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誘拐犯様、あなたの言葉の中のその単語、聞き捨てならないんですけど?

 昏倒していた私の目が覚めたのは、肉体による生理的欲求からである。


「吐きそう!!」


 迫りくる嘔吐感から逃れるべく、私は瞼を閉じたまま声をあげていた。

 するとすぐに私の上体は持ち上げられて支えられ、顔には少々硬いが上等な布地があてられた。


「好きなだけ吐け」


 言葉通りにしたかったが、意識がはっきりすれば現状だってはっきりする。

 パッと瞼を開けて見えた風景は、私が間違いなく誘拐犯の馬車の中にいるというもの。それも、誘拐前に私が乗っていた自宅の馬車よりも数段上の、長距離移動用の座席がソファみたいになっている豪華タイプだ。


 そして私を抱きしめて私を介抱しようとしているのは、私に臭い布を押しつけたあの男ではないか。今は彼のマントの端を押しつけられているけれど。


「あ、ああ」


「大丈夫だ。いくらでも吐いて良い。さあ」


 吐いたらどうなるのか。

 その恐ろしいばかりのトカゲ顔で宥められても、落ち着けるわけ無いじゃない。

 この人は常識が通じそうもない。


 逃げなきゃ、逃げなきゃ、今すぐ逃げなきゃ。

 外へ、外に出るのよ!!


「こんな所で吐きたくない。下ろして、外に出して!!」


「馬車を止めろ!!」


 本当に止めた。

 それでもって男は私をさらに強く抱き絞めてしまった。


「離して、外に出たいのよ!!気持が悪いの!!」

 放してくれなきゃ逃げられないじゃないの!!


「私に任せろ」


 男は私を抱きかかえたまま、なんと完全に止まっていない馬車から外へと飛び出したではないか。


「ひゃあ!!」


 彼の腕が私の腹部を抱えるせいで――胃がひっくり返りそう。

 私は外の空気を嗅ぐや、逃げるという意識が消えた。

 喉元にせり上がった吐き気に、もう我慢することができなくなったのだ。


 だから、思いっ切り、吐いた。

 令嬢の矜持など気にしてやるか、とばかりに、吐いた。


 私がこんな状況なのに、サリナの声が聞こえないどころか気配も感じない。

 彼女はここにおらず、私はたった一人という状況らしい。

 女一人で無頼な男に拉致されたならば、私は既に傷ものだ。

 結婚など二度と望めない女になってしまった。

 ならばと、私は怒りのままさらに吐き出す。


 これは私のせめての、いいえ、精いっぱいの抵抗だ。

 私に無体を働くつもりで誘拐したのでしょうけれど、私は今やゲロ塗れ。

 こんなゲロ塗れの女に、欲情なんかいたしませんわよね。


「は、はは。こんなに臭くなったわよ、私は」


 目の前に革袋で作られた水筒が差し出された。


「水だ。ほら、口をゆすいで。ミントもある。齧るか? すっきりするぞ」


 その人間的優しさ、誘拐する前に発揮して欲しかった。

 誘拐しないって選択肢を選んでくださいな。

 私は誘拐犯にうんざりしながら、それでも手渡された水筒を受け取る。

 口の中が苦くて臭くて自分が我慢できない、もの。


「背中を撫でた方が楽に――」

「それ以上私に触ったら許さない」


「だな。女は俺にはみんなそうだ」


 誘拐されて喜ぶ女はいないでしょう?

 そんな事も分からないなんて、この唐変木。


 私は男に手渡されたミントを齧り、草むらにぷいっと吐き出す。

 人生十八年生きて来て、こんなみっともない姿を晒す羽目になったのは初めて。

 私は今の状況を憎々しく思いながら周囲へと視線を動かす。



 逃げられそうも無い、と受け入れるしかなかった。

 私を攫った仮面の男は私の横にピタッと貼り付いて立っているし、私達を遠巻きにしている六人の覆面男達だってしっかりいる。彼らを躱して走り抜ける、なんて芸当は私には出来そうもない。


 でも、諦めちゃ駄目よ、イゼル。

 頑張って生き残れば、お父様が絶対に助けに来てくれる!!

 元近衛兵だったお父様は(今は見る影も無いぷくぷくだけど)、きっと今でもお強いはずだもの。父が彼らに敵わなくとも、父が育てた我が領の騎士達ならばこの誘拐犯達をやっつけてくれるはず!!


「すっきりしたか? そろそろ馬車に戻るぞ。辛いだろうが今日中にダウンズベリーに着きたい。頑張ってくれ、妻よ」


 …………。


 誘拐犯のセリフの中に、聞き捨てならない単語があった。

 私は誘拐者を見上げる。――わあ。変わらず不気味なお面顔だわ。

 見上げるんじゃ無かった、と目線を落とす。


「俺を見るのも嫌か」


 男が出した声が、なんだか傷ついた人が出すもののように聞こえた。

 そこに私はぴきっとなって、自分の現状も忘れて声を上げていた。

 ギリギリの状態だったから、キレたのよ。

 だって、傷ついた声など、誘拐された私こそがあげるべきものじゃないの。


「当たり前でしょう!!あなたはお面を被っている。つまり、あなたは素性を隠したいってことじゃない」


「素性は言ったはずだぞ」


「素顔を晒さらずに名乗った名前なんて、いくらでも嘘をつけます。いいの、わかってます。私はあなたの本当の素性なんか詮索しません。だから、あなたも私に気を使ってちょうだい。ぜったいに私を生きたまま解放して!!」


「ん、んん」

 ドッワハハハハ。


 誘拐犯の大将は仮面でも口元に手を当てて笑いをこらえる素振りをしたのに、私達を囲む黒づくめの覆面男達こそ笑い出すとは。


 彼らは仮面男の部下じゃないの?

 そんな三下達に笑い飛ばされるなんて、悔しい。


 私は自分を支える仮面男の体を両手で突き飛ばす――せない。

 両の手の平には、温かくて硬い胸板を感じただけだった。


「この岩!!」


「元気いっぱいだな。さあ馬車に戻ろう。――馬車の中で私の顔を見せよう」


「いえ、知りたくないし見たくないです結構です。ですので、父から身代金を手に入れたら、私を無事に解放してください。それだけが私の望みです」


「解放はないぞ。身代金どころか、私が君の父上にいくばくかの財産を差し出した」


「え?」


 私は再び顔を上げて誘拐犯を見返せば、誘拐犯は左腕で私をさらに強く捕まえたその上で、右手で自分の仮面をそっと下げた。

 彼の目元だけ、見えるように。


 晒された彼の目元を見て、私は息が止まると思った。

 それほど完璧で見事な造形なのである。


 とっても形が良い流線で描かれた両眼には、クジャクの羽のような不思議な色合いの虹彩を持つ青い瞳が煌いている。


 彼の目元は笑みを作った。

 見たか、という傲慢そうなものどころか、なぜか寂しそうに感じる笑みだった。


 どうして寂しそう?


 彼は再び仮面を戻す。


「さあ、続きが見たければ馬車だ。妻よ」


「あ、そうよ。妻ってどういう事よ」


「何度も言っているだろう。君は私の妻になった。君は今日からダミアン・ゴーライエン侯爵の妻だ。いい加減に理解してくれ」


「え?」

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