第六話 ルピナス
ようやく実ったダイエット心も、腹の虫がひとつなる度、シュルシュルとしぼんでしまい、動かなくてはと思いつつ、面倒が先立つ。
「あんた次第で、マッチの一生が決まる」
苦々しいヒッキ―のメールに目を通し、渋々、ジョキングに出掛ける。
近所を一回りして、息、絶え絶えのところ、またヒッキ―からメールが届く。
「あんた、本気出している? 走るってよりあれじゃ歩いているに等しい」
何で知っているんだ?
慌ててキョロキョロしだす私に、ヒッキ―が数メートル離れた場所から手を振って見せる。
「何してんの?」
「何って、見張りに決まっているでしょ?」
「ずっとそこにいた?」
「うんや、今来た」
この野郎と思いつつ、私はヒッキ―がいる場所まで移動すると、ヒッキ―はにやりと携帯画面を見せた。
「やっぱ実録は必要でしょ」
「いつの間に」
目をぱちくりさせていると、どこからともなく、ヒッキ―の姉、広川秋穂登場に、私の目は更に大きく見開かれる。
「なんか横綱が、面白いこと始めたって聞いたから」
にやにやしながら言われ、私はヒッキ―を睨んだ。
「おおこわっ」
おどけてみせるヒッキ―の横で、秋穂がゲラゲラと笑い出す。
「いいわ。横綱、癒されるわ」
「ふざけないで下さい。わりと本人、大真面目なんです」
「ごめんごめん。分かっている。分かっているけど、笑える」
涙を流して笑っている秋穂の横で、一人真顔になったヒッキ―が思いがけないことを言い出した。
「悪い。私、当分あんたのサポートできんから、サボんなよ」
「どういうこと?」
笑い終わった秋穂が、微妙な表情で、私とヒッキ―の顔を交互に見る。
それだけで何を意味しているのか、私には分かった。
「沖縄、行けるの?」
「そのために入って来る」
「みんなには何て言う?」
「風邪をこじらせて、家でサボっているとでも言っとけば」
「ヨッちゃんは?」
「あ奴には言わんでいい」
「どうして?」
「昨日、絶交したから」
「またそんなことして」
「良いの良いの。このまま自然消滅っていうのも楽でいい」
私は何も言えなくなってしまった。
「じゃ、そう言うことで」
姉の言葉に促されるように、ヒッキ―は踵を返す。
この瞬間が私は嫌いだ。
初めてヒッキ―の中に秘められているものを知らされた時、私は自分が恥ずかしくて、涙が止まらなかったことを思い出す。
マッチにもヨーデルにも教えていない秘密。
「絶対、沖縄、皆で行くんだからね」
ヒッキ―は振り返ることなく、右手を振り上げて見せた。
ヒッキ―は、小さい頃から入退院を繰り返している。内臓に疾患を抱えているそうだ。詳しい話はしたくないというから、私は一度も追及をしたことがない。お見舞いも、行って良いものかどうか分らないから、一度、秋穂を介してから行くようにしている。たまに面倒で、メールで本人に直接聞くが、決まって返って来るのは、ブヒブヒブッブーだ。調子が悪すぎるから、来るんじゃねーという意味らしいけど……、それでもこっそり私は病院に行ってしまう。
だから今回も……。
「横綱、アウト。あんたは躰が大きいから目立つんだよ」
弱弱しい声に振り返ると、一段と顔色が悪いヒッキ―が力なく笑って見せる」。
「みんなはどうしている?」
「マッチは相変わらず、口を利いてくれない。ヨーデルは、私の実録を必死で撮って、ブログアップしているよ。ヨッちゃんは」
そこまで言って、私はヒッキ―の様子を伺った。
「言っちゃだめだからね」
「でも、凄く落ち込んでいたよ」
「仕方がないよ。あ奴も若い。青春しているのも夏まで、後は受験に精を出さなきゃ。明るい未来に嫌われちゃうでしょ」
語尾が微かに途切れ、私は息を飲んで俯く。
「それより、告白した?」
唐突な言葉に、えっと顔を上げるとぱしゃりとシャッターを切られ、ヒッキ―はにやけた顔で文字を打ち込んで行く。
それはすぐさま、ヨーデルのブログへ添付されたのは言うまでもない。
この野郎。本気で心配しているのに!
「鼻息荒く、ただいまダイエット中って。一応、私もうら若き乙女なんですけど……。鼻の穴を大きくした顔なんか撮っているんじゃないよ。それにヨーデルにどう説明すればいいのよ」
「そこは抜かり有りませんぜー旦那」
「誰が旦那なんじゃい」
きっちり、熱でダウンしているところ押しかけられて、大迷惑。母が用意した大福見せたらこないな顔をした。と注釈が入れられてあった。
「いつか、逆襲してやる。その為にも、早く出て来い」
そう言い残して、私は病室を後にした。
「躰、きついくせして、無理すんな」
呟きと共に、涙が零れ落ちる。
病院から家まで、二時間かけて、歩いて帰った私は、ヨーデルのブログを読み返し、一人、泣き笑いをした。
ヒッキ―、私頑張るからね。
ルピナスの花言葉・・・あなたは私の安らぎ。空想。貪欲。母性愛。




