1-7・黒魔術の正体
屋上までの階段を上りきる、その手前まで来た。立ち止まったのはドラマなんかでよく見る黄色いキープ・アウトが行く手を阻んでいたからである。道半ばならぬ階段半ば。この位置からでは開きっぱなしの屋上扉までしか目視できず『屋上を見る』という目的は達成できそうにない。
俺と明崎さんからの視線を受けて、士道は顔を引きつらせた。
「その、な! 一応、ここまでってことになるかな! ここから先は関係者以外立ち入り禁止だ!」
苦しい言い訳だ。
「一応、鍵の壊されていたという屋上扉までは見えますが……」
明崎さんは納得できないといった表情でテープの向こうを覗き込んだ。
「現場保存の重要性は理解しているつもりです。でも……肝心の現場が見られないとなると……」
しばらく気まずい沈黙が流れた。やがて、明崎さんは言った。
「屋上扉の手前まででいいんです。それ以上は立ち入りません。これは私と士道さん、両者の間でギリギリまで調整された折衷案のはずです。つまり、こうです」
宣言してから、明崎さんは黄色いテープをくぐって階段を上りきり、屋上扉に通じる踊り場に躍り出た。
「お、おい嬢ちゃん!」
焦った士道は止めようとして、テープに遮られ、改めてテープをくぐって明崎さんのあとを追う。
俺も、まあもういいだろうと思って普通にテープをくぐって屋上扉を見に行くことにした。
「大丈夫ですよ、士道さん。明崎さんや俺が証拠の隠滅や破壊工作等、何か怪しい動きをした際には黒繰グループの窓口まで文句を言いに来てもらえば」
「マジで文句言いに行くからな! 覚えてろその言葉!」
明崎さんを先頭に、半分開いている扉から屋上の様子を伺う。申し訳程度の街灯にかすかに照らされる夜の屋上、果たして、眼前には魔法陣がところ狭しと犇めいている――かと思いきやそんなことはなかった。
白いチョークで描かれていたはずのそれらは屋上という場所柄、風雨に晒されほとんどが消えかけている。昆虫の串刺しもおそらく証拠品として回収されてしまっているのだろう。現場にロクに残っているのは、すでに溶け切った蝋燭の残骸と、フェンスを使って張り巡らされている白い紐くらいなものだった。その白い紐すらほとんどは緩み、うち数本に至っては切れてしまっている。
「現場保存もなにもないね」
俺の呟きに、士道は「まあ……それはそうなンだが」と煮え切らない返事をする。
「それでも、立ち入らないという約束です」
明崎さんだけが真剣な眼差しで現場を見つめていた。
「そういえば警察が屋上に到着したとき、扉は閉まっていたんですか?」
士道に向け、明崎さんが聞いた。
「河渡さんは現場を直接見ていないので、そのへんの詳細を聞き逃しているんです。でも、今見たところ鍵は完全に破壊されています。だからもしかして扉を完全に閉めることはできなかったんじゃないか、と」
「そうだな……たしか報告書には屋上に駆けつけたとき扉は半分開いていたと記載があったはずだ。まあ、ブロックを落としたあとすぐ逃げたンなら扉を閉める隙なんてなかったンじゃねえのか?」
と発言したあとで、士道は慌てて「今のは独り言だけどな!」と誰に言うでもなく釈明した。
明崎さんはそれについて特に言及せず、推理を続ける。
「この魔方陣は事件前夜に描かれたもの、という見方でほぼ間違いないでしょう」
「……どうしてそう思う?」
「現場に残っている物品がほとんど白いからです」
明崎さんは、屋上のさらに上、日の落ちた夜空を見上げた。
「昼間のうちにこんな工作をするのはリスキーです。でも、夜のうちにこれだけの工作をしようと思うと、どこに何を設置したのか、物が見えなければ不用意に証拠を残すことになります。だから魔法陣を描くチョークも白、飾りの紐も白、かつて蝋燭だったはずの溶けた蝋も、おそらく元は白だったのでしょう」
明崎さんの推理に、士道は今度は口を噤んだ。捜査状況は一般人には話せない。それでも、警察の見解もおそらく同じものなのだろう。一致しているからこそ同意ができないのだ。
そして俺もまた彼女の推理への発言は差し控えた。理由はもちろん推理が当たっているからだ。
やはり彼女は探偵だ。であれば、現場に来た以上きっと気付く。今回のトリック、そして、それを仕掛けた犯人について。
明崎さんは何か考えるように腕を組み顎に片手をあてた。それから屋上に向け一歩近付いた。じっと、床を見ている。そうしてもう一歩、屋上の扉の前に歩を進めた。そして……。
「入ってません! ギリギリです! ギリギリセーフです! 入ってません!」
と言って屋上のギリギリを攻め始めた。
「屋上、案外広いですね! 暗くてよく見えないんですけど、奥のほうまで魔法陣は続いていた、という認識で大丈夫ですか!?」
「お、おう……」
若干引いている士道。
「あんまり無理な体勢を取ると危ないぞ、嬢ちゃん……」
「いえ! 大丈夫です! まだいけます! それに、立ち入ってはいません!」
もう立ち入りを許可したほうが早い気がする。
屋上の奥をもっと見ようと、明崎さんは足の運びに余念がない。どこに立てばより見通せるのか試行錯誤を欠かさない。それを一歩離れた位置で見守る俺、そして置いてけぼりの士道。
「お、おい、嬢ちゃん、そのへんで……」
士道の声に「いえ! まだ……」と言いながら振り返ろうとして、明崎さんは足を滑らせた。
「きゃっ!?」
「おっと」
転びかけた明崎さんへ俺がフォローに入る。背中から床に倒れ込みそうになっていたところに手を伸ばし、掬い上げるようにして支え、胸に引き寄せた。
まあ、そこそこ重い。しかしそれを支えきれずしてなにが助手だろうか。というか、俺の筋力の問題かもしれない。明崎さんは小柄だし、俺はあまり筋骨隆々というタイプでもない。……筋トレか。明崎さんのためなら、まあ、やぶさかでもない。
俺は腕の中、小さくなっている明崎さんの顔を覗き込むようにして聞いた。
「大丈夫?」
「は、はぃ……」
よほど怖かったのか、明崎さんは硬直したまま小さな声で返事した。顔が赤い。そんなに恥ずかしくなるほど大きなミスではないのだが。現に、俺のフォローが間に合っている。もしかして士道の前ですっ転んだことが原因だろうか? 初対面の相手を前に大きなミスをした、なんて考えているのかもしれない。だとしたらあとで彼女のミスを口外しないよう口封じを用意してもいい。士道相手に何を使えば賄賂足り得るのか、俺も確認が必要だと思っていた。
「だい、だ、大丈夫、なので……」
「うん?」
蚊の鳴くような声に改めて意識を明崎さんに戻せば、俺の腕の中から立ち上がろうと懸命に細腕に力を込めていることがわかった。俺はそれを補助するかたちで、彼女を両の足で立ち上がらせる。
「だ、大丈夫、なので……本当に……大丈夫です……大丈夫です……」
顔を真っ赤にしたまま、明崎さんは俺に向け両手を突き出すようにして若干の距離をとった。
「大丈夫です……ありがとうございました……助かりました……大丈夫です……」
よくわからないが大丈夫らしい。
俺から距離をとったあと、何度か深呼吸しているが、大丈夫らしい。
俺は振り返り背後に立つ士道に言った。
「今ここで起きたこと誰にも言わないでもらえますか? 必要なら賄賂的なものをご用意してもいいんですけど……」
「待て待て待て! なんでそうなる!」
士道は俺の腕を掴むと、明崎さんから距離をとらせ気持ち小声で会話を試みてきた。
「なんで賄賂の話になるンだ! 俺は権力には屈しないって言っただろうが!」
「いえ、明崎さんが転びそうになって大変恥ずかしい思いをしているので……目撃者の口を封じようかと……」
「発想が怖いな! いや待て、発想がズレてンな!?」
「いえ、口を封じるといっても別に殺害に及ぶわけでは……」
「そっちじゃなくてな!?」
士道が俺にイチャモンつけてる間に、ようやく落ち着いた様子の明崎さんが小さく「あれ?」と呟いた。もちろん聞き逃す俺ではない。
「どうしたの、明崎さん?」
士道を無視して彼女に歩み寄る。明崎さんは「ああ、えっと」と俺を見たあと足元へ視線を落とした。
「なんで今、足を滑らせたんだろうって思って……足元を確認してたら、見つけたんです」
俺もまた明崎さんの視線を追って床を見た。
そこには溶け残りの蝋が半分床と同化するようにしてこびりついていた。おそらく明崎さんはこの蝋に足をとられ転んだのだろう。ギリギリを攻めていた以上、彼女は屋上に立ち入っていない。つまり蝋は屋上ではなく、屋上扉の前に、屋内に存在していたのだった。
「どうしてこんなところに……」
「黒魔術の残骸かな?」
俺の言葉に、明崎さんは「それはおかしいです」と言った。
「それなら屋上で溶け残ってないとおかしいんです。こんな中途半端なところに蝋燭を立てても、魔法陣を照らすことは……」
ここで「いや」と明崎さんは言った。
「違う……違うのかも……大量の白い紐がミスリードであるように、魔法陣や、周囲の溶けた蝋燭こそが」
明崎さんは、弾かれたように顔をあげた。
「そうか……そういうことだったんだ……!」
興奮のため赤らんだ頬。星を封じた大きな瞳。これで河渡を助けられるという正義感に、そうすべきという使命感。
俺は、言い知れぬ高揚感と共に明崎さんを見つめた。
「何かわかったんだね?」
「はい」
「ど、どういうことだ?」
明崎さんは、俺と士道とを見据えながらハッキリと宣言した。
「屋上に入ることなく、地上に向けてコンクリートブロックを落とす方法がわかりました。犯人は――」
続く彼女の言葉に、俺は右手で口元を覆ってさも驚きで言葉を失ったかのように演出した。
ああ、明崎さん。明崎明さん。俺だけの、可愛い可愛い探偵さん――……。
俺の口元は、ほころんでいた。
事件から一週間、月曜午前中のうちに警察はある人物への事情聴取を敢行した。じきに逮捕されるだろう。罪状は河渡へのストーカー行為と殺人未遂。最初は否認を繰り返すかもしれないが彼が犯人で間違いない。この俺――トリックの発案者が言うのだから、間違うことなどありえない。
やがてその人物――為池真鯉は『河渡蛍に道を聞こうとした』という証言を翻し『一緒に死のうと思った』と自白した。




