ダウンズベリーでお買い物
目覚めた時、ダミアンがまだ眠っていて良かった、と私は神様に感謝した。
自分が寝相が悪いのは知っている。
枕に頭を乗せて眠りについたはずなのに、起きた時には足を枕に乗せていた。
なんて私には、よくあるよくある、なのだ。
だから、私がダミアンに抱き着いていた、というのも仕方が無いのかも。
なぜならば私は、ベッドから落ちないための方法として、巨大な抱き枕を抱いて寝ているのだ。
その抱き枕は、ただの大きな枕では無い。
縫い付けてある紐でベッドに固定しているの!
威張ることじゃないわよね。
そんなものが無ければベッドから落ちる令嬢などいない、わかってますわ。
でも我が家では私のベッドには固定された巨大抱き枕は必ずあるのが当たり前で、無ければ私がベッドから落ちるからと私に成長に合わせて改良がされるぐらいに、我が家には無くてはならない必需品なのだ。
なぜか最新抱き枕は、強大なマンドラゴラな形に到達しているけれども。
あれは侍女の趣味かな。
でも、ゴーラちゃんは私のお気に入りでもあるし。
「ここにゴーラがあれば」
「ゴーラとは何かな」
ダミアンの少々不機嫌な声に、私は物思いから覚めた。
そうだここはダウンズベリーの町、私達は私の必要なものを買わなければと色々散策し、今はダウンズベリー一番らしいドレスブティックに来ていたのだ。
そして私が自分の衣服をそこで選ぶどころか物思いに逃げていたのは、朝の失態が心に影を落としているからではない。ダミアンが怖いからよ。
彼は店主が持って来たドレスどころか、デザイン帳を投げ捨てる勢いなのだ。
私は彼が苛々していく様子に、彼が私の為に首狩り族になると宣言した昨夜を思い出し、やばいやばいと意識が逃避してしまったのである。
「イゼル?」
「ごめんなさい。(あなたのせいで)実家に置いて来てしまった荷物について(無駄だろうけど)考えてしまったの」
ああ、カッコ内の本音こそぶつけたい。
だがそんな私の苛立ちが通じたか、さらにダミアンが苛立ったみたいだ。
「そうだな。後から荷物が届くとしても、今手元に何も無いのが現状だ。そんな君ががっかりしたのはわかる。この町には素晴らしき君を彩れるドレスも宝石も何も無いからな!!」
うん、この町のどのドレスブティックでも地味なドレスデザインしか無いし、宝飾店では銀細工に宝石に仕えるギリギリの魔石か、礼装用に使える程度の真珠のネックレスかブローチしか並んでおりませんでしたわね。
「残念だよ。君の願いを叶えられないなんて」
ぷつッと何かが切れた音はどこからか。
ハハハハ、私の頭からよ!!
何も持たない状況は、あなたが私を誘拐したからじゃない!!
「当たり前でしょう。ここは宗教区よ!!ギラギラした宝石の飾りや、胸や背中が丸出しになるようなきわどいドレスなど売っているはずないじゃないの。あと、私がそんなものを欲しがっているみたいな言い方をするな!!」
「おきゃ、お客様。いえ、侯爵夫人。大変申し訳ありませんでした。明日のお発ちなるまでに、お気持ちに添うような手直しはできますので!!」
凛とした店主が私に頭を下げるとはどういうことだ。
私はダミアンを覗う。
なんと、自分こそ下々を脅えさせていたというのに、全く今の状況など私は知りませんよ、そんな感じでお茶を優雅に飲んでいらっしゃる。
「ダミアン? あなたこそ欲しいものが無いって、ついさっき殺気を放ってらしたわよね? あっさり落ち着かれてどうしましたの?」
「気の元気な姿が見れたから良い。せっかくの申し出だ。手直しすれば君が気に入りそうなものがあるならば、君が必要なだけ見繕いなさい」
「さすが侯爵閣下ですわ!!」
なぜ、ダミアンが店主からの賞賛独り占め?
この人は、今のセリフから考えるに、目覚めてから今まで私が彼と目線を合わせずに物思いにふけるばかりだったから、罪もない第三者に八つ当たりしてたみたいですのよ。
全く!!私の元気な姿って。
男の人と抱き合っている姿で目覚める、そんなの私には初めての体験なんだから、混乱しちゃうのも当たり前じゃないの。そんな事も考え付かないなんて、本気でダミアンはずれているわよと彼を睨んだ。
絵画的だった。
ツイードの気軽なジャケットに、足を締め付けない柔らかめの生地のズボンの姿は、昨日と違って貴族男性の休日の姿だ。その服装に気安い表情のダミアンは、面倒な仕事からようやく解放された姿にも見える。だからなのかお姿が目に優しい、眼福だ。
だけど、本当に彼は何を考えているんだろう。
彼は出掛ける前にバスルームに籠ったが、出て来た時にはいつも通りの鱗を左頬と首筋に出現させていたのだ。
確かにそれがあれば周囲がダミアンに脅える、けれど。
私はすまし顔でカップに口を付けている彼に体を寄せ、彼にだけ聞こえるように囁いた。
「どうして? わざわざ鱗なんか付けなくとも、あなたは威厳あるし充分おっかないわよ」
ぶふっ。
咽た。吹き出した。威厳など完全に消えた。
私は自分のせいだと思いながら、ダミアンの背中を軽く叩く。
「あなた、大丈夫?」
「大丈夫。君に笑い殺されるのは本望だ」
「全くあなたは!!」
「お仲がよろしいようで」
「そうでも無いわよ。閣下を散財させてやるために付き合って下さる?」
「喜んで、奥様」
さて、ドレスブティックを出た私達だが、私はちょっと納得できない気持ちである。
彼女は何故か私達が物凄い熱々の新婚夫婦だと思ったらしい。店主は新婚の人に贈る品だと言い、お揃いのスカーフとハンカチ、といっても薄いグレーのシルクという共布であるだけであるが、それを私達に手渡して来たのだ。
スカーフは男性用、ハンカチは無駄に幅広いレースが縁取りしているので、確実に女性用だ。ハンカチはレースがあって一見高級品だけど、レースがあるせいで日常使いできないのに地味すぎる印象だ。もしかしてお金持ちの貴族は、こんなのが日常使い品だったのかしら。でもそうすると男性用スカーフは日常使いでも寂しい色合い。宗教区だったら、これも普通なの?
「妻が夫のスカーフに刺繍し、ハンカチに同じものを、か。これは浮気防止の戒めの魔法をかけられるな。宗教区らしく女の従順さを求めるどころか、女こそ手綱を握れと言う事か。恐ろしいな」
私は横から聞こえたブツブツ声に、世界の世知辛さを感じた。
魔法を使えない私には考えもつかないわ。
もしかして、ダミアンが足枷なんか考えたのは、割と魔法を使える人には当たり前の感覚だったのかしら。
「なんか、がっかり」
「な、何がだ?」
「私はお揃いの刺繍は普通にお揃いだって喜ぶものだと思ったの。それが刺繍する事で夫を縛るための魔法アイテムとなるって聞いたら、なんか、がっかり」
「刺繍をする気だったのか?」
「刺繍は上手でないけど好きよ。長旅だもの。手慰みにって思ったの」
「ん、んん。私が先程言った事は忘れてくれ。刺繍などこの町の慣習ってだけだからな、別に君に無理にさせる気は無いと思って言ってみただけだ」
ダミアンは、そうか、お揃いの刺繍があるスカーフが欲しくなったのね。
魔力無しの私が刺繍しても無害だし。
でも、私が刺繍したものが欲しいんだ、と思うとクスクス笑いが出て来た。
ちらちら私を見るダミアンの耳は、もう真赤じゃないの。素直に、お揃い欲しいから刺繍して、と私に言っていいんですのよ?
「刺繍するならやっぱりモチーフはドラゴンかしら?」
「刺してくれるのか?」
「長旅ですもの。良い息抜きになるわ」
「そうか。では、」
ダミアンはピタリと言葉だけでなくと足も止めた。彼の左腕に右手をかけてる私も、彼と同じようにして足を止める。考え込んじゃったのかしらとダミアンを見上げれば、彼はぼんやりとした表情で草むらの方を見つめている。
なにかしら?
私も視線をそこに動かせば、そこには小さな小さな青い花が咲いていた。
別に珍しくも無いこの季節によくある花だ。
ただし、季節外れの開花である。
「きれいね。この季節に見られる花じゃないから、より一層きれいに見えるわね」
「ああ。私達を祝っているみたいだな」
「では、刺繍のモチーフはスミレにしましょうか」
「頼む」
私達は一緒に、小さな青い花を眺めた。
私のお腹がぐうと鳴るまで。
仕方が無いじゃない、香ばしい焼き栗の匂いを嗅いじゃったんだから。




