姉と僕
◇11/15加筆修正。
◇12/21句読点修正。
僕は黒猫から意識を戻すと同時に、ミサを置き去りにしてすばやく行動に移った。タイムリミットは刻一刻と迫っている、とてもではないがミサの相手をしている余裕は無い。
もしこれが姉に見つかってしまえば、折角貯金したお金を崩して僕と一緒に遊ぼうとするに決まっている。姉が持っているVR機器ではミサがやろうとしているゲームに対応出来ていないのだからまず間違いない。
姉が将来いい男を見つけて結婚するときの為に生活費を切り詰め、僕が今までお母さんの様な気持ちでコツコツと貯めてきたお金を、こんなことに使わせるというのは断固拒否したい。でもきっと見つかって行動に移られたら僕じゃとても抵抗できない。
せめてミサがプレイする分には安全だと、そう思えるゲームだと確信できるまではプレイしないといけないのだから難しくはある。それでも僕は死ぬ気で隠蔽するという選択肢を選ぶしかない。
未だに喜びの声を上げるミサを放って箱をガムテープで止めなおし、自分の部屋へと駆け抜ける。
隠すのに一番最適なのは押入れの下段。ダンボールが敷き詰められている場所だがそこなら大きなダンボールが追加されていても不自然ではないはずだ。それにあの中は姉が捨てられないゴミだらけ、まず姉が見ることは無い。
これでバレなかったらPCをセッティングするのも押入れの中がいいかもしれない。排熱が心配だがそこはなんとか工夫すればいけるだろう。
考えを実行するべくダンボールの位置を変えていき、PCが置けるだけのスペースを作り出してふと気づく、このままじゃ押入れを開けたらばれる。
後でダンボールの中身を仕分けして、パッと見でもばれないようにしないといけなさそうだ。
課題は多いが今はコレだけで十分なはずだ。姉は毎日のように僕の部屋に突入してくるが、いつもの様にドライヤーで髪を乾かしてゲームに付き合ってあげれば出て行くはずだ。
ただ姉は鋭い、鋭すぎるといっても過言では無いほど鋭い。
僕が始めて買った如何わしい本もこれでもかというほど気合を入れて隠したというのに、それでもあっさりと見つかってしまった。
そもそも家では自堕落な姉が家捜しするという考え自体がありえないと、そう思っていたのだが、実際は漫画のおかれている本棚を見たとき一瞬で気づいて一日中叱られた。
叱られたのはまだいいとしても、姉が夜這いをかけてきたので家から逃げ、公園で一日過ごす羽目になったのが一番痛かった。
ミサが夜這いをかけてくるようになったのは、姉が夜這いしたと自慢げに話したのも一因だと思えるわけで……、おかげで僕は今後一切青少年が持つべき本を持つことが出来なくなった。
考えがそれてしまったが姉は鋭い、すぐ目に止まる場所じゃないし今日は大丈夫だと思うが明日は分からない。
今日を何とか乗越えて明日を掴む、そう決意しながら服についた埃を払い、窓を開けて空気を入れ替えた後、すぐさま玄関にいたミサを隣の家に押し込んでから急いで自宅のキッチンへと向かい、息を整えてカレーの入った鍋をゆっくり混ぜ始める。
「帰ったぞ!」
数分たってからいやに男らしい帰宅の挨拶で登場した僕の姉は、それが当たり前だと言わんばかりに手を洗った後、席についてご飯を待ちはじめる。
あの男らしい挨拶はどうなのだろうと僕は毎回思うのだが、コレがいいと学校では評判なのだから世の中不思議だ。いや、全く不思議ではないともいえなくもない。何せ姉は贔屓目に見なくても相当な美人だ。
黒髪ポニーテールにキリっとした顔立ち、女でありながら何処か日本の象徴である侍を意識させる雰囲気を纏っている。
それに加え生徒会長であり、文武両道を謳って自分で実践している皆の憧れの的である。
そんな姉にアタックして玉砕した男女の数は知れず、ついでに平凡な顔立ちの僕に弟という事で八つ当たりしてくる男女も数知れず。
さらにはそんな僕を庇って好感度を上げようと奮闘する、そんな男女も数知れないほど存在する。
姉が料理が出来ないのは家庭科の授業で皆に知られているが、そこが親しみを生むんだとクラスメイトが良く力説している。
だが残念な事に姉が出来ないのは料理だけでなく家事全般である。
「飯はあるか?」
「今日はカレーだよ」
「さすが私の嫁だ」
だが姉が最も駄目なのはそんなことではなく、重度のブラコンという事実こそが一番駄目なのだ。
家の中、ミサの前で僕を嫁だと言って憚らず、尚且つ学校で僕が好奇の目、もしくは憎しみの篭った目を向けられているのを目撃すると、その日は大抵家で僕に説教してくる。
姉の中でどうやら僕はかなりのイケメンであり、甲斐性のある男とかなり美化されているようで、周りの視線も全て姉から見れば色目を使われているとうつるみたいなのだ。
僕もまたそんな姉が嫌いでは無いから困ったものだ。
熱々のカレーをこれまた熱々のご飯の上にかけていく。上にのせるものは姉任せなので冷蔵庫から適当に取り出して周りにおいておく。
ここまで来て姉が唯一もつ弱点に気づいたものの、僕はあえて気にせず自分の分を準備して席に着く。
「キヨ、これ熱いぞ」
「そりゃカレーだからね」
「私は熱いのが苦手だ」
「猫舌だからね」
「だから冷やしてくれ」
猫舌、唯一姉の弱点らしい弱点である。でも僕にとっては日頃のストレスを解消するためのささやかな楽しみなのだ。意地が悪いとは思うのだけれどどうしてもやめる事は出来ない。
「それぐらい自分でやらないと」
「なんで食事の時はいつも私の嫁は冷たいんだ……、料理の熱さと交換して欲しいものだ」
愚痴をこぼしながらも僕がやらないとわかっているのだろう、自分で一生懸命ふーふーして冷やし始める。
いつもキリっと勇ましい姉がこのときばかりは可愛く見えるのだからたまらない。僕の苦労を緩和する至福の一時と言える。
「あふっ、あふゅいほ」
「ほら、牛乳」
もう少し見ていたい気もするが流石に可哀想になってきた。いつもこうだ、少し見たら満足してしまって助け舟を出してしまう。
相変わらずな自分自身に苦笑しながら自らも自分で作ったカレーを口に運ぶ。
混ぜていないのでカレーとお米の味がきちんと味わえる。濃厚で舌触りのいいカレーが口の中で溶け、ほのかに弾力を残したお米が噛まれる毎に甘みを口いっぱいに染み渡らせていく。
その過程の中で味と味が混ざり合い、カレーライスの味として僕を楽しませてくれる。
もちろんカレーライスの美味しい魅力はこれだけにとどまることは無い。
柔らかくなったジャガイモがコロコロと口の中で転がり、ほっとする味がしたかと思えば、ニンジンと玉ねぎがカレーに独特の甘みが、軽やかに口の中へと広がっていく。
今日特売で買った豚肉は少し硬いが、肉汁が凝縮されていて噛むごとにカレーと米と共にハーモニーを奏でることで、安さを感じさせることの無い味を提供してくれる。
やはり僕は素朴なカレーが一番好きだ。
「うん、今日も旨かったぞ」
「どういたしまして」
「ただ牛肉だったらもっと良かったな」
「鶏肉、豚肉、牛肉どれも美味しいと思うけど、我が家のお肉は特売係の店員さんしか知らないね」
「よし、牛肉を特売してくれと頼んできてくれ」
相変わらずな家に居るからこその駄目発言に苦笑しつつ、無理だと断りを入れて食べ終わった後の皿を綺麗に洗っていく。
「学校と同じように適当じゃなくて気を引き締めてくれればいいのに」
「家だからこそだらけるのだろう? 私には出来た嫁もいるし特に問題は無い」
やっぱり僕が居なかったらきちんとしてくれるのかな、と不謹慎なことを考えつつ、洗い終わったお皿を布巾で拭いていき、食器棚に戻していく。
食器棚に戻した後は机を拭いて残ったものを冷蔵庫に片付けていく。
「はあ……、わかったよ。でも家だけにしてよ?」
「やっぱり出来た嫁だ」
笑いながら自分の部屋へと戻っていく姉を見送った後、朝干した洗濯物を取り込んでたたんで姉に渡して、さらにはお風呂掃除をしてお湯を沸かし、姉を呼んだ後に僕はやっと自分の部屋の整理に取り掛かることが出来た。
とはいっても工面した時間は微々たるもので、姉がお風呂から出てこちらにドライヤーを持ってくるまでの間に全てをやり遂げなければいけない。
ダンボールに何が入っているのかは大体把握しているし、姉に捨てても構わないといわれているものも記憶している。
その記憶をフルに使って仕分けを始める。
学校の敷地で発掘した埴輪は捨てて良いもの、僕の作った粘土細工は駄目なもの、絵画は捨てて良いもの、僕の作った似顔絵は駄目なもの……って僕が作ったものは全部捨てたら駄目で他は全ていいのだから記憶を駆使するまでも無かったよ。
僕が作ったものをコレクションするのは良いが、見ないなら捨てればいいと思わずには居られない。時折恐怖すら感じるので素直に捨てて欲しい。
姉の趣味はともかくとしてまとめたゴミを急いで分別し、ゴミ捨て場へと持っていく。
残ったゴミはまた後日捨てる為に取っておかないといけないが、十二分に減ったので大丈夫だろうと結論を出し、残りを押入れの下段に押し込んでいく。
服についたほこりを払って掃除機をかけた後、開きっぱなしだった窓を閉めていつもの習慣である旧型PCで情報収集の旅に出かける。
今のネットの話題といえばやはりVRが多い、特にミサが当てたReal Lifeと呼ばれるゲームに関しての情報は嫌というほど話題に上がっていた。
あのデストロイが関わっている以上、ハッカーが役に立たないというのは共通認識らしく、思っていたより乗っ取りの危険はない様に思える。
けれど、やはりというべきか、痛み以外のほぼ全ての感覚があるというのが危険ではないかと議論されていた。
モンスターを倒すときの快感はVRMMOでは必須だろという声もあるが、殺す快感を覚えるかもしれないという懸念。
ゲームの中で食べる食事が旨いと思えるのは最高だという声もあれば、ゲームに依存するやつが増えるという意見もある。ただデストロイで感覚を統括して制御するなら、長時間VRを楽しむことが出来ないのだから無理にするやつは少ないだろう、というのが意見の多数を占めているようだ。
また、それでも長時間プレイするやつには公表されていない何かがされるのでは、という噂もあった。一応これはメモしておく、下手したらミサが長時間プレイしかねないので要注意だ。
そこそこ見て回ったけれどデストロイ社は社名こそ悪いけれど、ネットユーザーにはいい意味で信頼されきっているようだ。恐らくこれからもそうなのだろうと素直に思える。
何せあの会社はTV出演した時でさえ、スタッフに他の会社と同じように案内の人をつけるわけでもなくただ仕事に没頭していた。
仕事で成果が出ることこそが喜びで、目立つことを喜びとしない人が働いている立派な職場なのだと、独り善がりな判断をしてしみじみ感じ入ったものだ。
もちろんTV側もそれは承知だったようで、事前に知識豊富な人を招いて職場の風景を説明していたのは流石だと思えた。
と、思考がそれてしまったが、どうやら然程心配する必要も無い気がしないでもない。でもま、実際やってみないと何とも言えないだろうし、結局は世話焼くためにやるんどね。
噂の収集を終えた後、さらにサイトを巡ってReal Lifeについての知識を深めていく。
何処にでもあるような無課金で遊べる、もう一つの貴方の世界というVRではありがちの謳い文句でありながら、周りの反応は結構いい気がする。
理由として上げられるのが他とは一線を画す完全無料のシステム。VR世界でスポンサーである会社の製品を再現し、宣伝する事でスポンサー側から料金を貰い、ユーザーはVRの世界で忠実に再現された製品の試供品等を使用し、買うかどうかは自分次第とのことだ。
一応それだけでは面白く無いと、バーコードでおまけとして色々アイテムを発行したりもするそうだ。
実際上手くいくかは分からないが中々面白いのではないかと思う。
何せ昔から今に至るまで課金の形はユーザーが課金し、見栄えがいい衣装や武器を買う、もしくは強い性能を持つアイテムを買うといったものが主流となっている。
それが今回はスポンサーからお金を取り、宣伝する際はゲーム通貨をスポンサー側に渡す仕組みなのだそうだ。
ちなみにそのゲーム通貨はVR世界でスポンサーがユーザーにアルバイトさせる為のものらしい。
本当に変わった仕組みだと思う。
会社によっては働き遺憾ではリアルでの採用も考えるとの旨を公表しており、失業率の低下に貢献できるのではないかという期待の声もちらほらあるようだ。
それとは逆にゲームにリアルを持ち込みすぎるのはどうかと思う、といった反発的な声も同様にあがってきている。
Real Lifeの中では他のVR同様時間制限がある代わりに体感時間が現実の3倍程度になるらしく、忙しい人でも十分遊べる時間が確保出来るし、短時間でのアルバイトも十分機能するようなのでお金のない初心者にはいいんじゃないか、という意見がちらほら見える。
ちなみにアルバイトは特殊職と呼ばれる職業に属していて、戦い専門の戦闘職や物作りの技術職とは別のものとして扱われるらしい。
ゲームにリアルを持ち込みすぎるのはどうかと僕も思う側なのだが、思った以上に結構考えられてるんだなと感心してしまう内容だ。
他の職業にも興味が湧いたので公式サイトに飛んで職業を見ようとした所で、風呂場のドアが開いた音が聞こえてきた為に急いでブラウザを閉じ、いつもの様に料理サイトを検索をかけて次の日の料理を決めにかかる。
「キヨ、いつもの頼む」
「あいよ」
いつもの様にやってきた姉の頭を膝の上に乗せ、黒髪に熱風を当てて乾かしてく。
風呂上りのせいで火照ったうなじが普段は感じない女性らしさを引き出して、いつもならドギマギしながらやるところなのだが、今日はそうもいかない。
いつもなら姉が僕の膝枕を堪能しながら嫁の膝枕は最高だとか言ってくるのだが、今日に限っては何故かPCに顔が釘付けで、特に何か言ってくる様子は見受けられなかった、というのも姉の女らしさに注視できなかった要因である。
まさかバレたのかと戦々恐々としながら姉自慢の髪の扱いに留意しながらドライヤーをかけていく。
「まさかエロいもの見てないでだろうな?」
ギロリと音が鳴ったかと思うほどの眼光を放ちながら睨みつけてきた姉に対し、コクコクと頷きを返す。
暫くの間そんな僕の様子を眺めていたが満足したのかいつもの様に、やっぱり嫁の膝はいいなと呟きを漏らしながら起き上がり、扉に向かって歩き始めた。
後姿を見ながらゲームはいいのか問いかけたら珍しく、疲れたから寝るという返答をして片手を上げて去っていった。
生きた心地がしなかったが何とか凌げた事にほっとする。相変わらず鋭すぎる姉である。
一度どうしてそんなに鋭いのかと聞いたことがあるのだが、生徒会長として生徒の身だしなみに注意するくせがあり、そのせいで少しの違いでも気になるんだとか。特に僕の事は凝視するほど見つめていることが多いので、その仕草から大体の事が分かるんだと言われ、思いっきり引いたのは記憶に新しい。
昔から鋭いとは思っていたが、これを聞いてからというもの僕は怖くて姉には嘘をつけない日々を過ごしている。
今回助かったのはひとえに僕が進んでゲームをしないことが原因だろう。いつも付き合いでやっているので僕=ゲームという発想がきっと出てこなかったのだ。
だから姉は少しおかしいと感じてエロの方に思考がいったのだろう。少し複雑だが助かったのでよしとしよう。
姉も帰ったことだし僕がこれからするべきことはPCとVR機器の設置である。
これを押入れに設置し、問題が起こらないよう通気口と冷却装置を取り付ければ何とかいけるはずだ。僕の日々のお小遣いを使えばサービス開始までには必要な物も一通り買えるだろう。
明日帰りに商店街によっていくつか買い込むとしよう。しかし明日の晩御飯はどうしようか……、まだ肌寒いし明日の特売は売り場のおじさんが言うには挽肉という話しだから……うん、麻婆豆腐なんかいいのではないだろうか。
ああ、でも姉に連続で熱くて辛いものを食べさせるというのも気が引ける。ここは無難にハンバーグがいいかもしれない。
明日の晩御飯をギリギリまで考えながら眠りにつく。
今日は色々あったがなんとかなったのでこれからもなんとかなりそうな、そんな気がした。