結婚すれば息子は嫁の言いなり
ダミアンは自分に身を委ねてくれた乙女に、心からの感謝を捧げた。それなのに、彼はそんな彼女を裏切った。彼女の真心を台無しにする行為だと分かっていながらも、彼は彼女に眠りの魔法をかけたのである。
彼女が彼の友人達と顔を合わせたとしても、彼女が簡単に彼の友人達の誰かに恋をするとは思っていない。
だが、と、彼は自分の左頬に触れる。
自分の指が触れた感触を、頬はありありと感じられた。
だからこそ彼の心の中には虚しさが広がった。
普通に感覚があるという事は、この醜い竜の印は、決して自分から切り離せはしない自分の一部なのだ、と。
私から、この人非ざる証が消えることなどないのだ。
母親は自分の子供の姿が耐えきれないと心を病み、恋愛結婚だったはずの夫を捨てて実家に帰った。妻に逃げられた男は、残された子供にそれなりの愛情を見せたが、養育に関しては使用人に任せきりだった。
ダミアンの父親がダミアンの顔を真正面から見つめたのは、ダミアンより五歳年上の女性との再婚について伝えた時であった。
「安心しろ。お前の弟も妹も出来ないようにするつもりだ。これ以上お前に面倒をかけられないからな」
「俺の様な子供を産みだす勇気が無いと言ってしまったらどうですか? 俺のような子供が生まれ、俺の母にあなたが捨てられたように、再び愛した女に捨てられたく無いが真実でしょう」
ダミアンは父親との会話を思い出し、その時の気持ちに再び陥る前にと膝の上の自分の宝物を抱き締めた。
彼は、そんなことはない、と父親に自分の言葉を否定して欲しかった。
だが今ならばわかると、ダミアンは情けなく思った。
父親がダミアンを人任せにして顔も合わせず放っておいたのは、妻の裏切りが辛かっただけではない。ゴーライエン家の当主としてそれなりの力を持つこそ、完全なる先祖返りのダミアンの力も姿も怖かったのだ。その自分の恐怖心と己の能力が息子以下である真実から目を逸らすため、彼は子供と向き合う事を避け続けたのだろう、と。
「怖いのは当たり前か。一人で千からの軍隊を薙ぎ払えるんだ、私は」
「どこが怖いのよ。王族は印があるのが当たり前じゃないの?」
イゼルの声がダミアンの脳裏に響く。
その瞬間、彼の頭の中はイゼルの笑い顔だけで一杯になった。
常に抱く虚しさを払拭してしまうほどに、彼の心を明るく照らした。
そんな気がした。
心の内が明るく照らされたのは、ほんの一瞬だったけれども。
「そんなことを言ったのは君だけだ。ねえ、イゼル。君には私が本当にどんな風に見えているんだい? 君の言葉だと、私は自分の姿が絵本の竜騎士そのもののような気がするよ」
彼が抱きしめるイゼルからは何の反応も無い。
ただ、彼女の温かみだけが彼を癒した。
「すまない。私のせいで君から笑顔が消えようが、私は君を手放せない。君が私以外の者達にその笑顔を見せると思うだけで許せない。私は君から笑顔が消えてしまおうと、君をこの腕に閉じ込め続ける」
だが、と彼は自嘲する。
イゼルの笑みが消えた世界を思うだけで、胸がどうしてこんなに痛むのか、と。
「ダメだな。私はやるべきことをせねば」
ダミアンはイゼルを再び膝に下ろし、右手を持ち上げて中空に円を描く。
彼の指の動きに合わせ、金色の円が宙で輝いた。
「応えよ。ダルバーン・ゴーライエン」
しばしの無音の後、金色の円の内側から舌打ちが聞こえた。
怒りを含んだ低い男性の声も。
「息子が父親を頭ごなしに命令して来るとはな」
「私が現当主です。それに、今から伝えることは緊急を要します」
「なんだ? またグランデールの蛮族共が攻めて来たか? お前ではまだ大軍を指揮するに値しないと、私の力を望むのか?」
「夢は寝て見てくれ。あなたに頼るほど私は落ちぶれていませんよ。ふざけないで聞いてください。あなたの妹であり私の叔母のアガット・ゴーライエンが、人喰いに喰われていました」
「まさか。あいつはガザリキアで、亭主とよろしくやっているはずじゃないのか? 一体いつの話だ?」
「ガザリキアって、王都の南すぐにあるガザリキアですか? それに亭主? 叔母は独身でこのダウンズベリーに籠っていたのでは無いのですか?」
「アガットの結婚を知らなかった? 私が再婚した年だぞ。それであいつは今、ガザリキアに移り住んでいる。まさか、誰からも伝えられていない? 女房の従弟はお前の友人とか言っていなかったか?」
「普通は兄であるあなたか、アガット自身から当主である私に連絡があるはずですけど」
「あ、そうか。アガットの結婚の方が私の結婚の前だった。そうだ、私がリーシャと出会ったきっかけが、あいつの結婚だった。そうだ、そうだった。当時は私が当主だったな。そうか、するとゴーライエン家では誰もアガットの結婚を知らないな。ダミアン、ついでに全員に知らせておいてくれ」
ダミアンはぎゅっと両目を瞑り、自分を落ち着けるために数を数えた。
これがダルバーンだ。
子供など衣食が足りていれば立派に育つと、使用人に息子の養育を丸投げしていた男なのだ。彼のする事に一々苛立ってはいけない。
「対処しましょう。それで、アガット叔母はガザリキアですね。では、ダウンズベリーのこの家は誰が住んでいました?」
「――私が知るはずない」
「そうですか。――そうだ、私も報告があります。私も結婚したのですよ」
「おお、めでたい。どんな子だ? 紹介してくれるのだろうな」
「ええ、妻もあなたに挨拶したがっていますから、近いうちに。結婚は良いですね。私は妻の望みならば何でも叶えてあげたくなりますよ」
「ワハハハ。だろうだろ」
ぶち。
ダミアンは交信魔法を一方的に切った。
それから、鼻でフッと笑う。
ダルバーンに伝えた通り、ダミアンはイゼルがすること全て肯定し、彼女が望もうと望むまいが絶対に手助けすると決めているのだ。
「イゼルにボコボコにされてしまえ」
イゼルさん( ゜д゜)え? です。
「私は自分をこんな目に遭わせた要因だからダミアンの友人やパパをボコボコにしたかっただけで、別に、ダミアンの為にダミアンパパを殴る気は無いんだけどな」
ですよ、ダミアン!!




