75 信頼
お待たせしました。
資材搬入用エレベーターに全員が乗り込んだことを確認する。
「準備はいいね?」
「はい」
「もちろん」
「皆は大丈夫?」
ジンとノームが肯定を返す。
部下を含めて共に立てこもっていた職員たちも口々に大丈夫だとか、平気ですなどと返事をした。それを聞いたドクターは満足そうに頷いて、ついにエレベーターの開閉ボタンへと指を這わせる。
「よし、行くよっ」
ボタンが押し込まれるとエレベーターが密室となった。続けて階層ボタンから最上階、つまり地上階を選択。機械音と同時に鉄の箱は昇降を開始する。
独特の浮遊感に落ち着かない様子の中、地下19階の元住民たちは不安と期待の入り混じった面持ちをしていた。エレベーター唯一の出入り口、その上部で移り変わる数字を眺めている。誰も声を発さない代わりに、数字が小さくなる度、誰かが身動ぎした。
そしてエレベーターは、ついに地下1階へと到着する。
「ここからは歩きだね」
予め土地の上物の状態を聞いていたので、ドクターは瓦礫が邪魔をしているだろうと考え、一行はひとつ下の階から階段を使うことにした。
行きにジンたちが異形を掃討していたお陰で、帰りは大所帯になっても滞りなく安全に進むことができた。
「地上だ!」
職員の誰かが叫ぶ。
皆が早足で階段を駆け上がった。ジンやノームもそれに続く。
彼らは地上への脱出を喜び、次いでその惨状を目の当たりにして嘆き悲しんだ。半壊した連盟支部の建物然り、荒んだ街並み然り、街に蔓延る濃い異形の気配に当てられて平静を欠こうとする。
ドクターは彼らの意識を繋ぎ止めるように柏手を打って注目を集めた。
「みんな気をしっかりと保つんだ。地下19階の生活を思い出して欲しい。なんのために立て篭もったのさ。なんのために不安で眠れない夜を越えてきたのさ。たしかに街は酷い有様だよ。きっと大勢が死んだ。それは間違いない。でもね、だからこそ生き残りのワタシたちは、生きてこの街を出なければならないんだよ。他ならぬワタシたち自身のために」
皆の顔に落ち着きが戻ってきた。
ドクターの言葉に心を動かされたカルナも声を上げる。
「そうだよ、ドクターちゃんの言う通り!アタシたちは生きてる。だったら最後まで生きることを諦めちゃダメだ。生きて、生きて、生きて、そして生きなくっちゃ」
おお、そうだ!と口々に己を、そして周囲を鼓舞する言葉が生まれていく。
「それなら、まずは安全な場所で身体を休めないとな」
そう、ノームが買って出た。
ウェウリンと共に潜伏していた場所のことを言っているのだろう。あの辺りはノームが魔技を使って生み出した霧によって、異形を迷わせて寄せ付けない一種の安全地帯を形成している。
「君たちには感謝しても仕切れない。この恩はいつか必ず返すからね!」
「ドクター。その言葉は無事に街を出られるまで取っておいてください」
「そうだぞ、ドクター。おじさんも今それを言おうと思っていた」
「全く君たちは……分かったよ。無事に街を出られたら、その時こそありがとうと言わせてもらうとするよ」
お互いに笑い合って連盟支部跡を出る。
ノームが先頭に立ち、同行者を霧で隠して街を進む。途中、異形と遭遇することもあったが、決して気取られることなく、無事にやり過ごすことができた。
ジンたちが拠点にしているアパートは部屋も多く余っている。男女で分けても余裕があるほどで、ドクターたちはそれぞれに居室を選び、すぐに休息を取ることにした。
ノームは彼らの面倒をみると言ったので、ジンはひとりでウェウリンを探した。連盟支部へ赴く前に別行動と語っていたため、拠点に姿が見えないのではないかとジンは思っていたが、それは杞憂だった。
彼女は弟子の姿を認めると微笑を浮かべて出迎えた。
「おかえり、ジン」
「ただいま戻りました。師匠」
「そこに座りなさい」
勧められるまま椅子に腰掛ける。ウェウリンとは向かい合う形だ。ジンは連盟支部跡であったことを簡単に報告する。
黙って相槌を打ちながら話を聞いていたウェウリンは、話が封物殿に至ると片眉をあげて反応を示した。
「弟子の成長を喜ぶべきか、無謀を嘆くべきか」
「お陰でこの刀に出会えましたから」
ジンは机の脚に立てかけていた黒刀を卓上に乗せた。その刀に直接触れることなく、しかしまじまじ見つめてウェウリンが言う。
「カウコーツ元主任が打ったという妖刀か」
「はい、これが魂の形だと分かりました」
「そうか、そこまで至ったか……ならばもう心配はいらないな」
「師匠?」
ジンは師匠が初めて見せる儚げな雰囲気に当惑した。喜びと嬉しさ、寂しさと悲しみ、それらが綯い交ぜになった表情。それは亡くなった母の面影を想起させ、ジンの心を激しく揺さぶった。
ウェウリンはそんなジンの潤んだ瞳を見つめて神妙に口を開く。
それはジンにとって衝撃の事実だった。
「これが今の私の扱える全魔力だ」
席を立ったウェウリンの手には彼女が生み出した氷の剣が握られている。見事な練度だが、彼女の持ち得る魔力総量を思えば微々たるもの。だからこそジンには師匠が何を言っているのか理解できなかった。
いや、本当は理解したくなかったのかもしれない。
「師匠、何を言って」
「言葉通りの意味だ」
「どうしてそんなことに……」
「お前のことだから責任を感じてしまうだろうと考えて伏せていたが……」
実のところ救出されたジンは極端な魔力欠乏に陥っていた。魔力は魂を形作る流れを生むものであり、ジンの場合はその流れさえも枯れていたのだ。
魂が形を失うことは死を意味する。
ジンも時間の問題だった。
以前、ノームが言いかけていたのはこれのことである。
「そこで私の魔力を分けたのだ」
他人の魔力を自分の魔力に変換することは不可能ではないが、変換効率は著しく落ちる上、難易度が想像を絶する。しかしウェウリンには可能だった。
果たしてウェウリンは、自分の魔力をジンへと送り込み魔力の流れを再現する。言うまでもなく神業である。普通は魔力を送られた側の肉体が拒否反応を起こして死亡する。
そんな施術が五日五晩続いた後、ジンは目を覚ました。その代償としてウェウリンは魔力の大半を失った。
「師匠、ししょう、ごめんなさい。僕のせいで、だって、そんな師匠が……!」
「私の欲しい言葉は違うよ。ジン。私の弟子なら分かるだろう?」
枯れてしまった涙は流れない。
自分のせいで紫位魔技師の、師匠の力を奪ってしまった。そんな間違った認識を覆すためにウェウリンはジンを抱き寄せる。
出会った時と変わらない慈しみがジンに平静を取り戻させた。
「ありがとう、ございます。僕、頑張りますから。師匠に負けないくらい強くなりますから。だから……」
ジンだっておかしいと思っていた。
目覚めた時からウェウリンの存在感が小さかったこと。それは自身の魔力感知能力の低下が原因だと思っていた。しかし実際は、ウェウリンの力が激減していたのだ。
それが自分に由来すると知ったジンは心配した。もちろん、自責の念は少なからずあるが、それよりも街の惨状だ。魔境と化したこの街で、力を失った師匠が死んでしまうのではないかと危惧する。
それを感じ取ったウェウリンは安心させるように言った。
「この剣が一本あれば十分だ。私の剣の腕は知っているだろう?」
ジンは頷いた。
確かにウェウリンならば並大抵の異形は切り伏せられる。それだけの実力がある。それは弟子であるジンが誰よりも知っていた。
「弟子は師匠を信じます」
そしてジンがウェウリンから離れた時、街全体を地響きが襲った。
読んでくださった方々ありがとうございます。




