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花言葉と消えた贈り物

 翌日の朝、私の妻は自分の纏まらない髪に苛々していた。

 梳かせば梳かすほどにブラシに絡まり、仕方が無いから結ってみても、次々後れ毛やら反抗的な毛先が弾けだしてしまうのだ。


 その様子を横で眺めているのは何故か胸が温かくなるばかりだったが、妻の顔がどんどんと泣きそうになって来た事で自分を恥じた。

 守ると決めた自分が何をしているのか。


 本当に何をしているか、だ。

 竜の印を見えるところから消してしまえることができるが、それを元の通りに左頬と首筋に貼り付けているのは、イゼルを手放したくない気持ちからなのだ。


 イゼルは私がこの印によって傷ついていたと同情し、持ち前の優しさで私に寄り添っている。だが、もし私の姿がその他大勢にとっても不快なもので無くなった場合、私の家の財産と爵位を求めて糞貴族の令嬢共が私に押し寄せることくらい考えるまでも無い。


 奴らはきっと言うだろう、男爵令嬢風情が、と。


 それでイゼルが傷つき逃げると思って。


 確かにそれは正解だ。だがイゼルは傷つかない。これこそ幸いと私から逃げるのだ。白い結婚であることを主張して。一緒に風呂に入り裸を見せ合ったことや、一緒の布団で眠りイゼルに私が蹴っ飛ばされた事実だってあるのに。


 けれど私こそ、白い結婚と言えないのだから離縁など無いと、主張するわけない。この私がイゼルが糞野郎達に卑下される状況など作るとでも?

 ならば、私が忌み嫌われる存在であり続ければ良いのだ。


 だがしかし、と私は昨日について思い返した。

 町の人間が私をそれ程怖がっていなかった。

 信じ深いからこそ竜という異端なモノを畏怖すると思ったが、単なる愛妻家の偏屈程度の扱いだった。


「イゼル。私は変わったのか?」


 自分の髪の毛に苛々していた妻は、俺に噛みつくような表情を向けた。


「全然変わっていません。もう、自分ばっかりいつもちゃんとした佇まいで!!ああ私こそ一人で何でもできると思っていたのに。見て!!私の髪を整えてくれる小間使いがいないだけでたった二日で髪がぼうぼうよ!!」


「髪がぼうぼう。昨日は可愛らしくできていたではないか」


「き、昨日は、洗面台にあったオイルを使ったの。たくさんあった化粧水やクリームも。でも、今日は無いし、バスルームの引き出しは私には引き出せないし」


 私は昨日と今日の自分の違いを知った。

 昨日はイゼルが魔法を使えないという意識が頭に残っていたから、イゼルの為に王都で買っていたヘアオイルやクリームや化粧水などを洗面台に置いておいた。


 そうだ。イゼルがそれらを自分で棚に片付けられない、と考えておくべきだった。洗面台から消えていた時点で私が気付くべきだった。

 イゼルから刺繍スカーフが貰えることに浮ついてしまったために、私はイゼルへの環境整備に対して注意散漫になってしまったのだ。


「すまなかった。私の責任だ。棚に片付けられてしまったなら、今すぐ取ってあげるよ」


「棚には無いわ。宿の方が持って行ってしまったみたい」


「まさか。あれは君のものだ。棚に片付けられただけだろう」


「だって、あなたが棚を開いた時には無かったわ」


 そうだ。私達は横に並んで身だしなみを整えていたのであり、私こそ自分に必要な整髪オイルなどを取り出して使っていた。

 私は慌てて棚を開き、もちろんすべての棚だ、どの棚にもイゼルの為に私が買った、ジョワサンファン(終わりなき幸せ)店のボディケアセットが無い。

 なぜだ、どうして。


「ジョワサンファンのオイルも化粧水も、全部、イゼルの為に買って置いたものなのだ。宿の備品では無いはずなのに、なぜここに無いんだ!!」


「ひゃあ!!」


「どうして君が叫ぶ? 何か気が付いた事があったのか?」


「いえ、あの。もしかしてそれも、一週間前に買っていらしゃったものなのかしら、と思って」


「一週間前だと何か問題が?」


 イゼルは先程まで泣きそうに苛立っていたはずなのに、スンと冷静になって、いや、冷静どころか少々ヤサぐれた感じで俺から視線を逸らした。


「イゼル?」


「――あなたは、あなたが知らない異性が、あなたが知らないうちにあなたの為に何かを用意していたら、どんな風に感じるのかしら」


「親切な人がいたものだな、と」


「ぐぐ」


「どうした? 具合が悪いのか? やっぱり、パンを朝から二つも食べるのは食べ過ぎだ。いや、君にはたくさん食べて欲しいからね。君がたくさん食べるのは構わないが、君の胃は小さいはずだ。同じ量でも回数を増やして食べるのはどうかな?」


「ぐぐ」


「イゼル?」


 イゼルは本気で具合が悪くなったようだ。

 むかむかするようで、可愛い手で胸を押さえ、可愛らしくすーはーすーはーと深呼吸をしている。


「髪の毛なんかいい。出立だってどうだっていい。さあ、ベッドに横になれ」


 私はイゼルを抱きかかえようとして、そのまま動けなくなった。

 イゼルが私の胸に右手を当てたのだ。


「イゼル」


「大丈夫です。消えた私の大事なジョワサンファンのヘアオイルの代りにあなたのヘアオイルを貸していただけないかしら?」


「ああ、喜んで」


 私は棚から自分が使うオイルを取り出しイゼルに渡したが、その結果がどうなるのかを考えて、ぞくぞくと歓喜の痺れが走った。


 彼女が私と同じ匂いになる。


 イゼルはオイルの小瓶のふたを開け香りを嗅ぐ。可愛い彼女の鼻がくんと可愛らしく動き、私の背骨がびくっと反応する。まるで自分を嗅がれているようで。


「いい香りね。これはヴァイオレット(すみれ)ね」


「君を見つけてからは、私はずっとこれだ。スミレの花言葉は小さな幸せ、だからな。こんな男が花言葉なんて拘っておかしいか?」


「いえ、そんなことはないですけど。あの、ジョワサンファンのオイルの香りがレモンで爽やかで大変気に入りましたが、あの、それも意味が?」


「ん、んん。レモンは色々あるからな。花の時と実の時でも違う。漠然とレモンの木としてもまた違う。私はだからレモンが好きなだけだ」


「そうですか。ええ、私もレモンは大好きですわ。紅茶に入れてもケーキやタルトにしても、ええ、ジャムにしても。なんでも美味しくなりますもの。でも、花言葉が色々あるものだったなんて、これからもっと好きになりそう。それで、ストックの花言葉はご存じですか? 冬の庭で咲いてくれる花ですわ。淡いピンク色の花弁は冬の世界を明るくしますし、とってもいい香りもする花なのよ」


「君は酷いな」


「知らなくても怒りませんわよ。私こそ花言葉を知らない教養無しなのですもの」


「ちがう。私は君への求愛にたくさんのバラを君に用意したが、本当はストックを探すべきだったと思い知らされただけだよ。ストックを君に贈っていたら、君が私を見る目はもう少し違っていたかな」


「バラ? 存じませんわ」


 イゼルは私を見上げて目を丸くした。

 本当に全く知らない、という顔だ。

 そうだ、彼女は以前に何と言っていた?


 どうして普通に求愛をしてくれなかったのか?


 ああ、確かに私その者が恋していると知られて逃げられたくは無いと匿名にしたが、真赤なバラの大きな花束は彼女に届いていなかったというのか?


「もしかして、贈って下さっていたの? 一週間前に?」


 私はイゼルが自分に向ける視線に、そうだ、と答えていた。

 届いていないならば贈っているなどと嘘と同じであるのに。

 だが、イゼルが私に向ける視線は、期待、で輝いていたのだ。

 深い森が朝露で輝く世界になったように。


 バシン。


 私の胸はイゼルに少々強く叩かれた。

 キラキラした顔で、それはもう嬉しそうにして。


「ちゃんと私に求愛していたのね。私を誘拐する前に、私にちゃんと花束を贈ってくれていたのね。そうか、それでなんの返事も無かったから、あなたは私を誘拐したのね!!思いつめてしまったのね!!」


 こんなにイゼルが喜ぶとは思わなかった。

 目の前で小さく跳ねて喜ぶイゼルは何て可愛いんだ。


「花束を君が受け取っていたとしても、君を必ず誘拐していた!!」


 イゼルの動きが止まった。

 スン、と再び無表情になった。

 それだけでなく、彼女は私をバスルームから追い払い始めた。

 無言でぐいぐいと私の背中を両手で押して、バスルームから追いだしたのだ。


 私が素直に追い払われてベッドルームに移動したのは、怒った恋人に部屋から追いだされる、それを体験出来ていたからでもある。


 いや、彼女の小さな手が自分の背中を押す感触が、とてつもなく心地良かっただけだ。彼女が私を追い払う理由が、私が化け物だからではなく単に私に怒っているから、なのだ。つまり、私は純粋に楽しかった。


 バタン。


 私を追い出しきるや、バスルームの扉は乱暴に閉まる。

 私の表情も変わる。

 私は右手で宙に円陣を描く。

 私の贈り物をイゼルから奪った奴らを見つけねばならない。

ストック 求愛、愛の絆、永遠の美 

真っ直ぐな茎にフワフワした花をたくさんつける冬の花、です。

そしてイゼルはストックを一番好きな花と言っていないし、ダミアンはレモンの花言葉を言っていない。

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