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児童文学

はあとがない

作者: 空見タイガ

 黄色い缶のふたを開けると、鳥のような、成長したひよこのような、どこかで見たことのあるかたちのような、サブレーが現れた。

 お土産を置いたダイニングテーブルを横に、ぼくはふたを持ったまま、弟は口を大きく開けたまま、母は頬に片手を当てたまま、立ち尽くしていた。

 父は困惑するぼくたちにかまわず、サブレーの一枚を食べはじめた。

 もぐっ。さぐさぐさぐさぐ。ごくん。

 手が疲れてきた。カンッ。ぼくが缶のふたをテーブルに置いた音で、弟ははっと気がついたようで、缶から一枚を手に取った。

「ネエ、お父ちゃん。このかたち、見覚えがある気がするンだけど、ナンのかたちかわからないンだ」

「缶のふたに描いてあるだろうよ」

 ぼくたちは缶のふたを見た。たしかに描いてある。どこかで見たことのあるかたちのような何かが描いてある。

 弟が負けじと「缶のフタにはナニが描かれているのかなア」と聞くと、父は「サブレーのかたちが描かれている」とにっこりした。

 突如、父は弟がふしぎそうに持っていた一枚のサブレーを奪い、バクバクと食べ始めた。あっけにとられたぼくたちを気にせず、残りのサブレーも次々と口のなかへ。

 母が止めようとすると、父は「おまえたちは何のかたちかわからないから食わないんだろ。オレは食うぞ。何のかたちかわからなくたって食べるんだ」と振り払い、サブレーの入った缶を持って、去ってしまった。

 ぼくたちは部屋に戻された。二段ベッドの一段目のふちに並んで座る。弟は足をバタバタさせながら、背中をベッドに倒した。

「ボクが手にとった分まで食べた。腹ペコではなかったけど、腹ペコな気分だ」

「ぼくたちがすぐに喜ばなかったから、お父さんが怒っちゃったんだよ」

「お父ちゃんってそんな人だったっけナ」

 ひんやりした言葉に、首を動かして弟の顔を見ようとした。が、その前に弟が上半身を起こした。

「ナア、お兄ちゃんもオカシイナアって思わない? 知っているハズなのに知らないかたちだけがあって、あるべきものがごっそりと失われたみたいで」

「昨日と変わらない今日だよ」

 びゅーんと弟は本棚に向かって、床に図鑑を広げた。ぼくもそのとなりに座って見る。

「ヒヨコみたいなかたちだったよネ。もしかしたら鳥の仲間かもしれないなア」

 弟はページをめくる手をとめた。ふたりで短く「あっ」と叫んだ。

「シミひとつない真っ白なページ」

「印刷屋さんが間違えたんだよ」

「むかしはナニかあった気がするけどネ」

 ぼくたちは黙って顔を見合わせた。


 次の日も昨日と変わらない今日のはずだった。ふらつきながら家に向かって歩いていると、泥だらけの弟と出くわした。弟はぐずっと鼻をすすった。

「お兄ちゃんもいじめられたのか」

「いや、ぼくはさっき道でずっこけたんだ。なぜか道にバナナの皮が落ちていたから……おまえはだれにいじめられたのかな」

「ボクは寄り道をして、友だちといっしょに公園に調査に行ったんだ。消えたものが野鳥なら、公園で見つかるかもしれないってネ。デモ、いたのはおなじみの鳥だけ。スズメ……それからカラスだ! カラスがやたらとガアガアと鳴いていて、友だちは不吉な予感がすると言っていた。その予感があたったのか、大柄の上級生たちがゾロゾロと公園に現れた。彼らは『これからひみつの話をする』と言って、ボクたちを追い出そうとした。ボクたちは上級生の横柄な態度にむっとして立ち去らなかった。そしたら上級生のひとりがボクの友だちを平手でなぐったンだ」

「バナナの皮よりひどい!」

「そこからはもうバトルだヨ。ボクは必死に闘った。でも、上級生の体格には敵わなかった。なんとか逃げ出して、ビエンビエンと泣いている友だちを家に送って、トボトボと帰っている途中でお兄ちゃんと会ったンだ」

「おまえはよくやったよ」

 弟はうつむいた。

「けど、けどな、ボクはちょっとだけ、友だちを置いて逃げようとしたンだ」

「そんな日もあるよ」

「ウウン、違うンだ。あのときのボクの感情はもっと芯まで凍えるようなものだった」

「バナナの皮を見たときは、ぼくもそんな気持ちになったよ。でもきちんと拾って、近くにいたおまわりさんに渡した。おまわりさんは困った顔をした」

 ぼくの言葉に弟は顔を上げた。まだ浮かない顔をしていた。

「ネエ、知っているようでわからないものは、ボクたちのなかにあるものかもしれないネ。じわじわとすべり落ちつつあるンだ。それがナニかはわからないケド……」

 肩を抱いて、ぼくは弟を励まそうとした。

 でも一瞬だけ、ほんの少しだけ、ぼくは弟の憂うつを疎ましく感じた。 

「考えすぎだよ。もしぼくたちのなかに成長したひよこのようなかたちのものがあったら、内蔵が押されておなかが痛くなっちゃうよ」

 弟は微妙な顔つきをして「ワハハ」と笑った。ぼくはそれで、よかった、と心から思った、はずだ。


 お休みであることを除けば、次の日も昨日と変わらない今日のはずだった。ぼくは早起きの弟に起こされて、目をこすりながらリビングに行った。お父さんもお母さんもいなくて、朝ごはんもなかった。そのかわりに、一枚のメモ用紙がテーブルの上に置かれていた。ぼくは弟のかわりに読み上げた。

『出かけます 父』

 どうして――なぜだか――ぼくはメモ用紙をぐしゃっと丸めて壁に投げつけていた。丸まったメモ用紙はわずかな音を立てて壁にぶつかり、はねかえってぼとっと落ちた。

「いつもなら、もっとくわしく書くのにネ」

「さあ、お父さんはいつもこうだったよ」

 弟はぼくをふしぎそうに見上げた。むしょうに、ぼくはおとうとをまるめてかべになげつけたくなってきた。

「ううう、弟よ。ぼくの頭をなぐってくれ」

「よかった。ちょうどお兄ちゃんの頭を叩きたくなってきたンだ」

 腰をかがめてやると、弟はなぐりも叩きもせず、ぼくの頭にぎゅっと抱きついた。

「今日、お母ちゃんの泣いている声で目が覚めたンだ。寝室に行ったら、お母ちゃんがワンワンと泣いていたから、どうしたのか聞いたンだ。そしたら『変わってしまった。変わってしまった。もう元にはもどらない』って」

「なぞなぞかな」

 弟はパッとぼくから離れた。

「ごはんをつくる元気もないンだって」

「ぼくがおにぎりをにぎろう。そして公園で昨日の調査の続きをするんだ」

「お母ちゃんはどうする」

「どうでもいいよ、放っておこう」

 長い沈黙のあと、弟は「放っておこう」と平坦にぼくの言葉をくりかえした。


 ひとっこひとりいない。家からいちばん近い公園までの道にも、その公園にも。ぼくたちはベンチに座り、さびしそうな遊具たちを前に、おにぎりを取り出した。

「こうやってふたりでオニギリを食べられるのもこれで最後かもしれないネ」

「おにぎりなんていつでもにぎれるよ」

「しょっぱいなア、マア、しょっぱい」

 ぼくは遠くを見た。すずめが何羽かいる。すずめたちから離れたところにカラスも一羽いる。ありふれた景色だ。この公園に、ぼくたちの日常に、欠けているものは何ひとつないような気がしてきた。前から、昔から、こうだった。何も変わってはいない。

 おにぎりを食べ終えてベンチから立ち上がると、斜め前から声を掛けられた。しわしわの、知らないおじいさんだ。

「おい、わたしの家に来なさい」

 ぼくはとっさに弟を差し出した。でもすぐに弟を背中に隠した。

「ワンッワンッワンッ」

 ぼくの犬のまねにも動じず、おじいさんはぼくの腕をがしっとつかんで歩き出した。弟は「ナニか知っているのかもしれないネ」と小声で言ってぼくたちの後ろについてきた。

 おじいさんの家は公園のすぐそばにあった。引きずられるように家のなかに入って、土足のまま広いリビングまでやってきた。テーブル、古びた四脚の椅子、ほのかな照明、そして壁に掛けられた大きな……時計。

 腕を振り払って、ぼくはおじいさんから距離をとった。おじいさんはごほごほと激しい咳をして、取り出したハンカチで口をぬぐった。そのハンカチをじっと見たあと、おじいさんはハンカチをぐしゃっと丸めて壁に投げつけて言った。

「ああっ、わしらがあんなに大切にしなさいと教えたのに、時が経つにつれてその大切さを忘れ、おまえたちは失ってしまった」

「ぼくたちは初対面ですよ」

「おまえたちだ、おまえたちだよ、さあ、おまえたちがなくしたものを教えてやろう」

 おじいさんが指さした先には、あの大きな壁掛け時計があった。ぼくと弟は抱きあってその時計を見た。突如、時計の上にある小さな扉が開いた。カッコウ、カッコウ、カッコウ……、ぼくたちはその声の主を見ようとしたが、開いた扉からは何も現れなかった。

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