第Ⅱ節/呪縛すべきは仇に非ず
†
土曜日の午後、風飛とルナは約束通り、狭霧町の結界の痕跡を調べていた。
「ここも無いな」
「うむ。おかしい」
ルナのコネを使って、秘匿されていた詳しい犯行現場を知り、そこを調べていた。
だが、結界の痕跡は疎か、魔術行使の魔力の残滓すら見付からない。
「なあルナ……もしかしてよ」
「ああ、私も今その可能性に至った」
「この件、まさかとは思うけど」
「うむ。《犯人などいない》可能性がある」
「明確に言やぁ《人間の実行犯はいない》だけどな」
「いや、《人間の実行犯》はいるじゃろうな」
「まあそうだろうな、話が《他殺か自殺か》じゃ全然違うしな」
つまり、犯人は居らず、被害者は《自分の手で、ギリギリと自分の手首を切り裂いた》のだ。
「この事件の肝は何故連続的に自殺したか、じゃの」
「《凶器に暗示》でも掛かってるんじゃねえか?」
「そうじゃな、その線が有効じゃ」
「ここまで虱潰しに捜して見付からないんじゃこういう考えに致るのもおかしかねぇだろ」
「じゃが、肝心なのは凶器をどう見付けるか、じゃ
向こうからひょいひょい出て来る事はないじゃろう」
「くそっ!切羽詰まってんのによ!」
そう、風飛もルナも焦っていた。
その一番の要因としては、《被害が白菊学園にまで及んだ》からだ。
数学教師の五原が昨夜手首を切られて(見立てでは切って)死んだ。
「そうだ……第一発見者!暗示が掛かってるなら第一発見者が拾ってるかも知れねぇ」
「そうじゃな、今から連絡を取って通報した者を特定する」
ルナは表向きには竜胆市市長の娘、つまりある程度のコネは利く。
そして裏向きには竜胆を代々監理し、魔道協会に逐一状況報告をする獅子道家の次期当主だ。
警察の人間にこちら側の人間がいるなら大抵の事は教えてもらえる。
「訊いてみたが、学校と関連性のある人間ではなかった」
「そうか」
だが、安堵など出来ない。
次はその第一発見者が危険なのだ。
「どんな奴だ?」
「十代の娘、それは美人だそうじゃの。髪の色が特徴的だったそうじゃ」
「学生か……」
「そうじゃな、足を使って捜す他ないじゃろうな」
「わかった、手分けしようぜ」
「そうじゃな。私が開発の進んだ地域を廻る。風飛は港よりのまだ開発途中の地域を頼むぞ」
竜胆市は海に面している。
故に港もあるし、桔梗町には砂浜もある。
「なんか見付けたら連絡してくれ」
「そちらも頼むぞ」
二人で頷き合って二手に分かれる。
何か、嫌な予感がした。
†
日も落ち掛けた夕暮れ。
未だにルナの言ったような人物は見付からない。
現在地は港、コンテナの詰まれたコンクリートの地面を踏みしめ駆ける。
やはり、ここにもいない。
一度ルナに連絡しようと携帯の入ったポケットに触れた。
「貴方が神田風飛?」
背後から、凛とした声が響く。
躊躇わず振り向く。
女性だった。
十代半ばだろうが、とても美人だ。
そして、髪は、映える赤色の髪。
こんな時期に長袖のコートを着ている。
右手には《包丁》を持っている。
「あんた……まさか」
目は――虚ろだ。
そして、包丁を右手首にあてがい……ギリ。
「な……!?」
ギリ。ギリ。ギリ。
血が、腕から血が溢れていく……
「止めろ!」
手を伸ばした。
「いた……いた……い。助け……あぁぁぁあぁ!」
滝のように血が滴り落ちる。
「ぁ……」
届かない、手が届かない。
「なんちゃって♪」
伸ばした腕を切り落とすように、叩き付けられる包丁。
それは、《手首を狙っている。》
鳴り響く破砕音。
風飛は伸ばした腕を守るために、ワザと体勢を崩し、転がった。
包丁はコンクリートに突き刺さっている。
急ぎ身体を起こす。
その間に相手も身体を反転させ、こちらを鋭い刃物のような殺気を纏った視線と共に見据えている。
「あーあー、初見必殺だったのになぁ」
包丁を振るった女はニヤニヤしながら包丁の刃を見つめている。
「テメェか」
「うん、そうよね」
「どこの誰だよ」
「あー、一応名乗ってあげよっかなぁー♪
私はね、外界慈愛無魔道肯定教会の春川憂壺。魔術師は皆殺し♪って指示を請けたからよね」
外界慈愛無魔道肯定教会。
通称・外道教会。
何度か名前だけなら聞いた事がある。
魔道協会とは敵対しているとか。
「どういう事だよ」
「どういうもこういうも、私は魔術師を殺すだけよね」
「じゃあ今までの被害者は……」
「違うよね。今までの被害者は、魔術師を炙り出すための餌よね」
「な……!?」
人の命を餌と言ったのか?
この女は、狂っている。
「この包丁は、二つの特性があるのよね」
「……」
「一つはこの包丁を持ちたくなり、正規所有者以外が握った場合、手放せなくなり、手首を切りたくて仕方なくなる衝動に駆られるのよね
もう一つは、一度刃が食い込むと、勝手に肉が裂けていくよね
いやぁ、惜しかったなぁ」
爆笑している。
赦せるか――否。
ならばやることは一つだろう。
「おっ?やる気よね?でも一撃で仕留められなかったら分が悪いんだよね」
そして唐突に走り出す。
勿論追ったが、逃げられた。
速さの差ではなく、単純に地形で。
コンテナの陰に隠れられれば見つけるのは至難の業だ。
「くそっ……!!」
コンテナを殴った。
鈍い痛みが拳に響く。
悔やんでも仕方がない。
まずはルナに連絡をした。
†
結局、その日春川は見つからなかった。
歯噛みしながら、風呂場の壁に額を付ける。
「ちくしょう……」
このままじゃまた、俺達を誘き出すために撒き餌をするかも知れない……
外道教会、奴らの目的はこの土地の魔術師を殺すこと、なら――方法は一つだ。
シャワーを止め、風呂場を出ようとした時。
「お風呂っ〜♪」
陽気な声が脱衣所から聞こえた。
嫌な予感と言うか、予言がする。
ヤバイ。非常にヤバイ。
(どうする。タオルは巻いてるが、問題は向こうだ)
そして、考えている間に、事態は悪化。
何やら布が擦れるような音が。
最早どうしようもあるまい。
こうなったら全て脱ぐ前に飛び出る他ないだろう。
風飛は一度唾を飲み込み、期待と絶望感に胸を膨らませながら脱衣所に飛び出した。
「ふぇぇ……!?」
朝日は頬ばかりか顔全体を真っ赤にしている。
半分脱いだ普段着。
ヤバイ。これはヤバイ。
「わりぃ、直ぐ出て行く!」
着替えを持って脱衣所を出ようと駆ける。
「おにいちゃん」
呼び止められ、扉の前で静止する。
「なんだよ」
「どうして、《手首から血が出てるの?》」
「え……?」
(まさか……まさか、掠った!?)
そんな訳がない避けきった、そんな、包丁を投げたりしない限り当たる訳がない。
「おにいちゃん……血が」
「大丈夫だ……」
扉を開けて脱衣所を出、扉を閉めた。
右手首を見ると、ちょっとした切り傷程度に横に腕が裂けていた。
どれくらいの進行度で腕が裂けていくのかは分からないが、治癒は出来そうにない。
「やられたな……」
とりあえずタオルを外し寝間着のシャツとズボンを着て、自室に歩き出す。
確か、自室には特別な包帯が有った筈だ。
だが、分からないのはどうやって当てたかだ。
自室に着き、特別な包帯を押し入れを漁って捜す。
見た目は何の変哲もないその包帯を手首にキツく巻き付ける。
「ぐ……」
真っ赤な血が真っ白な包帯に滲む。
だが、直ぐにその染みは消えた。
この包帯は巻いた物に止血作用と、血を吸い、吸った血を巻いた物に供給する作用を持っている。
感覚的にはとても気持ち悪いが仕方ない。
後は――明日を待ち、実行するだけだ。
きっとそれで終わってくれると信じている。
だから、もう誰も傷付かない。
風飛は、晩御飯の支度をするために立ち上がり、台所に向かった。
†
数刻前、風飛から連絡があった、彼曰く、敵の名は春川憂壺。外道教会の一員らしい。
容姿は、前回の事件の通報者と合致した。
話を聞くに春川は風飛やルナを殺すために《撒き餌》として連続殺人を包丁の力で行っていたそうだ。
おそらくその包丁は、呪われている。
春川と言う女は呪術師なのだろう。
人を呪い、祟り、殺すためだけの術。――即ち呪術のプロとなれば些か分が悪い。
単純な戦力差ならこちらが上回っているが、それ以外はどうだろう。
手口は最悪だが、彼女の撒き餌は結果として神田風飛と言う魔術師を誘き出した。
看過出来る事態ではないのは間違いない。
魔術師よりも厄介な存在に当たってしまった不遇を悩みながらルナはコーヒーを啜った。
ブラックコーヒーは眠気を吹き飛ばし、活動を持続させてくれる。
そう、この仕事は確実に成し遂げなければならない。
一人、ルナは自室で作戦を練った。
†
晩御飯を食べ終わり、風飛は一人縁側で空を見上げていた。
きっと狭霧では見えない、煌びやかな星が雲の間からちらほらと輝きを放つ。
昔もこんな風に空を見ていた気がする。
その時は、親父と、二人で。
親父は何か言いたげだったが、結局何も聞けなかった。
少し女の子の話をしたり、将来の夢について話したり、そんなありきたりで、幸せな時間だった。
だが、もうその幸せはきっとやってこない。
だから、今感じることの出来る幸せを、守りたい。
絶対に失うものか。
そう改めて思った。
あの時、親父に何と話したかは今でも鮮明に覚えている。
親父は笑って首肯してくれた。
親父もなりたかったのかもしれない。
――自分が思う。正義の味方のようなモノに。
風飛は微笑した。
あの日の思い出を懐かしんだ。
もう二度と来ない美しい時間。
その追憶の余韻を感じながら、笑った。
必ず貫き通して見せる。
《誰かを助ける正義の味方》を、自分の手で。
思いが曲がった事はない。
この身は一度終わった。なら、幾ら傷付こうと誰かのために力が奮えれば、最高なのではないか。
親父も笑って首肯してくれた。
だから、間違いなどない。
いつまでも、美しく、儚く、保たれる。
記憶と夢は、心を奮い立たせ、自らがすべき事を主張してくれた。
大丈夫、必ず明日で終わる。
守り抜いてみせる。
必ず、この手で。
ふと思う、夜桜と言うのもなかなか風流だ。
袴か何か羽織って暫く花見でもしよう。
もう直、日付が変わろうとしていた。
月が、桜が、星が、思い出が、綺麗だ。
――こんな夜も悪くない。
眠気が増してきた。
そろそろ眠ろう。
自室に戻り、布団に倒れ込んだ。
†
「行って来ま〜す」
「行ってらっしゃい」
友達の家に行くと言う朝日を送り出す。
可愛らしく笑いながら手を振って駆けていく。
転ばなきゃいいが。
「きゃあっ!」
転んだ。
「ぱんつ見えてるぜ」
「おにいちゃんのえっち!」
せかせか立ち上がり、尻をはたく朝日。
顔は赤くなっている。
「ま、気を付けろ」
「う、うん」
朝日は門の横に立て掛けてあった自転車を使い走り去った。
朝日がいなくなったら急に静かになった。
まあどうせ自分も出掛けるのだからいいだろう。
風飛は玄関から自室に戻ると寝間着から着替える。
「低体温症」の四字が書かれた黒いTシャツを着、下はGパンを穿く。
包帯を隠さないのはワザとだ。
敢えて目立つように、敢えて春川に見付かるように。
今日で終わらせるために。
誰も傷付けさせはしない。
幸い、昨日は犠牲者が出なかったようだ。
なら、今日で終わらせればこれ以上の犠牲者は絶対に出ない。
問題は春川を見付ける方法だ。
どうにかして彼女にアピールしなければならない。
だが、彼女はおそらくは呪術師故、魔力探知には疎い、だからわざわざ餌を撒いたのだろう。
なら、彼女が探知出来る何かでアピールをすべきだ。
尚且つ、一般人に探知されてはいけない何か。
方法は一つだった。
狭霧まではバスで行けばいいだろう。
その後どうするかが、この事件を解決する鍵になる。
持ち物は二つ、財布と、《お香》、それにライターだ。それをリュックに詰めた。
再び玄関に出向き、靴を履いて今度は自分が門から出る。
門にしっかりと施錠を掛け、家を出た。
†
ソレは誰かを呪うと疎まれた。
ソレはそう言った誰かを力無く呪った。
いつしか、力無い呪いは、力在る呪術と化した。
最初に呪ったのは両親だった。
「あいつがいるから家は不幸になったんだ」
「そうよ、あの子は人を呪ってるのよ!」
酷い虐待を受けた。
顔を殴打された。
髪を酷く引っ張られた。
首を絞められた。
腹を殴られた。
腕を折られた。
憎い。あいつらが自分を不幸にしている。
なら呪い殺しても誰も何も言わない。
邪魔をする奴、否定する奴は呪い殺してしまえばいい。
これだけの力がある。
なら自分はあの親の上に立てる。
なら殺そう。
凶器は何がいいだろう。
そうだ、最近覚えた呪術を使おう。
《アレ》は憂壺が扱う呪術、いや、呪術の中でも特種な条件下でのみ発動し、それ故強力な呪術だ。
そして、自らが呪った包丁と、両親を《閉じきった》部屋に放り込み、外側から遮断した。
「あああああぁぁ!」
部屋からは断末魔のような絶叫が聞こえる。
「あは……あはは……あははははははは!」
笑った。それは盛大に。
憂壺は復讐を果たした。
それは数年前の出来事だった。
それからも人を呪い殺す内に、外道教会の長が直々に出向いて、慈愛をくれた。
だから自分はあの人に付き従うのだ。
そう思いながら、憂壺は道を歩いた。
†
ルナは今日も狭霧町を散策していた。
「くそ……居らん……」
街を捜し尽くしても何も見付かりはしない。
「何故じゃっ!」
路地裏のコンクリートの壁に裏拳を入れる。
ズシンと響く、そして、壁には罅が入る。
拳からは血すら出ない。
だが、心が痛むのは間違いない。
早くしなければ、あの呪術師によって更に犠牲者が出てしまう事になる。
人の命を《撒き餌》などと罵る春川を赦す訳にはいかない。
必ずや捕まえて連行しなければならない。
それがルナに課せられた義務。
そう思い再び春川と言う名の呪術師を捜す。
静かな装いだが、目には炎が灯る。
そして、街の表に躍り出た。
街は休日の影響か賑わい、多くの若者が闊歩している。
「ねえそこの君〜」
呼び止められた。
振り向く。
そこには絵に描いたような不良共がいた。
「うわすっげぇ美人。流石アニキ!」
喧しい。苛つく。
「俺達と遊ばない?」
「断る」
「いいじゃんよ」
「諄いっ!!」
「ひぃっ!?」
不良は尻餅をつき後退りする。
「虫酸が走る」
睨み付けて、そう吐き捨てた。
今の自分を一言で表すなら鬼や獅子だろう。
相手の目には恐怖としてしか映っていないだろう。
足早にその場を立ち去った。
正直この焦燥感は責務へのものだけではない。
もしまた頼めば彼も同じく血眼になって、無茶をし尽くして捜してくれるだろう。
だが、彼にそんな無茶はさせられない。
もし協会に存在を知られれば再び魔女狩りが、彼を殺しに来るだろう。
そうすれば彼は必死だ。
嫌だ、大好きな彼を失うなど、絶対に。
だから、誰もいない路地裏に戻り人知れず、声もなく泣いた。
絶対に彼を守る。
これは自分の意志で行う《やるべき事》だ。
涙を拭い改めて決意を固めた。
考えろ、奴を誘き出す方法を。
その時だった。
《神聖》が街の一点に集中している。
そう、術師の大半は必ずと言っていいほどに神聖に敏感だ。
魔術師も、呪術師も、死霊術師だってそうだ。
間違いない、風飛だ。
何らかの方法で神聖を放っている。
これは、《風で散布出来る神聖》だ。
きっと一番濃い場所に風飛はいる。
そして、春川も。
奴が来るなら自分も行かねばならない。
ルナは神聖の濃い場所を探知するために神経を研ぎ澄ます。
「近い……廃工場か」
確かに、戦闘も神経を散布するのもうってつけのポイントだ。
廃工場は港付近。ここからならば三十分弱。
春川がどこから来るのかは知らないが、間違いなく間に合う。
風飛はたかだか三十分でやられるような柔な男ではない。
だが、陸路では右往左往し過ぎてとても三十分では辿り着かない。
すると、車に乗るより《直進》した方が速い。
「ふっ……!」
ルナは三角跳びの容量で壁を蹴り建物の屋上に上がる。
屋上に着地すると廃工場の方角に向き直り。
「打ち砕き、爆砕せよ【break of break】」
詠唱により足の裏に爆破を付加した。
爆破と言っても小規模だ。
跳躍が飛翔になるだけ。
踏みしめた地面が砕けルナの身体が爆ぜる。
飛翔距離。一歩にて三〇メートル。
狭霧の建物の間を考えればこれでいい。
もっと飛ぶ事も可能だが、今は必要ない。
それにこれ以上をやれば自分にとっての地面である建物の屋上が崩落してしまう。
建物から建物へと。時に二軒三軒飛び越し、目的地を目指す。
目的地も間近に迫った時だった。
紫の煙――否、呪いを纏う、爛れた肉の犬が数十立ちはだかる。
「ふっ、そう言うことか。面白い」
ルナは自らの武器である戦斧【レグルス】を構えた。
端から見れば戦斧が突然現れたように見えるだろう。
だが、レグルスの刃は魔力だ。
碧色の魔力が刃を編み上げ、後はレグルスが魔力を金属かする。
そして、【神具レグルス】の鉄の刃は完成する。
つまり、普段レグルスは棒である、と言うことだ。
そして、禍々しくも美しいレグルス、ルナはその【八〇キログラム】は有ろうかと言う柄を、刃を振り上げる。
同時に先程は数十だったが今は無数に増えた呪われた猛犬も疾走を始めた。
「来い!呪犬共っ!」
ルナはレグルスを振り下ろした。
余談ではあるが、神具とは魔術的、且つ極めて強力な効力を持つ道具である。
それは、山を断つ鉄剣。
それは、海を割る杖。
そして、獅子道ルナの【戦斧レグルス】も神具だ。
周囲の魔力を吸収し、刃を精製する能力は地味ではあるが割っても割っても無尽蔵に生み出される刃に敵は手を妬く事になるはずだ。
そして、魔力を乗せた一撃は大地を割る。
無論比喩ではあるがその破壊力に偽りはない。
そう、間違いなく力では犬に負ける代物ではない。
レグルスも、そしてルナ自身も。
†
風飛は狭霧町に着くと廃工場を目指して歩いた。
自分の思惑が正しければこれで春川を誘き出すことが出来る筈だ。
右手首の傷が少し痛む。
バスの中で確認したら昨日よりも数センチメートル傷は深くなっていた。
やはりあの包丁に付けられた傷なのだ。認めざるを得ない。
ならば早急にこの手の呪いも解かねば、手首より先を失う事になりかねない。
そのためにはやはりあの包丁を破壊する他ないだろう。
そうすれば後は身柄をルナに引き渡して一件落着だ。
今回ルナを呼ばなかった理由は幾つかある。
きっと責任感を感じているルナを無理に駆り立てても仕方がない。
それに敵は呪術師だ。
包丁にさえ気を付ければ恐れるに足りない。
こちらは一応一人前の魔術師なのだ。普通呪術師などには負けない。
もしかしたらルナに察知されるかもしれないが、それまでにケリを付けてしまえばいい。
必ずや、終わらせてみせる。
歩みを進める。
廃工場はもう直ぐそこだ。
寂れた装いの廃工場が見えてきた。
入口の塀はところどころ欠け、門は錆び付いている。
風飛は、門を《跳び越えた。》
そして《煙突》を捜す。
必ず煙突が在る筈だ。
当然だが直ぐに見付かった。
だが、内部に入るための扉も錆び付いている。
「開けっての!」
扉を蹴破って中に侵入した。
鉄臭く黴臭い。独特の匂いが鼻を突く。
だがそんな事は今はどうでもいい、肝心なのは煙突の下部だ。
「よいしょっと」
暖炉のようになった下部にリュックから取り出した大量のお香(五キロは有るだろうか)を投げ入れる。
ばきばきとお香が折れる音がしたが気にしない。
そこに火を点けるためにライターを使う。
勿論、魔術で強化したライターだ。
ライターの火を近付けるとお香はばちばちとお香らしからぬ音を立てて燃え始める。
――一瞬。昔を思い出した。
「げほっ、げほっ!」
些か煙の量が多い。
ここは放置しても火事にはならないだろうから外にでる。
煙を手で払いながら外に出た。
煙突からは誰が気に留めるでもない白煙がたなびいている。
さながら銭湯に見えなくもない。
後は待つだけだ。
背中をコンクリートに預け、座す。
流石にこの廃工場に誰かが入れば分かる。
門を開けたなら鉄の軋む音。
塀を砕いたならコンクリートの砕ける音。
どちらでもなく、乗り越えたとしても相応の音が聞こえる筈だ。
そして、十数分後。ぎいぎいと鉄の軋む音が聞こえた。
「来たな……」
独り、不適に笑った。
音もなく、笑った。
立ち上がり、門の方向に歩み始める。
これでこの事件は人知れず終わる。
そう確信して門を開けた人影と相対した。
「な……?え……?」
目の前の光景に理解が追い付かない。
門を開けたのは春川ではない。
なら、彼女でないなら、《誰、なのか。》
《ソレ》は体格がいい。男だ。
それだけならばまだ理解は出来る。
理解出来ないのはその装いだ。
服は、上半身は何も着ておらず、全身が痣のように黒ずんだ肌に、鍛え抜かれたであろう屈強な筋肉が露見している。下半身は作業着のようだ。
それだけならば自分より余程工場がお似合いだ。
だが、その手には、物干し竿のようなその男の身の丈程はある棒に、極太な鉈を括り付けた《鎌のような斧。》
そして、その身体は紫煙のように蠢きたなびく何かを纏っている。
そして、一番おかしいのは間違いない――
――《首が、無い。》
首の無い男は、屈強な身体で突進して来た。