6.犬派? 猫派?
「ふぃー、いい湯だった」
夕飯を終え、風呂も終え、寝落ち上等ゲームの時間になった。
だけど、今日の僕にはその時間が訪れることはなかった。
「お帰りなさい」
僕の部屋に戻ると漫画を読んでいたルシアが微笑んで迎え入れてくれた。
僕の部屋は天使と悪魔に占領されていた。
僕のベッドの枕側には僕の枕を抱いてあぐらをかいているフィーネが、足元側には姿勢正しく正座をしているルシアが居た。
またこいつら僕の部屋にいる。
なんの為の個人部屋なんだ。父さんの書斎を潰してまで作った意味がない。
しかもルシアに至っては本棚から漫画を取り出して読んでいる。
二人ともあり得ない程の順応性だった。
そしてあり得ないほどのくつろぎっぷりだった。
というかベッドを占領しないでほしい。なんか色々と気になって眠れなくなりそうだから。
「なんで僕の部屋に集まるんだ」
「仕方ないでしょ。あたしの部屋テレビないのよ」
フィーネはテレビから一切目を離さずに、日本の様々な街の名所などをランキング形式で紹介するバラエティ番組を見ながら応えた。
どんだけかぶりついているんだこいつは。もうテレビに夢中じゃないか。
あとなんで僕の枕を抱き締めているんだ。
ただでさえ眠れなくなりそうなのにそんなことされたら確実に眠れなくなっちゃうじゃないか。
匂いとか付いたらどうするつもりだ。最高かよ。
僕はパソコンデスクに付随している椅子へと腰かけた。
そしてテレビへと視線を向けるフリをして、二人を眺めた。
今の二人には天使の翼と悪魔の羽は生えていない。
翼も羽もないふたりは、身体的には人間と同じ姿をしている。
フィーネいわく簡単に羽は仕舞えるとのことだが、僕にはそんなことはどうでもいい。
どんな原理で羽や翼を仕舞っているのかなんてどうでもいい。
大事なのは、今の二人は寝間着姿だということだ。
ルシアは何故か旅館で着るようなデザインの浴衣姿で羽織まで羽織っているという家でするにはちょっと謎のスタイルだけど、金髪ということも相まってどこか新鮮さを感じ、日本にはしゃぐ外国人のような微笑ましさを感じさせる。
一方のフィーネは黒いノースリーブのパーカーにハーフパンツというラフな格好で綺麗な四肢を惜しげもなく晒してくれているという、なんとも目に良い格好をしている。
「さすがに寝る時は自分の部屋で寝るよな?」
「当たり前じゃない」
「そうですね。あ、もしかして大和さん添い寝して欲しいんですか?」
添い寝、だと?
おいおい待ってくれ、ちょっとどころじゃなく凄い魅力的な誘いじゃないか。
お互い見詰め合いながら他愛ない話をして、いつの間にか寝てしまい、朝起きたら寝相で少し崩れた寝間着姿の女の子と「おはよう」と言い合う。
なんて魅力的なんだ。悪魔的じゃないか。
……いやいやダメだろ。バカか。
どこか遠くの温泉旅館でならばいざ知らず、母さんも優美もいる自宅でそんな事をするわけにはいかない。
自宅を地獄に変貌させるわけにはいかない。こんなハニートラップに引っ掛かるものか。
「そんなわけないじゃないですか。嫌ですね。一人で寝ますよ」
「なんで敬語なのよ。気持ち悪いわよ」
「お前はもう部屋から出てけ」
「なんでよ。まだテレビ見させなさいよ」
フィーネは一瞬僕へと視線を向けるも、すぐさまテレビへと視線を戻す。
こいつ、勝手に人の部屋に入っておきながらなんて言い草だ。悪魔だからって自由過ぎやしないか。
「私ももう少し漫画を読みたいので」
ルシアがちらりと可愛らしく上目遣いをしてくる。
まったく、仕方がないな。
「僕が寝るって言ったら出ていくんだぞ」
「はい、ありがとうございます」
「ちょっと、なんでルシアにだけは優しいのよ」
「そうか? どっちも一緒だと思うぞ」
「明らかにルシアにだけ優しいわよ」
そうだろうか? 結局二人とも部屋に居ることを許したのだからルシアにだけ優しいなんてことはないと思う。
僕は不満げに見つめてくるフィーネから目を逸らしつつ、机に置かれていたスマホを手に取った。
お知らせは何もなかったので、とりあえずブックマークしているゲームや漫画のまとめサイトを見て暇を潰す。
………………。
うん、暇だ。やることがない。
ゲームをしようにもフィーネがテレビを独占しているし、漫画は今は読む気にならない。
宿題はあるけどやる気はしないし、ベッドに寝転がってゴロゴロするにも二人が邪魔で寝ることすらできない。
どうしたもんだろう。居間にでも行って優美でもからかってこようか。
と、漫画を読んでいるルシアの動きが気になった。
ページを捲っては戻り、捲っては戻り、と同じページを繰り返して何度も見ていた。
どうやら犬がはしゃいでいるシーンを何度も見返しているようだった。
「犬、好きなのか?」
「ふぇ!? な、なんでですか?」
「いや、別に深い意味はないんだけど」
「そうですか。確かに私は犬が好きですけど、よく分かりましたね」
そりゃあんなに何度も犬のページを見返してたら誰でも分かる。
「あんた本当に犬好きよね」
「はい。あのご主人様に絶大な信頼を寄せるキラキラの目が可愛いです。褒めて褒めてってくっついてくる所とか、尻尾をぱたぱたとする所も可愛いですよね」
「ふぅん。ま、猫の方が可愛いけどね」
「そういえばフィーネちゃんは猫派でしたね」
「そうよ。あのスタイリッシュな感じというか、見た目がまず可愛いわよね」
「そうですね。でも犬だって──」
二人は初めは何気ない会話のように言葉をラリーしていたが、次第に犬と猫の可愛い所を上げる会話から犬と猫のどちらが可愛いかといった口論へと発展していった。
犬猫論争勃発である。
「やっぱりあんたと相容れることはなさそうね」
「それはこっちの台詞です。フィーネちゃんのわからず屋」
僕のベッドの両端でルシアとフィーネは睨み合う。
そんな二人を僕が冷ややかな目で見ている事に気付いたフィーネがルシアを避けるように大きく体を傾けて僕へと声を掛けてくる。
「それで、あんたはどっちなの?」
「え?」
「聞いてたでしょ。猫と犬、どっちが好きなの?」
「そうです。大和さんはどっち派なんですか?」
ルシアとフィーネが身を乗り出して僕へと詰め寄ってくる。
しまった。根深いものがある犬猫論争の対処法としてはその場から退避することこそが最も賢い行動だというのに、つい逃げることを忘れてしまった。
決して、このまま乱闘にでも発展してしまえばルシアの浴衣がはだけてムフフな状態になってしまう事を期待しての事ではない。断じて。
それにしてもどうするべきか。
どちらを答えても片方に助成する形となるため面倒事になるのは明白だ。
犬派に味方すれば猫派から恨まれるだろうし、猫派に味方すれば犬派から後で何をされるかわかったもんじゃない。
相手だけを見るならばルシアに味方した方が良いだろう。
なんとなく二人のパワーバランスを見るにルシアの方が上手な気がするし、何より敵に回したルシアはきっと怖い。それは昼間に十二分に味わった。
僕とフィーネの二人がかりでも鎧袖一触で勝利をもぎ取るかもしれない。
僕は深く悩むようにゆっくりと息を吐き出す。
というか、そもそもなんでこういう時は犬か猫の二択なんだろう?
他の動物じゃダメなのだろうか? 狐とかではダメなのだろうか?
狐はいいぞ。
もふもふの尻尾、ピンとした耳、しなやかな体、背中の黄金色の毛とお腹の白い毛の抜群のコントラスト。
たまらない。最高。超可愛い。鳴き声はちょっと怖いけど。
「僕は狐が好きだな」
「じゃあ犬派ですね」
「くっ、そうきたか」
ルシアはぱぁっと輝くような笑顔を咲かせると僕へと握手を求めてきた。フィーネは僕の枕をぎゅっと抱き締めて悔しそうにしていた。
僕はとりあえず差し出されたルシアの手を取り握手。
するとルシアは握手をしていなかったもう片方の手を被せるようにして僕の手をホールドすると、「大和さんは同志です。昨今は猫派が幅を利かせていますが、いつまでもまかり通していいわけがありません。変えるのは今、新たな同志を得た今なのです。ぜひこれからは犬派の復権の為にご尽力をお願い致します。我々と共に世界を変えるため一緒に頑張りましょう」と意識高い系のグループに勧誘されて断れずに入会してしまった時に幹部が掛けてきそうな言葉を送ってきた。
「いや、確かに狐は犬科だけど別に僕は犬派というわけでは──」
「は?」
ギリッ、とルシアが僕の手を包む力を強めた。
口を半開きにし、ガンギマっているかの如く目を見開いている。
言葉にはしていないが、その表情と瞳からは『ん? なにか? なにか変な事を言おうとしていませんか? 私達は既に同志のはず。固い絆で結ばれた同志のはず。──裏切りですか? まさかそんなことありませんよね? 派閥ヲ脱スルヲ不許、にある通り犬派から抜けるのはご法度ですよ? いえいえあなたを疑っているわけではありません。今のはあくまでも確認です。大和さんならきっといつまでも立派で誇らしい犬派の一員であると思っていますよ』と圧が強めのメッセージが読み取れた。
「……はい、犬派です」
「さすが大和さん。聡明ですね」
うん、そうだね。賢くなくては生きられない世の中だからね。長い物には巻かれるさ。
「この裏切り者。呪ってやる。祟ってやる」
「ならば私は祝福を与えましょう」
この日、僕は重すぎる代償と共に天使から祝福を得て、悪魔から呪われることになった。