白い蝶と赤い花
青空の下を、一羽の蝶が飛んでいました。
昨日までさなぎだった、蝶でした。
その蝶の眼には、空からのこの世界の風景が、すべてが新鮮なものに映りました。
その蝶は、先輩蝶々と一緒に、花の蜜を求めて、飛んできました。
しかし、目新しいものに心を惹かれているうちに、ひとりぼっちになってしまったのです。
まだよく分からない世界で、ひとりぼっちになってしまったのです。
怖くないわけがありません。
蝶は必死で、先輩蝶々の姿を探します。
しかし、そうしているうちにも、空の色は、変わってきます。
先ほどまでの綺麗な青から、だんだんと黒くなってきました。
次第に、雨雲が、この世界を覆いつくしてしまったのです。
蝶は、頬に何か冷たいものを感じました。
雨の雫です。
大量の雨粒が、蝶の羽を濡らそうとしています。
蝶は、困ってしまいました。
まだ、うまく飛べない上に、雨に濡れてしまったら、大変です。
しかし、そんな蝶に1つの声がかかりました。
「蝶さん、白い羽の蝶さん。ぼくのところにおいでよ。」
その声は、一輪の花の声でした。
蝶は、その声のもとに飛んでいきます。
一輪の花は、蝶の傘になってくれました。
雨におびえる蝶に、話しかけ、怖がっていた蝶を励ましてくれました。
楽しい話で、笑顔にしてくれました。
雨は、通り雨だったようです。
黒い雨雲がなくなり、空には、再び、太陽が顔を出しました。
少しだけ濡れてしまった蝶の羽も、すっかり乾いています。
蝶は、
「ありがとう。」
そう、お礼を告げると、一輪の花のもとを去って行きました。
次の日、白い羽の蝶は、昨日の花に、もう一度お礼が言いたくて、再び、一輪の花のものを訪ねました。
昨日は、よく見えませんでしたが、一輪の花は、赤い色をした、綺麗な花でした。
蝶は、一瞬、その美しさに見惚れてしまいます。
蝶は、言いました。
「昨日は、本当に、ありがとう。綺麗な、綺麗な、赤い花さん。」
「いえ、いえ。ぼくも、蝶さんと話ができて、楽しかったよ。ありがとう。そうだ、きみにぼくの蜜を分けてあげるよ。」
「本当に?ありがとう。」
蝶は、そう言って、赤い花の蜜を吸いました。
それは、甘い、甘い蜜でした。
その蜜があまりにおいしかったため、蝶は、次の日も、そして次の日も、赤い花に会いに行ったのです。
蝶が会いに行くと、赤い花は、いつも笑顔出迎えてくれました。
そして、白い羽の蝶と、赤い花は、一緒に話すようになりました。
何日も一緒に話して、蝶は、あることに気がついたのです。
赤い花の話には、よく、白い花が出てくるということです。
蝶は、赤い花に聞いてみました。
「ねぇ、赤い花さん。赤い花さんは、白い花さんが好きなの?」
と。
すると、赤い花は、もとから赤い花びらを、さらに赤らめます。
そして、小さくうなずき、
「うん。」
と、言いました。
次の日から、白い羽の蝶は、赤い花のところに行かなくなりました。
赤い花の、甘い蜜が欲しいのだけれども、なぜか、羽をうまく動かすことができないのです。
そして、そうなって、ようやく気がつきました。
赤い花が、白い花を好きなように、蝶も、赤い花を好きだったのです。
「風さん、風さん、聞こえている?」
蝶は、風に問いました。
「ああ、聞こえているよ。小さな、小さな、白い蝶さん。」
「ねぇ、頼みがあるのだけども、・・・風さん、聞いてくれますか?」
「ああ、いいとも。言ってごらん。」
「最近、わたしが一緒にいた、赤い花さんを風さんは知っている?」
「ああ、知っているとも。綺麗な赤い花だろう?」
「ええ、そうよ。あのね、風さん。あの赤い花さんの恋がうまくいったら、一番にわたしに教えてくれない?風の便りで。」
風は、少しだけ、首をかしげました。
蝶を見ている目が、「なぜそんなことを言うの?」と言っています。
でも、風は、蝶に何も聞かず、言いました。
「いいとも。いいとも。白い蝶さん。きみに一番に便りを持って行こう。」
「ええ、ありがとう。優しい、優しい、風さん。」
「そう言えば、赤い花がきみのことを心配していたよ。」
「・・・。」
蝶は、思わず黙ってしまいます。
「・・・元気にしているよって、伝えておいてもいいかい?」
「ええ。お願いします。」
そう言って、蝶は風に頭を下げました。
「ねぇ、白い蝶さん。」
「なに?」
「きっと、きみは幸せになれるよ。」
「ありがとう、ありがとう。優しい、優しい、風さん。」
少しだけ涙を流し、それでも、蝶は、そう言いました。
「どういたしまして。」
そう告げると、風は蝶のもとから去っていきました。
蝶の涙を拭きながら。
ひとりになった、蝶は思います。
今はまだ、会いに行く勇気がないけれど、風の便りが来たら、赤い花に、一番に「おめでとうと」伝えよう、と。
「赤い花さん、わたしは元気です。まだ少しだけ、胸が痛いけど、あなたの幸せを祈っています。」
白い羽の蝶は、小さな声で、そう言いました。
その声を、優しい風は、聞こえていました。
そして、風は、蝶に聞こえない声で言ったのです。
「人間にとって、相手の気持ちがこちらを向いていなければ、恋心というものは、意味がないものになってしまうのだという。それは、蝶の世界でも同じだろう。
でもね、人間にとって、叶わなくても、恋することは素晴らしいことなのだという。
ねぇ、白い蝶さん。それは、きっと、蝶の世界でも、同じだろう?・・・恋をすることのできるきみは、きっと幸せになれるよ。」