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15話


 幸いなことにアルゴスの操縦方法、内部の施設の使用方法とメンテナンス方法に関する情報は俺の頭脳の主記憶領域に直接ダウンロードできる形式のデータにフォーマットされていたので一瞬で覚えることができた。しかし、直接ダウンロードできた情報はアルゴスから入手した情報のほんの一部だけであり、情報を整理してライブラリに登録するだけで2時間があっと言う間に過ぎてしまった。


 かなり集中していたらしく頭が疲れてぼうとなってしまった。疲れた頭を休めるためには甘い食べ物が良いだろう。俺は甘党なのでチョコレートやケーキが大好物だ。

 アイテム画面からお気に入りのチョコレートケーキとオリジナルブレンドのアイスロイヤルミルクティを500ccぐらいは入りそうな特大のワイングラス、チョコレートパフェに使われるようなチューリップ型の大きなグラスを想像すれば間違いないだろう。そのワイングラスに大量の氷と一緒に、氷が解けて薄くなることを想定して濃いめに味を調整したロイヤルミルクティを入れてテーブルの上に実体化させた。

「あら、美味しそうなケーキね」

 俺の隣で暇そうな顔をして座っていたマリアが目ざとく見つけて俺に声を掛けてきた。マリアのテーブルの上には紅茶のカップとクッキーが載った大皿が置かれている。すでに十分におやつを食べているように思うのだが、隣人の料理は旨そうに見えるのは俺も経験があることだ。

「マリアさんも食べますか?」

 仕方が無いので俺はケーキが載っている皿を持ち上げてマリアに差し出した。

「ありがとう」

 ありふれた言い方かもしれないが、まるで花がぱっと開いたかのような笑顔を見せて俺が差し出した皿をマリアが受け取った。マリアも俺と同じように相当な甘党なのかもしれない。いや、甘党じゃない女性なんていないのかもしれない。今までの長い人生で少なくとも甘いものが苦手な女性に会ったことは一度も無い。

 嬉しそうな顔をしながらマリアは皿の上に添えてあったケーキ用のフォークを手に取り、チョコレートケーキの端っこを小さく切り取って口に運んだ。そして至福の笑みを浮かべた。

「予想通りの味ね。とても美味しいわ」

 チョコレートケーキを受け取った時の、これ以上の笑みは存在しないと言い切れるほど極上の笑顔を見せていたのだが、さらにこれ以上の幸せは無いと言う感じの至福の微笑みを見せ付けられた俺は完全にマリアに見惚れてしまった。

 突然、マリアの顔がはっとした表情に変わった。

「ひょっとして、リオンくん分を私が食べちゃった?」

 俺は我に却って慌てて否定した。

「いえ、大丈夫です。ちゃんとあります」

 俺は急いでアイテム画面を操作して同じチョコレートケーキをテーブルの上に実体化させた。実体化したチョコレートケーキを見たマリアは安心した表情に戻ると、再びフォークで自分のチョコレートケーキをひと口大に切り分けて口に運んだ。


 チョコレートケーキを食べるマリアを何時までも眺めていたい気持を抑え、マリアから無理やり視線を戻した。チョコレートケーキをフォークで大きめに切り分けて口に入れ頬張った。程よい甘さが口の中に広がり、咀嚼するとチョコレートケーキに練りこまれた胡桃が適度な歯ごたえを伝えてくる。元の世界でお気に入りだった有名な某チェーン店のチョコレートケーキを完璧に再現するのは物凄く苦労したが、マリアの至福の顔を眺めることが出来たのだから苦労した甲斐かいがあったと言うものだ。

 マリアは小さな切れ端を口に入れていたが俺はどちらかと言うと大きめに切り分けて口一杯に頬張るのが好みだ。舌で味わうのではなく口の中の全体で、舌全体は勿論のこと両方の頬を一杯に膨らませて歯茎の後側も前側も、口の中をチョコレートケーキで一杯にして味わった。

 スケッチに勤しむ教授達や騎士達を眺めながら俺は至福の時間を堪能した。


 チョコレートケーキを食べ終えた俺は口直しにアイスロイヤルミルクティが入っているグラスを持ち上げストローを口に含んでアイスロイヤルミルクティを啜った。

 教授とマーガレットとマルコムの3人は夢中でアルゴスをスケッチしており、砦の司令官であるルイスと部下の4人の騎士も教授達と同様に夢中にスケッチを取っている。ジュディアス、ハヤテ、アンネの3人は入り口で哨戒任務に付いているようだが、俺にはおしゃべりを楽しんでいるようにしか見えない。


 アルゴスは青白いバリアに包まれているので近づくことも出来ないのだが、バリアの色は薄く透明なので教授達のようにバリア越しにアルゴスを観察することが可能だ。

 アルゴスのサイズは大型バスぐらい。アルゴスの機能を考えれば信じられないほど小さい。最もアルゴスの実体は見た目とは全く異なるし外見を自由に変えることも可能なので見た目のサイズに意味は無いのだが、最小でも自家用車ぐらいが限界だ。手乗りサイズのおもちゃにしてポケットに入れたりすることはできないしアイテム画面に格納することもできない。

 格納庫の壁は不思議な素材で作成されており強力な魔法で保護されている。アリスに聞いてみると俺が知っている手段では壁に穴を開けることはできないそうで、この世界の技術力では傷を付けることも不可能だろう。それにアルゴス移動させることが出来たとしてもアルゴスは扉よりも大きいのでこの場所から持ち出すことは不可能だ。封印の扉を開いてしまったがアルゴスをこのまま放置しても問題はないだろう。


 学院側の立場で情報規制の観点から考えれば砦の司令官と騎士達に勝手にスケッチを取らせるの大問題だと思うのだが教授達は気にした様子がないし、隣のマリアはチョコレートケーキに夢中になっているようだ。

 単に誰も気づいていないだけかもしれないが俺は封印を解くために雇われた冒険者だ。マリアの助手なのだから学院の関係者であることは否定できないし俺の常識で考えればマリアに警告する義務があるように思えるが、俺の常識がこの世界の常識と一致しているとは限らない。俺から告げ口する必要はないだろう。

 と無理やり理屈をこじつけたが実際には何事も穏便に済ませたいと言う日本人気質のためか自分から事を荒げるのは嫌だし面倒だから黙っていることにする。


 アイスロイヤルミルクティを啜り終えて大きなグラスをテーブルの上に置くと、タイミングを見計っていたかのようにマリアが声を掛けてきた。

「そろそろ夕食の時間なのに教授どころかマーガレットも時間を忘れているようだわ」

 マリアの方に顔を向けるとマリアは真面目な顔で教授達を見ていた。呆れているのか心配しているのか顔の表情からでは判断できなかった。アリスが『現在時刻は18時27分です』と知らせてきた。

「そう言えば、もうすぐ6時30分ですね」

 確かにマーガレットさんが時間を忘れて夢中になるのは珍しいかもしれない。夕食は7時からの予定になっている。後片付けをする必要があるので急いで戻っても7時には間に合わないだろう。

 マリアは「仕方が無いわね」と言うと「マーガレット! 時間よ!」と大声で叫んだ。




 夕食を食べ終えてマルコム達と雑談しながらお茶を飲んでいたら「一緒に教授の部屋に来て」とマーガレットに呼ばれた。俺はマーガレットに連れられて教授の部屋に入ると教授とマリアがソファに座ってお茶を飲んでいた。

 教授の部屋の入口は応接間のような感じになっており中央のテーブルにお茶のセットが準備されていた。貴族の部屋のように豪華な部屋ではなくいたって庶民的な質素な部屋だ。貧乏性の俺はどちらかと言うと質素な部屋の方が落ち着く。

 マーガレットは部屋に入ると教授の隣に真っ直ぐに進んで座った。教授が座るように合図を送ってきたので俺はマリアの隣に座ることにした。マーガレットがお茶をカップに注いで渡してくれたので、受け取ってテーブルの上に置いた。

「態々呼び出して申し訳なかったね。今後のことを相談したくて来て貰った」

 教授が若干疲れた顔をして説明してくれた。

「マリアくんから君が神の後継者だと聞いては居たが、どうにも信じられなくてね。いや、マリアくんを疑った訳じゃないけど流石に証拠も無しに信じることができなかった。それに心のどこかで封印が解かれるはずがないと思い込んでいたらしい。封印が解かれたらどうなるかなんて何も考えていなかったよ。

 君には申し訳ないことをしたと反省している。それに実際に封印が解かれて年甲斐もなくはしゃいでいたのも確かだ。さっきまでマリアくんに責められてたところだよ」

 何故か教授がほっとした表情で俺に言い訳をした。

「まぁ、酷いわ。責めてなんていないわよ。ちょっと忠告しただけよ」

 マリアが心外だと言う顔で文句を言った。

「それに関しては私も同罪です。ごめんなさい」

 何故かマーガレットが俺に頭を下げた。

「何のことですか?」

 俺は訳が分からないので正直に聞いた。

「何のことって、君も分かっていなかったのかね。まぁ、僕もマリアに指摘されて気づいたんだけどね。勿論、砦の司令官に封印が解除されたことが知られてしまったことだよ」

 教授は疲れたように肩を落とすとカップを持ち上げてお茶を啜った。

「それで、何が問題なのですか?」

 俺は教授がお茶を飲み終えるのを待ってから質問した。

「何が問題かだって?」

 教授は驚いた顔を上げて俺に聞いた。

「リオンは世間知らずだから分からないのよ。ちゃんと説明した方が良いわよ」

 マリアが教授に忠告した。

「成程。確か森から外にでたことが無いと言ってたね」

 教授はマリアに頷くと納得した顔をした。

「砦の司令官は王国に対して封印が解除されたことを報告するはずだ。ひょっとしたら既に報告書を送信しているかもしれない。砦の司令官の権限では我々を遠ざけることは難しいだろうが王国からの命令があれば司令官はあそこを封印して誰も入れないように処置するだろう。早ければ3日、遅くても5日後ぐらいで王国からの命令が届くはずだ。猶予は3日あるいは2日だね。それに教会が介入してくることは必須だ」

 教授の予想は間違っていないとは思うが、何が問題なのかが分からない。封印を解除したことを極秘にすることは考えるまでも無く無理だと思う。最下層の入り口を守備しているのは砦の騎士なのだから封印が解かれたことはすぐに分かってしまうだろう。砦の司令官が王国に報告するのは当然だ。それとも研究できる期間が2日しかないのが問題なのだろうか?

「つまり、アルゴスを研究できるのは2日しかないと言うことですか?」

 俺は疑問に思ったことをそのまま質問した。

「アルゴスとは? 何のことかね?」

 教授は吃驚した顔で俺に聞いた。隣のマーガレットも驚いたようだ。

「あの飛空挺のことです」

 俺は答えてからしまったと思ったが今から誤魔化すことはできないだろう。

「飛空挺? 確かにマルコムも飛行艇じゃないかと言っていたが。しかし、驚いたな。君とマリアは仲良く座ってお茶をしていたと思うが、何時の間に調べたんだね」

「いや、特に調査はしてませんけど、まぁ、何となく分かったと言うか何と言うか……」

 俺はどうやって誤魔化そうかと思案を巡らせた。

「成程、確かに君は神の後継者なんだね。あれが何か既に分かっているようだ。ひょっとしてそのアルゴスを自由に使うことも出来るのかね?」

 俺は助けを求めるつもりで隣のマリアを見たが、マリアは微笑んだまま嬉しそうにお茶を啜っていた。明らかに助け舟を出すつもりは無さそうだ。教授とマーガレットは吃驚した顔で俺を見つめているところを見ると、2人ともアルゴスが何なのかをまったく知らないのだろう。

「まぁ、正直に言えば使えないこともないです」

 俺は諦めて正直に答えることにした。

「そうか、確かに君は神の後継者で間違いないようだ。改めて認識したよ」

「飛空挺とは何なの? それに、リオンくんはアルゴスを外に持ち出せるの?」

 マーガレットが俺に聞いた。

「飛空挺とは空を飛べる乗り物のことだよ。厳密にはアルゴスは飛空挺じゃないけど、まぁ、空を飛べる乗り物と言う認識で概ね間違っていないと思う。それと、何時でもアルゴスを呼び出すことができます」

「呼び出せるとは? 何時でも何処でも好きな時に呼べると言うことかね。例えば、学院に帰ってから呼び出すことも可能なのかね?」

「えぇ、その通りです」

 俺が答えると教授は「ふうむ」と唸って腕を組んで考え込んでしまった。


「くっくっくっ……」

 教授が黙り込んで3分ぐらいだろうか、誰も何も言わないのなら部屋に戻ろうかと考えた頃、教授が急に笑い出した。

「やぁ、失礼した。あいつが悔しがっている顔を想像して笑ってしまった。申し訳ない」

 教授はカップに口をつけてお茶を啜った。隣のマーガレットが不思議そうな顔をして教授を見ている。俺も教授が何を言っているのか分からなかった。

「ところでアルゴスはバリアに保護されているので誰も触ることができないし、あそこからアルゴスを持ち出すことは誰にもできない。そして、リオンくんは学院に戻ってから好きな時に呼び出すことができる と言うことで間違いないかな?」

 俺は返事の代わりに頷いた。

「するとだ。僕の予想が正しければ、まぁ、早くても2日後ぐらいに砦の司令官があそこを封印して我々は追い出されることになるだろう。しかしアルゴスはバリアに包まれたままだから誰も手を出す事もできないしアルゴスは扉よりも大きいから誰も外に持ち出せる者はいない。それに王国が相手となると例え教会であっても簡単には手を出すことが出来ないし、教会が干渉できたとしても王国と同様にアルゴスに触ることも運ぶこともできないって訳だ」

「苦労して手に入れても何も出来ないと分かったあいつが悔しがる顔を想像すると笑いが止まらないよ」

 教授は再び「くっくっ……」と笑い出した。

「あら、あいつのことだから油断しない方が良いわ。誰も予想も付かない手段を使って手を出してくるに決まってるわ。ひょっとしたら既に手を出しているかもよ」

 教授とマーガレットがぎょっとした顔でマリアを見た。マリアはいたずらが成功した子供のような笑顔を向けた。

「マリアさん。脅かさないでください」

 マーガレットがほっと安心した顔で言った。

「冗談にしては性質が悪いよ。幾らなんでも既に手を出せるはずがない。あいつはまだ知らないはずだ」

 教授は不安そうな顔つきでマリアに文句を言った。

「あら、私は冗談を言ったつもりはないわよ。リオンくんが来る前にも言ったけど十二分に警戒した方が良いわよ」

 とマリアは「うふふ」と笑った。教授とマーガレットは首を傾げた。2人にはマリアが本気なのか冗談を言っているのか分からないらしいが、俺にはマリアが本気で忠告しているように思えた。


「それで、明日はどうするの?」

 みんなが落ち着いた頃を見計らってマリアが教授に聞いた。

「そうだね。アルゴスはバリアで包まれているから誰にも手が出せないからねぇ。砦の騎士団に追い出されるまで我々は可能な限りアルゴスに張り付いてスケッチを取りながら観察するしかないだろう。学院の研究者なら当然の行動だ。すぐに引き払ってしまったら逆に不信に思われるだろう

 まぁ、実際のところアルゴスには非常に興味があるよ。リオンくんには色々と教えて欲しい」

「あら、リオンくんに聞いても無駄よ。私も色々と聞いたけどアルゴスのことを殆ど知らないらしいわ」

「しかし、リオンくんはあれを使えるんだろう?」

「そうねぇ、使うと言うよりも命令すると言った方が正しいわね。アルゴスは生きてる乗り物って感じかな。随分昔のことだけど、神はアルゴスに命令して使ってたわよ」

「マリアさんはアルゴスのことを知ってるんですか?」

 マーガレットが驚いた顔でマリアに聞いた。

「えぇ、前に乗った事があるわ」

「一体、それは何年前のことかね」

 教授が聞くとマリアとマーガレットが同時にきつい視線で教授を見た。

「あぁ、すまない。失言だった」

 教授はすぐにマリアに頭を下げた。そして気まずそうに「コホン」と咳をした。

「とにかく、今後の方針は砦の騎士団に追い出されるまでアルゴスに張り付くと言うにするよ。そうだな、もしも騎士団に追い出されなかったとしても最長で5日かな、6日後には砦を出て学院に帰ることにしよう」

 教授が提案するとマリアは頷いて返事をした。




 翌日。予定通り学院の研究チームはアルゴスの格納庫に向かった。朝一番に教授が砦の司令官に依頼したので格納庫の入り口、つまり封印の扉の前に6名の騎士が見張りに立ち、格納庫内には学院の研究チーム、即ち、教授、マーガレット、マルコム、マリアと俺を含めた5名しか入れないようになった。

 教授、マーガレット、マルコムの3人は昨日に引き続きアルゴスのスケッチを取り、俺とマリアはテーブルと椅子を出して座った。

 マリアは大量のお茶菓子をテーブルに出して暇そうな顔で教授達の様子を眺めて過ごしたが、俺はアルゴスから手に入れた情報をライブラリから呼び出して内容を確認した。

 アルゴスの操作方法やメンテナンス等は俺の記憶領域に直接インストールされているのでアルゴスを使いこなすことが出来るし、多少の故障なら修理することも可能だ。しかし、例えばアルゴスのメイン動力炉が壊れた場合、動力炉の詳細な設計図はあるのだが壊れた動力炉を修理することは俺の知識では手に負えないだろう。動力炉が壊れたら壊れた箇所の装置を交換するか予備の動力炉に丸ごと交換することになるだろう。ライブラリに登録されている教科書や技術解説書等を紐解けばなんとかなる可能性はあるのだが、動力炉の設計図を独学で理解できるようになるには果たして何年かかるのか見当もつかない。

 以前にライブラリに登録されている情報を俺の主記憶領域にインストールできないかとアリスに質問しまくった結果、主記憶領域にインストールが可能な情報のフォーマット自体を理解することが難しく、アリスは情報を整理してインストール可能なフォーマットに変換することが出来ないらしい。

 うまく表現できないのだが、どうやらアリスは本来の機能の大部分が封印されているらしい。普段は明快で論理的な応答があるのに「何故変換できないのか?」等の質問をすると途端にアリスの回答が曖昧になってしまう。俺の勘違いなのかもしれないが、アリスのかなりの機能が封印されているようだ感じた。俺が得た知識はあくまでも基礎知識にしか過ぎないのだろう。



 そして翌日。教授の最悪の予想でも今日一杯はアルゴスを研究できるはずだったが、朝一番にとんでもない事件が発生した。

 俺は早めの朝食を済ませて他のメンバーが朝食を食べているのを眺めながらコーヒーを飲んでいたのだが、突然、アリスから警告を受けた。

『砦の外に重複次元性異性物を探知しました。グレートデーモンのようです。注意してください』

 マップ画面が目の前に展開され砦の門の近くに赤い点が表示された。赤い点から吹き出しのテキスト枠が表示され赤い字でグレートデーモンと表示されている。そして砦の内部に無数の青い点も表示された。

 グレートデーモンは魔界と呼ばれる次元領域に生息する生物だが、複数次元に渡って同時に存在することができる非常に厄介な生物だ。物理攻撃も魔法攻撃も全く効果が無い。俺の「黒桜」なら辛うじて傷を与えられるかもしれないと言ったところだ。そして単体で国を滅ぼすことが可能なぐらい破壊のパワーは凄まじい。

 身長は7,8mぐらいだが魔神と呼ばれるクラスになると10mを超える固体も居るらしい。そして魔石から魔獣に復元する能力も持っている。

 一緒に朝食後のコーヒーを飲んでいたマリアも吃驚した顔をして俺を見た。

『グレートデーモンの近くに48体のオーガが出現しました。注意してください』

 再びアリスが警告してきた。マップ画面に幾つもの赤い点がグレートデーモンの周りに表示された。そして赤い点がゆっくりと砦の門に向かって動き出した。

 数が多いがオーガだけならさほど問題は無いかもしれないがグレートデーモンとなると砦の騎士では手に負えないだろう。

 グレートデーモンがアリスの情報通りならば、砦の騎士は簡単に滅ぼされてしまう。全力で逃げる以外に対策は無いように思える。逃げるのならば急いだ方が良いだろう。


 俺は席を立ち上がり朝食を食べ始めたばかりの教授の所に向かった。下手すると教授は朝食を食いはぐれる可能性があるなぁと、一瞬だが気の毒に思った。

「教授、砦の外にグレートデーモン1体とオーガ48体が現れました」

 教授は俺を見上げながら「なんだって?」と聞き返した。

 いきなりグレートデーモンとオーガが現れたと言われれば、教授の反応はいたって普通の反応だろう。

「砦の外側にグレートデーモン1体とオーガ48体が出現しました。現在、砦の門に向かって移動しています。砦の騎士団もかなり慌てているようです」

 門の近くの青い点の動きが活発になっていたので、騎士団の様子も付け加えた。

「グレートデーモンだって!」

 教授は椅子から立ち上がって叫ぶと俺の後ろに立っていたマリアを見た。マリアが後ろに居ることには気づいていたが俺は敢えて後ろを振り向かなかった。

「なんと言うことだ」

 教授は唸ると窓の方に向かった。教授の大声で注目していた他のメンバーも教授と同じように窓側に移動した。

「ここからでは見づらい。屋上に行くよ」

 教授は誰ともなしに言うと食堂の出口に向かって走った。マリアを除いた他のメンバーも教授に釣られて食堂を出て行った。マリアは普段と少しも変らない様子で俺の傍に立っていた。

「仕方がないわ。私達も行きましょう」

 マリアは言うと急ぎ足で教授達の後ろを追いかけた。屋上に行くよりも逃げる準備の方が先だと思うのだが日本人の性か、1人だけ取り残されてしまうとなにやら落ち着かなくて不安な気持ちになってしまった。得策じゃないよなぁと思いながらも俺も教授を追いかけた。


 屋上に出ると砦の広場の全体を見渡すことができる。さほど遠くないところに丸太で組まれた砦の門が見えるし、騎士団の幾つかのグループが門に向かって走っていくのが見えた。皆が集まっている場所に急いで移動して皆と同様に門の様子を眺めた。

 ひときわ大きな雄叫びの声が門の方から聞こえてきた。そして丸太で組まれた門が中央をへし折られて砦の内側に倒れた。グレートデーモンが歩いて門を通ると何匹ものオーガがグレートデーモンの横を追い越して砦の中に流れ込んできた。

 砦の騎士がオーガとグレートデーモンに向って行くのが見えた。オーガに向った騎士はまだしもグレートデーモンに向った騎士は哀れとしか言いようがない。まるで大人に群がる幼稚園児だ。

 グレートデーモンは威嚇するかのように大声を張り上げ、両腕を左右に振って騎士を殴りつけ足で蹴飛ばしており、その度に騎士が跳ね飛ばされている。20mぐらいは飛んでいるかもしれない。なんだかアニメが映画を見ているようで現実に見ているのに冗談にしか思えない。

 グレートデーモンは騎士を跳ね飛ばしながら砦の本部に向って広場を進んで来た。


 皆は横一列に綺麗に並んで唖然とした様子でグレートデーモンに奮戦する騎士を眺めている。早く逃げるように教授に提案したいのだが、皆の雰囲気に飲まれてしまって「逃げましょう」となかなか切り出せずにいる。突然、半透明の青白いバリアに包まれたアルゴスが研究棟から少し離れたところに出現し、アルゴスの声が聞こえた。

『マスター! 転送魔法による攻撃を探知しましたので、防衛のための緊急短距離移動を発動しました。指示をお願いします』


グレートデーモンは砦の本部に向かっていたのだが。アルゴスの出現に気づいたらしくコースを変えてアルゴスに向かった。このままではアルゴスがグレートデーモンに破壊されてしまう。アリスからアルゴスが破壊される可能性があると警告してきた。

 焦った俺はとっさに杖を装備し飛翔フライの魔法を発動した。

「待って!」

 マリアの制止の声が聞こえたが、待っていたらアルゴスを破壊されてしまう。アリスによると強力なアルゴスのバリアでさえもグレートデーモンに5、6発も殴られればバリアが消滅してしまうらしい。

 俺は屋上からアルゴスに向かって飛び出した。「黒桜」ならグレートデーモンに少しはダメージを与えられるはずだ。


「良く見て!」

 後ろの方からマリアの叫び声が聞こえた。マリアも飛翔の魔法で追ってきたらしい。しかし、「良く見ろ」とはどう言う意味だろうか?

 マリアの警告の意味を考える間もなく、グレートデーモンはアルゴスに辿り着き、腕を大きく振り上げてアルゴスのバリアを殴りつけた。

『未確認生物より攻撃を受けました。バリアの負荷率は12%です。指示をお願いします』

 アルゴスが報告してきた。

 負荷率が12%だって?

 俺は驚いて飛ぶ速度を緩めた。アリスからの警告では負荷率は200%を軽く超えるずだった。俺はグレートデーモンに意識を集中した。なんだが存在感が薄いような気がする。

 グレートデーモンは反対側の腕を振り上げて再びバリアを殴りつけた。アルゴスが何も言わないところを見るとバリアの負荷率は変わっていないのだろう。負荷率が12%ならバリアが破られる可能性は殆どないはずだ。無理して俺が駆けつける必要はない。俺はその場で浮揚してグレートデーモンを観察した。

「リオンくん。慌てすぎよ」

 マリアが俺のすぐ傍まで近づいて呆れたような声で言った。

 成程、こちらの次元に対する存在エネルギーが足りないらしい。グレートデーモンの存在感が徐々に薄れている。

 グレートデーモンを呼び出すためにはこちらの世界の生物を依代にして呼び出す必要がある。強力な依代を使えばそれなりにこちらの世界での存在時間を延ばすことができるのだが、例えば、一般人を依代した場合は良くても30分ぐらいしか持たない。多少の魔力を持っている魔術師でも1時間ぐらいだろう。それにグレートデーモンが発揮できる力も依代に依存している。一般人の依代ではグレートデーモンも十分な力を発揮することができない。

 そして、グレートデーモンを召喚した依代はこの世界に存在することができなくなるため消滅してしまう。

 グレートデーモンを召喚できるほどの魔術師が依代になったとすると少なくとも半日は持つはずなのだが、まるで、多少は魔力があるだけの一般人を依代にしたかのようだ。グレートデーモンが出現してから30分ぐらいだろう。しかし、この世界の一般人がグレートデーモンを召喚することなど出来ないはずだ。

 兎に角、アルゴスに危険はないし、1、2分でグレートデーモンは消えてしまうだろう。

 俺はマリアの方に顔を向けた。

「どうやら、マリアさんの言う通りですね。すみません」

「まぁ、仕方が無いけど……。飛翔の魔法まで使ったから、目立っちゃったわね。アルゴスがここに現れただけでも大変なのにね」

 マリアは言うと「うふふ」と笑った。

「後で言い訳が大変そう。教授でも誤魔化すのは難しいかもしれないわよ」

 マリアと話している内に、グレートデーモンは透き通って見えるようになるとやがて消えてしまった。俺はグレートデーモンが消えたところに降りた。続いてマリアも俺の近くに降り立った。


 残留エネルギーが残っているがグレートデーモンは完全に消えた。アルゴスは広場の隅の方に出現したので騎士の訓練の邪魔にはならないのだが相当に目立っている。このままここに置いておく訳にはいかないだろう。

「ここに居ても目立つだけだわ。とりあえず、教授のところに戻りましょう」

 グレートデーモンは消えてしまったがまだ大量なオーガが残っている。騎士達は6,7人のグループで1匹を相手にしており明らかに騎士達の方が優勢だ。多少は気が引けるがオーガに関しては騎士達に任せれば良いだろう。少なくとも俺とマリアがでしゃばる必要はない。

「そうですね」

 俺はマリアの提案に頷いて一緒に研究棟に向って歩いた。しかし、アルゴスをこのまま放置したら後で大変なことになりそうだ。

「そうだ。アルゴスを飛び出させて、近場に隠しましょう。アルゴスが勝手に飛んで行ったので僕達は何も分からないし、どこに行ったのか分からないと言うことにしたらどうですか?」

「あら。それは名案だわ」

「それじゃ、すぐに命令します。騎士達が混乱している今の内が良いでしょう」

「えぇ、その方が良いわ」

 マリアが同意したので俺は研究棟に向って歩きながらアルゴスに飛んで近場で隠れるように命令した。




 グレートデーモンが現れた2日後の朝に俺達は砦を出発して帰路についた。

 グレートデーモンの襲撃により砦は甚大な被害を受けた。軽傷者を含め死傷者は700人を超え、死亡者は200人に達していた。

 襲撃者の目的はアルゴスであることは明確だが、犯人は誰なのかは全く分からなかった。分かったことはグレートデーモンとオーガは陽動で遺跡の最下層に侵入した犯人は転送装置を使ってアルゴスを持ち出そうとしたらしい。

 最下層の格納庫に転送魔法を発動した魔力の残留が残っていた。教授とマリアの意見では前文明の遺品が使われたらしい。少なくとも今の技術力では大掛かりな転送魔法を使えるマジックアイテムは作れないそうで、転送魔法を使える魔術師も限られているそうだ。

 教授は犯人は教会で間違いないと確信しており、マリアも同意見のようだが、何せ犯行の痕跡が一切無いためどうしようもない。封印の扉に見張りも居ない状況だったのが致命的だ。誰も司令官を責めなかったが見張りを置かなかったのは明らかに司令官の判断ミスだ。司令官は伯爵の娘なので罰せられることはないだろうが、そうでなければ司令官が左遷させられることは間違いないだろう。

 アルゴスが消えてしまったことについては、知らぬ存ぜぬが通用した。アルゴスを砦の近くに置いておくと発見される可能性があるため、迷宮都市と学院都市の間に存在する巨大な湖の底に移動させた。教授とマリアからアルゴスが何処にいるのか聞かれたが俺は「それは秘密です」と答えた。

 教授は知らないほうが良いだろうとすぐに納得したが、アルゴスにはしきりと乗りたがった。アルゴスに乗れば学院まで1時間もかからずに移動できるのだが、そんなことをすれば後でアルゴスで移動したことが簡単にバレてしまうだろう。

 子供のようにねだる教授を俺とマリアは無視した。マーガレットが教授を慰めている様子を見て笑いを堪えるのに苦労した。


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