2.天使と悪魔と朝食を
朝日を顔に浴びて僕は目を覚ました。
昨夜はひどい目にあった。
いきなり天使と悪魔が部屋に襲来したかと思えば告白を迫り、拒否したら次の襲来を予告して去っていった。
全く意味がわからない。いっそのこと全て夢であって欲しい。
いや、もしかしなくても本当に夢だったのかもしれない。
天使や悪魔なんてファンタジーなものが現実にいるわけがないんだ。
それにあの状況も意味不明すぎた。むしろ夢であったと思う方が自然だ。
時刻は8時を回ったというところ。僕はベッドから出て、部屋着のまま1階の台所へと朝食を食べに向かった。
いつものように軽く済ませてゲームでもやろうと思いながら台所の扉を開けると、そこにはとんでもない光景が待っていた。
「あら大和、おはよう」
「お兄ちゃんおーっす!」
「おはようございます。大和さん」
台所には母さんと妹の優美、そして昨夜の天使が仲良く談笑していた。
なにが起こったのかわからず、僕は扉の取手を持ったまま入口で固まった。
……これは、どういうことだ?
なんで天使が母さんと優美と仲良くしているんだ?
どうして母さんも優美も天使に驚いていないんだ?
なんでそんないつもの日常のように楽しそうに会話しているんだ?
「ルシアちゃん、これテーブルにお願いね」
「はい、わかりました」
天使は母さんがウインナーとオムレツを盛り付けた皿をテーブルに配膳しながら僕へと微笑みかけてくる。
「もうすぐ朝ごはんできますからね。ささ、座ってください」
手を引かれ、自分の席へと座らせられる。
僕の席の対面には、悪魔がいた。
「おはよ。お寝坊さんね」
悪魔は頬杖をつくとくすりと笑う。
なにが、どうなってるんだ。
どうして天使と悪魔が家にいるんだ。
どうして母さんと優美は当たり前のように天使と悪魔を受け入れているんだ。
ぞわりと、悪寒が背中を走った。
いつもの日常の風景に、非日常である天使と悪魔が紛れ込んでいる。
でもその非日常に気がついているのは自分だけだというように、非日常が日常に溶け込んでいる。
言い様のない不安が、恐怖が、僕を襲った。
「安心してください。お二人には何もしていません」
コトリと僕のマグカップを置いて、天使が僕の隣に座りながら言った。
「お前、母さんと優美になにをした」
「何もしていませんよ。ちょっと特殊な方法で事実を伝えただけです」
「特殊な方法?」
「はい。夢の中にちょっとお邪魔して説明したんです」
「夢の中?」
「はい。夢の中でお告げを聞いた、なんてことを聞いたことがありませんか? 昨夜、私はお二人の夢の中にお邪魔しました。そこで今までの経緯をお話ししたのです。そして今朝、あなたが起きる前に実際にお二人に会って再度事情を説明しました。初めは驚かれていましたけど、お二人共理解してくれました」
嘘だろ。この天使なんという根回しの良さだ。
そして母さんと優美はなんという理解力と柔軟性なんだ。
というか今さらっと夢の中にお邪魔したとか言いやがったぞ。
「お二人共凄く親切で、快く私たちを受け入れてくれました。とてもいいご家族ですね」
それは、そうだけどさ。
母さんは少しおっとりしている所があるけれど、意外に芯は強くて誰に対しても優しい。
お喋り好きだからか交友関係は広く、色々と頼られる事も多いらしい。
そしてそんな母さんの血を受け継いだ優美は天真爛漫で何でも素直に受け入れるような純真さを持っている。
そんな二人だから天使と悪魔を快く受け入れたという話は信じられないこともない。こともないのだが、流石に簡単に受け入れすぎではないだろうか。
僕自身、今でも信じきれていない所があるというのに。
「本当に、母さんと優美にはなにもしていないんだな?」
「はい。神に誓って」
「……そっか」
天使が神様に誓うんだ。本当に天使は母さんにも優美にも何もしていないんだろう。
夢の中に現れはしたけれど、ただ純粋に言葉だけで自分たちを受け入れてもらったんだろう。
ちらりと天使の顔を盗み見ると、天使は幸せそうに笑っていた。
その顔は慈しみに満ちた天使の笑顔だった。
「わかったよ。なら僕からは何も言わない」
「いいんですか?」
「いいもなにも、母さんと優美はちゃんと納得しているんだろ? ならそれは僕がとやかく言うことじゃない」
「信頼しているんですね。お母様と優美ちゃんを」
「恥ずかしいこと言うな」
「おや、照れちゃいましたか?」
「照れてない」
笑顔で恥ずかしいこと言うな。照れるだろ。
ほどなくして全員分の食事がテーブルに並び、朝食を食べることになった。
「へぇー、天使って長生きなのね」
「そうですね。人間と比べるとかなり長命の部類に入ると思います」
「じゃあさじゃあさ、ルシア姉ちゃんはなんさいなの?」
「え……ええと、そ、そうですねぇ……」
「こら、女の人に気軽に年齢を聞かないの」
「えー、でも気になるよー」
「気になってもだめ。ごめんなさいねルシアちゃん」
「いえ、お気になさらず」
わいわいと僕と悪魔を除いた三人は雑談で盛り上がりながら朝食を食べる。
いつもは三人の朝食も、父さんが仕事から帰ってきて四人になっただけで盛り上がるけど、今はそれ以上に盛り上がっていた。
母さんと優美はもうすっかり天使に慣れているようで、興味津々といった具合に天使を質問責めにしていた。
「賑やかな家族ね」
「いつもはもう少し静かなんだけどな」
ちなみに朝食の前に軽くだが全員で自己紹介は済ませている。
天使の名前はルシアで、悪魔の名前はフィーネと言うらしい。
やはりというか、あまり日本ぽくない名前だった。
「賑やかなのは嫌か?」
「うるさいのは嫌いだけど、賑やかなのは嫌いじゃないわ」
そう言うと悪魔──フィーネはウインナーを食べる。
さっきからウインナーばかり食べているけど、好きなのかな、ウインナー。
「ねーねー、フィー姉ちゃんはなんさいなの?」
「106歳よ」
「すごっ! おばあちゃんだ!」
「嘘よ。そんなわけないでしょ」
「えー」
肩を落とす優美の頭をフィーネは優しく撫でた。
「ウソはいけないんだよ」
「あたしは悪魔だからいいのよ」
「えー、ずっこいよー」
「ふふっ、いいでしょ?」
拗ねるように優美は唇を尖らせるとマーガリンがたっぷりと塗られたトーストへとかぶりついた。
それを困った顔で眺めてから、母さんが僕へと顔を向けて口を開いた。
「ところで大和」
「ん?」
「大和はどっちがタイプなの?」
「ぶふっ!?」
飲んでいた牛乳を思い切り噴き出してしまった。
コップから溢れた牛乳がポタポタとトーストへと落ちる。
「いきなりなんの話だよ」
「えー、だって大和は二人のどちらかをお嫁さんにするんでしょ?」
「はぁっ!?」「んぐぉっ!?」
なんだその話は初耳だぞ! どこからそんな話が出てきたんだ!?
フィーネ……は多分違うだろうな。
僕と同時に驚いた時に喉にウインナーを詰まらせたのか、目に涙を浮かべてえっほえっほとむせながら優美に背中を撫でてもらっている。
ということは、犯人は一人しかいない。
僕がルシアを睨むと、ルシアはテヘと笑うと小さく舌を出した。
やっぱりルシアの仕業か! こいつ適当な事を言いやがって!
「違うの?」
「違うよ。そんなことあるわけないだろ」
「あら残念。二人ともとっても可愛らしいから、お嫁に来てくれたらお母さん嬉しかったのに」
残念ねー、と本気で残念そうに母さんは肩を落として落胆した。
どうしてそこで落胆するんですか母上。
あなたは大事な息子の結婚相手が出会って間もない天使か悪魔でも良いと仰るのですか。
「ルシア姉ちゃんとフィー姉ちゃん、およめさんに来ないの?」
優美、お前もか……。
「ねー、残念よね。お兄ちゃんは嫌なんだって」
「お兄ちゃんサイテー」
母さんと優美はタッグを組んで僕を責め立ててくる。
こうなってしまってはもうどうすることも出来ない。我が家のパワーバランスは女性陣が圧倒的に優勢。
特に母さんは長らく一強時代を築いていたが、妹の優美が生まれてからはその地位を更に盤石なものとして絶大な権力を有している。
だから我が家では基本的に母さんの意見が優先されることになっている。
昨年の旅行先も母さんの淡路島に行ってみたい! の一言で決まったくらいだ。
一度そのことで父さんに不満がないのか聞いたことがあるけど、真奈美さんが幸せなら俺も幸せだからな、と惚気のカウンターアタックを食らわされた。
「あんたも大変ね」
フィーネが同情するように優しい目を向けてきた。
フィーネはわかってくれるのか、この苦悩を。
やばい。なんかちょっとうるっときた。
思わずフィーネに心を開きかけている自分がいる。
「優美はお姉ちゃんたちのこと好き?」
「すきだよ。ルシア姉ちゃんはやさしくてきれいですき、フィー姉ちゃんはかわいくておもしろくてすき」
優美に言われ、ルシアは恥ずかしそうに俯き、フィーネは一瞬嬉しそうにしたが何かが引っ掛かったのか眉を寄せて難しい顔をした。
「というわけだから、ルシアちゃん、フィーネちゃん、少しの間かも知れないけれど、ここを自分の家だと思ってくれていいからね。その方が優美も喜ぶわ」
「よろこびます!」
親指をグッと上げて優美はサムズアップする。
「はい。よろしくお願いいたします」
「まあ、そこまで言われたら仕方ないわね。よろしくしてあげるわ」
四人は互いに顔を見合わせると、なぜか母さんと優美は僕へと視線を集中させた。
な、なんだよ、その期待に満ちた目は。
「お兄ちゃん?」
「……よろしく」
「よくできました」
こうして、天使と悪魔と囲む初めての食事は、終始賑やかに過ぎていった。