84 換装
お待たせしました。ちょい長めです。
「始まりましたか」
そう言ってムラサキは紫紺のポニーテールを揺らした。右翼を担う彼女の目線の先にも継ぎ接ぎの異形が見える。
「私も、と言いたいですが……」
ムラサキは改めて異形を観察した。
それは例えるなら全身の毛の抜けた虎だろう。無論、虎の形をしているだけであって虎ではないが。
そもそも剥き出しの眼球が額に1つ、それを囲うようにさらに6つある。猫科特有の縦に細長い瞳孔は、ムラサキを視認した時点で限界まで大きく見開かれていた。
爛れた体表では至る所で水疱が出来ては破れを繰り返している。その度に膿のような青黒い体液は弾けて瓦礫へと垂れ落ちた。しゅーしゅー音を立てて泡立ち煙を出しているのを見るに、どうやら強い酸の特性を持っているらしい。
「苦労しそうですね」
彼女は相性の悪さを呪った。
それでも負けるとは思わない当たりに彼女の実力が見て取れる。自信過剰との見方もあるかもしれないが、それは戦いの中ではっきりするだろう。
「では行きますよ、ケダモノ……魔装術」
魔装術とはムラサキの家に代々伝わる門外不出の魔技であり、魔装とは魔力で具現化した武装のことを指す。
ムラサキは当代きっての使い手とされ、十数種類もの武器と防具を具現化、使い分けることが出来た。勿論、それらの武具は使いこなすことが出来る。
「破魔の衣、異形滅殺の大弓」
果たしてそこには純白の衣を纏い、矢筒を下げ、身の丈ほどもある大弓を携えたムラサキの姿があった。
彼女は矢筒から魔力で具現化した矢、異形を滅殺する破魔の矢を取り出して番える。そして脚を前後に開き体を安定させると、全身の力で弦を引いた。
「先制は貰いますっ」
空気を打ち破る音が轟いた。
もはや飛翔する矢は目視が困難な速度を出している。並の異形ならば、間近を通っただけで消滅しかねないほどの威力が込められた一矢。しかし異形は上空高くへと身を踊らせることで回避する。
すかさず第二矢を射かけるも身を翻されて躱された。
異形が着地する隙を狙うべく矢を番ようとして、その異形よりも早く降りかかる酸の雨に気がついた。急速に離脱したムラサキの破魔の衣は所々が溶けかかっていた。
「予想通りではありますが、厄介なものは厄介ですね」
換装、と呟くと魔装が切り替わる。
純白の破魔の衣は漆黒のハンターコートへと。大弓は同じく異形滅殺の大鉈へと。
これぞムラサキが当代きっての使い手と揶揄される所以だった。
もともと魔装術習得のためには具現化したい武装の扱いを習熟する必要がある。それは道場を開けば師範になれる程度の腕前だが、その上で武具について隅から隅まで知り尽くさねばならない。
手に持たなくても瞼の裏側で武具の鮮明なイメージが、金属と手入れの油の臭いが、鞘から抜き放った時の音が、硬質な感触が、決して飲み込むことのできない味が、そういった五感として蘇るほどに。
幼い頃より武具に囲まれて育ったムラサキは天賦の才をもってこれを慣熟し、魔装術の奥義として体現した。即ち複数の魔装を瞬時に切り替えて戦う『換装』である。
「はああああああああっ!!!!!!」
ひと足で距離をゼロにしたムラサキが大鉈を振るう。下から掬い上げるような軌道で振るわれたそれは、着地間際の異形の顎を正確に砕かんとする。
しかしあろうことか異形の口が縦にも裂けたことで外されてしまう。
予想外ではあったが澱みなく回避に移る。
大鉈を振り上げた勢いに逆らわず、むしろそれを利用する形での後方宙返り。辛うじてムラサキは、カウンターの噛みつき攻撃の直撃を避けることに成功した。
「ぐっ……!」
だが、至近距離で唾液を浴びせかけられてしまった。唾液にも膿のような青黒い体液と同じ効果があるらしい。魔力で中和するにも限度があり、爛れた皮膚の灼かれるような痛みに耐えなければならなかった。
「換装」
再び唱え、鈍色の鎧姿となったムラサキの手には長槍が握られていた。構えてからの突貫。踏み込みから放たれる神速の突き。避け損ねた異形の右前脚を抉る。
『ガオォォォ……!?』
異形が初めて苦悶の声をあげた。
飛び散る膿のような青黒い体液を退いて避け、ムラサキは換装と呟く。
身に纏う鎧そのままに得物は大斧へ。
異形の頭上へと跳躍したムラサキは、大斧の重さを利用して叩きつける。多少動きの鈍った異形は避けるが、それを追い立てるように追撃を敢行した。
「換装」
わざと空振りした大斧が消え、即座に返した手に大槌が現れる。大斧のままでは考えれない速さの2連撃。大槌の質量が的確に異形の頬を打ち据える。
こうして戦いを終始優位に進めていたムラサキだが、その実、余裕がないのは彼女の方だった。
魔技において物質の具現化というのは、かなりの魔力を消費する。その反面、一度具現化してしまえば維持する魔力は僅かで済む。つまり具現化する瞬間が最も魔力を食うのである。
ムラサキは魔装術換装を使いこなす都合上それがさらに顕著だった。だからこその短期決戦狙い。果敢に攻め立てた理由だ。
だがしかし一度攻撃を当てた魔装は、膿のような青黒い体液によって使い物にならなくなる。その都度、換装を強いられたムラサキの限界は存外早く訪れた。
「換装、できない……」
残り少ない魔力を全て魔闘術に回し、ムラサキは回避に専念する。攻撃してこなくなったと見るや猛攻へと転じる異形。先ほどまでとは完全に立場が逆転していた。
このままでは負ける。
そう確信していてもムラサキに取れる手段は少ない。
ならば時間を稼ぐ。少しでも多く。
それが戦術的勝利に繋がると信じて、彼女は逃げ回った。異形に弄ばれ、嬲られていることは百も承知だった。
前腕は溶解されて骨まで見えている。服も所々が溶け、女性としてあられもない格好を晒していた。羞恥も矜持も尊厳も。それら全てを擲ち、勝利への執着だけで立っているのが今のムラサキであった。
「ぐっ……ごあっ…………」
前脚で薙ぎ払われて吹き飛ぶ。
辛うじて受け身を取り、立ちあがろうとして失敗する。膝に力が入らなかった。もはや使い物にならない魔装の剣を杖に姿勢を維持していると、ムラサキに影が下りた。
顔を上げると口をいっぱいに広げ、溶解液を滝のように垂らす異形の姿があった。
覚悟を決めたムラサキだが次の瞬間、視界が橙色の閃光に塗りつぶされる。異形が火柱に呑まれたのだと理解するの同時、彼女の前にローブを羽織る人物が着地した。
「あなたは、いったい……」
その人物はフードを被っており、身体的特徴は殆ど得られなかった。しかし魔力の雰囲気が人ではないこと、そして今も屹立する火柱に注意を払っていることが分かる。
謎の人物はムラサキの問いに対してぶっきらぼうに告げる。
「友との約束で馳せ参じた」
声は女性のものである。
彼女は味方なのか、異形ではないのか?
そもそも目的はなんだ。
様々な憶測と疑問がムラサキの脳裏を過ぎり、彼女はそれらを一旦、置いておく。どれだけ怪しくとも命の恩人であることに変わりはなかった。
「そう、ですか。ともかく助太刀には感謝します。異形の体液には気をつけて。溶けます」
ムラサキの感謝と忠告に彼女は返事をしなかったが、ちゃんと話は聞いているのだと、なんとなくムラサキには伝わっていた。
やがて火柱が消えると、そこには全身に焦げ目のついた異形が立っていた。濁った瞳が乱入者を射抜く。
謎の人物は得物の薙刀を構えた。
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