3.天使の部屋と悪魔の部屋
朝食を終えた僕達は、母さんに言われて2つの部屋の掃除をしていた。
ひとつは物置部屋と化している空き部屋。
もうひとつは作ったはいいもののあまり使われておらず半ば空き部屋と化している父さんの書斎。
どちらもルシアとフィーネの部屋として使えるようにするために、母さんの一声で季節外れの大掃除をすることになった。
どうして二人が家に住むことになったのかとか、どうして僕が大掃除に駆り出されているのかとか、色々と疑問はあるものの、我が家のボスである母さんの決定には逆らえない。
まったく、母さんはいったい何を考えているんだろう。
本命は単に楽しんでいるだけ、対抗で単に楽しんでいるだけ、大穴で単に楽しんでいるだけ、といった感じかもしれない。
案外自由人だからなぁ母さんは。
「こんなもんかな」
パンパンとひと仕事終えた職人のように手を叩き、薄っすらと額に滲んだ汗を手の甲で拭う。
大掃除といってもどちらの部屋も母さんが定期的に掃除をしてくれているから掃除なんか必要ないくらいに綺麗で、あっと言う間に終わってしまった。
大掃除というより掃除を通して二人に部屋の雰囲気を知ってもらい、好きな部屋に入ってもらうという趣旨なのかもしれない。
「お疲れ様です。私たちのためにありがとうございます」
「ご苦労様。感謝してあげなくもないわよ」
各人各様の労いの言葉を受け取る。
「それで、二人はどっちの部屋に入るのか決まったのか?」
「はい、私は物置部屋だった方を、フィーネちゃんが書斎をお借りすることにしました」
フィーネの方が書斎なのか。何となくだけど逆だと思っていた。
なにせ書斎は物置部屋と比べて狭い。
なんとなくだけどフィーネは狭い部屋は好みじゃなさそうだと思っていた。
むしろ落ち着いた雰囲気のルシアの方が書斎のイメージと合う。
「フィーネが書斎なのか」
「書斎で寝泊まりするとかちょっと格好いいでしょ?」
その気持ちは、分からなくもない。
僕も自分の部屋が出来る前はよく父さんの書斎を秘密基地にしたりして寝泊まりしていた。
「あとで部屋替えしろって言っても無理だからな」
「いいわよ。部屋で居る場所なんていつも同じでしょ? 荷物が多いわけでもないし、広いと掃除も手間だし、あまり意味を見出だせないわ」
ふぅむ、そんなものだろうか。
でも広い方がなんか気持ち的に良くないか? 色々な物が置けるし、あとは……あとは……うーん……もしかして、部屋って広ければ広いほど良いと思っていたけど違うのだろうか?
確かに僕も普段はテレビを正面に出来るベッド脇かベッド上に居ることが多い。
だから必然とその周りにリモコンやゲーム機器が集中しているし、棚に仕舞っていない新刊の漫画が積んでいたりする。
そう思うと、僕が行動する範囲は部屋に対してとても狭い気がする。
もし収納上手な人やミニマリストの人が生活をするのなら、そんなに部屋は大きくなくてもいいのかもしれない。
「いま母さんが天日干ししている布団を取り込んだら、一先ず終わりか?」
「そうですね。私達は特に私物を持ち込まずにほとんど着の身着のままで来てしまいましたから」
「そういやそうだな」
天使と悪魔といえど女の子は女の子だ。
着の身着のままで外国? のような所に来て過ごすのは大変だろう。
それこそルシアとフィーネが今着ている服だって日本ではコスプレと揶揄されても仕方がない服装だ。
着替えすらない状態は色々と不便だろうし、男の僕と違って小物やら何やらと色々と必要だろう。
でもそこは母さんのことだ。きっと既に考えがあるだろうし、もしかしたらもう手を打っている可能性すらある。
「じゃああとは母さんから色々と聞いてくれ。僕は部屋に戻るから」
「はい、わかりました。あ、そうです。後でお部屋に行ってもいいですか?」
「まぁ、いいけど」
「ありがとうございます。では後で行きますね」
小さく手を振ってルシアは自分の部屋へと消えていった。
「あたしも後で部屋に行くわ」
「お前も来るのかよ」
「なんで私の時は嫌そうなのよ」
「そんなことないけどさ」
せっかく部屋が割り当てられたのにわざわざ僕の部屋に集まることないだろうに。
「あんたとルシアを二人きりにして何か起こったらどうするのよ」
「起きるわけないだろ」
この娘は大バカなのだろうか?
確かにルシアは美人だけど、そういう事が起きる未来が想像できない。
第一にここは実家だ。母さんも優美も住んでる実家だ。
そんなことになったら物理的にも家庭的にも下手したら社会的にも死んでしまう。
そんな危険を冒せるわけがない。
「だったらあたしが行っても問題ないでしょ?」
「そりゃそうだけどさぁ」
せっかくのゴールデンウィーク、今年はゲームでもしてのんびりと過ごそうと思っていたのになぁ。
どちらか片方だけならいざ知らず、二人が部屋に来たら昨夜のように無駄に騒がしくなるに違いない。
だけどここでフィーネだけを拒否するともっと面倒なことになることは確実だ。
それこそ母さんと優美を巻き込んで僕が詰め寄られるかもしれない。
だったら少し面倒でもフィーネの好きにしてもらった方がいいだろう。
「嫌って言っても行くからね」
「わかったわかった。いいよ、好きにしてくれて」
「そうそう、初めからそう言えばいいのよ。じゃあね、またあとで」
ぽんぽんと僕の肩を叩いてフィーネは自室へと消えていく。
なんだか、変なことになってしまった。
いきなり天使と悪魔が現れたかと思うと僕に告白しろと迫ってきて、返答を拒否したらなぜかそのままなし崩し的に天使と悪魔が家に住むことになってしまった。
しかも母さんと優美の公認だ。
母さんも優美も寛容すぎるところがあるから仕方ないとはいえ、優美に至っては既に二人の事を本当の姉のように慕っている節があるし、母さんも多分二人の事は気に入っている。
本当にどうしてこんなことになってしまったのだろう。
自分でもよく分からない。
きっと順を追って考えても分からないだろう。
それくらい当事者からしてもよく分からない。
「まあ、いいか」
深く考えてもどうしようもない。
いつまでこの生活が続くかは分からないけど、こうなってしまったら楽しむしかない。
それに物は考えようだ。
親の公認でひとつ屋根の下で可愛い女の子と同棲出来るんだ。
普通じゃ絶対に起こり得ない、まるでラブコメ漫画みたいなシチュエーションだ。
別に望んでいるわけではないけれど、別に期待しているわけでもないけれど、もしかしたらラブコメ特有の『どこ触ってんのよ!』とか『早く閉めてください!』なんていうラッキー展開もあるかもしれない。
……やめよう。
漫画の中ならいざ知らず、現実でラッキー展開をしようものなら我が家の女性陣からの弾劾が凄いことになりそうだ。
もしそうなったら僕は家に居られる自信がない。
というか現実的にそんなラッキー展開のイベントはまず起きない。
起こるならばそんな直接的なイベントではなく、例えば『なによ、あたしの料理が食べれないって言うの? 指? これは、別に、転んだだけよ……』とか『ふふっ、こうしているとお母さんになった気分です。……あっ、いえ、今のはその、あの……うぅ……』とかそういう思わずニヤニヤしてしまう系のイベントだろう。
それはそれで悪くないというかむしろ良いというか……なんか気持ち悪いな、僕。
おかしいな。二人が来てから僕の思考はどこかおかしい。
ふぅ、と落ち着いて僕は普段のクールで紳士なナイスガイに頭を切り替える。
こうなったらとことん現状を楽しんでやろう。
僕は自分の部屋へ向けて足を進めながら、朝食の時のみんなの笑顔を思い出した。