでもあり弱みでもある。
ただの道具ではないのでただ利用されることにはならないが、騙されることもあるかもしれない。あるいは、もっとも卑劣な手段で情報を聞き出そうとするものも現れるかもしれない。何しろ、"それ"の本質は道具であるために、逃げられぬのだ。




