プロローグ
窓の外は広く穏やかな草原。高台にあることもあり周りに他の建物は見えない。
ぽつんとこの世から切り離されたように感じたこの施設も優しく差し込む日光の眩しさにも慣れたものだ。
ここに配属を命じられたのは約一週間程前。
都市部の本庁に勤務していた自分にとっては転機と言える異動だった。
【巡査部長 シャルル・マチュ 東部高台駐在署配属】
たったそれだけが記載された発令紙を見た時は目を疑ったものだ。
高台駐在署。
他国との貿易を海辺で行うことが多い本国は湾岸部の方が栄えている。
実際、本庁も港に程近いエリアにあった。
対して山を登った高台地方は古くからその地方に住まう先住民らが多く居住している。
都市部と違い独自の文化が根付いているという噂。
先住民らと揉めれば最後このご時世だが村八分に合うとか…。
そんな地域の駐在署。本来の警務業務のみで済む筈が無い。
配属期間は三年。
不安だが視野が広がる好機だと無理やり自分に言い聞かせた日が懐かしい。
あれよあれよと申し訳程度の引き継ぎと荷造りを完了させた後に案内されたのはここグレイス精神病院だった。
駐在所というのは建前で自分が配属された理由は「この病院に入院する事件被疑者のケアと観察」だった。
理由を聞いて戸惑いの中元上司に電話したものの残念ながら配属が覆ることは無かった。
言われた言葉は「上手くやれるさ」という根拠も情もない言葉。
次会った時は上層部にチクるつもりだ。
やりとりをまた思い出して悶々とする私を見たバートン医師は進む足を止め、申し訳そうに眉尻を下げた。
「申し訳ない。情報の伝達不足とはいえ若いお嬢さんをこんなところで拘束してしまうなんて。何も無くて不便だろう」
人の良い顔で今日何度目かの謝罪を言われてしまう。
「不便だなんてとんでも無い。仕事ですから。…お嬢さんと呼ばれるような年齢ではありませんがね」
そう言うと「すまないねえ」とまた人の良さそうな顔をされてしまった。
実際ここに配属されてから恐れていた不当な扱いなんて一切受けていない。むしろよくしてもらっていると感じる程だ。
風光明媚で真新しく綺麗な施設。泊まり込みということで用意してもらった白を基調とした一人部屋。広く居心地のいい居室。
入院している被疑者にはまだ出会えていないものの気象が荒い者はおらずメンタルケアに重点をおいた大人しい者たちばかりだと聞く。
本庁よりも良い待遇だとすら思う。
施設職員もバートン医師とその奥様のみだと言う。少し下ったところに他の地域住民が住んでいるというがほとんど出会うことは無い。
車に乗れば都市にだって出れる。
発令紙を見た時は予想だにしなかったこの環境に落胆は無かった。
バートン医師の後ろをついていたがある扉の前で足が止まる。
扉には第一病室とあった。
「シャルル刑事、初日にお伝えしたことは覚えているかい?」
初日に伝えられた大事なこと。
配属理由の被疑者のケアと観察について。
「被疑者のケア及び観察は基本病室内で実施。病室外には事前申告を要する。被疑者同士を会わせない。あくまで傾聴の立場にあれ」
この決まりが被疑者のストレスや精神状態への影響が一番少なく、精神医学的にも真っ当なものらしい。
毎日実施するニ時間の経過観察。
身体は健康なものの精神面に不安がある患者達だ。何が起こるかわからない。警戒して損はない。
決まりを述べたことに勤務内容の理解を改めて感じ取ったのかバートン医師は微笑んだ。
「覚えていて何よりだ。患者は皆いい子達なのだが少なからず警戒心はあるから…。苦労することもあるだろうがよろしく頼むよ」
そう言いながらコンコンと扉をノックする。
鍵穴はあるもののこの病室に鍵はかけていないようだ。
「私だ、新しいお医者さんだよ」
表向きは新しい医師として紹介するようだ。
中から返事は聞こえないがバートン医師は扉を開け自分に手招きした。
「心配いらない。まずはこの子からだ」
手招きのままに入った部屋。
中のベッドで上体を起こしていたのは年端もいかぬ幼子だった。