72 不意
お待たせしました。
カウコーツ元主任の言葉通り地下15階まで異形とは遭遇しなかった。だが、地下16階に降りると、血と腐敗の臭いがジンとノームを出迎えた。
「鼻が曲がりそうだ」
壁や床に満遍なくへばりついた血肉と、すり潰された臓腑、そしてそこに混じった骨片が凄惨な現場を物語っている。そして異形の気配がしないことが何よりも異様だった。
2人は顔を見合わせると頷き、慎重に腐肉を踏み締めて歩いた。警戒は勿論、足を滑らせないように気を遣った。
そして通路を半ばまで来たところで、背後から激しい物音がする。
「なんだ!?」
慌てて振り向いた先では、大きな異形が扉を突き破って出てきたところだった。血肉が張り付いて壁と扉の見分けがつかなくなっていたことで見逃してしまったのだ。
異形は通路の幅を埋め尽くすほどの体積を誇り、ミンチ肉を寄せ集めて作った団子にも見える。前面に巨大な口が開いていて、その中は蛸の口のように牙が生えていた。一度でも咀嚼された生き物は粉々にすり潰されるだろうことは一目瞭然。
壁や床に血肉がこびり付いていたのは、コイツが徘徊した折に擦り付けられた結果だったのだと、彼らは遅まきながらに理解した。ジンがノームに向かって声を張り上げる。
「ノームさんっ、走って!!!」
「もう走ってるっ!」
2人は同時に駆け出していた。
獲物は逃さないとばかりに異形も猛追を開始する。
ジンは走りながら、あの異形の気配を感じなかった理由を考えていた。
恐らく肉そのものは異形の肉体ではなく、あくまで分厚い肉の鎧を纏っているに過ぎないのではないか。
その推論は当たっている。
現に視認できた今となっては、魔力感知でよく探ることで、異形の気配を朧げに捉えることが出来るからだ。問題はそんな余裕が微塵もないことである。
見た目に似合わない素早さが異形にはあった。必死で足を前へ前へと運ばないと容易に追いつかれてしまう。
「どうする!?」
「何か考えはっ!?」
「ないっ!」
「くぅ……とりあえず下へ!」
「それしかないな!」
そのやり取りの間に地下17階へと続く階段が見えてきた。
「思い出した」
「何をですか?」
「階段を降りてすぐの壁に隔壁を下ろすレバーがあったはずだ。そいつを閉めれば……」
「追ってこられない?」
「そう願う」
地下で万が一にも火災が発生した時、その被害を最小で抑えるため当該階層を隔離閉鎖する隔壁が備わっている。その存在を土壇場で思い出したノームは当然、帰路のリスクを併せて考えた上で発言している。
未来の危惧より現在の生存というわけで、2人は階段を駆け降りた。
いち早く降りたノームが隔壁を下ろす。
ゆっくりと左右から迫り出してくる隔壁の間をジンが通過する。そのすぐ後ろから異形が現れる。しかし、すでに半分ほど閉まりかけた隔壁に阻まれた。
異形は体の形を変えて、隔壁の間を縫ってこようとする。これには流石にジンも慌てたが、ノームは落ち着き払っていた。
「ちょいとレバー下ろすの代わってくれ」
「は、はい。何をするつもりですか?」
「まあ、見とけよ」
ジンと位置を入れ替えたノームが前に出る間も、異形は閉じる隔壁の隙間をこじ開けての侵入を試みている。このままでは隔壁を完全に閉じることは出来ない。
「あんまり得意じゃないんだが」
隔壁の前に出たノームは片手を向けると、その片手に魔力を収束させた。
「封術・魔鈍術」
手から発された魔力波を浴びた異形はみるみるうちに動きを鈍らせていく。
ノームの使った魔鈍術は対象の魔力操作を乱す効果があった。これを食らうと魔技師であれば魔技が覚束なくなる。特に異形であれば身動きさえ怪しくなってしまう。
術の効力を確かめつつ、ノームはもう片方の手を異形へと向ける。
「射術・放衝術」
掌から魔力の塊が射出された。
その魔力の塊が異形の表面に触れる。魔力は弾けて指向性のある衝撃波が生じた。
すでに魔鈍術で動きを鈍らせていた異形では踏ん張ることは難しい。そのまま後方へと吹き飛ばされる。隔壁が閉じる間際、異形は通路の暗闇へと消えていった。
重々しい音によって隔壁が完全に閉じたこと確認。ノームは盛大にため息を吐いた。安堵のため息だ。本人の言葉通り得意な魔技ではなかったので、余計に神経をすり減らした結果だった。
「ノームさん、お疲れ様です」
「おう、ありがとな」
「すごかったです」
「小技が役に立つこともあるってこったな。まあ、通じないことの方が多いけどよ」
「でも今回はその小技に救われました」
「そうだな。だが、まだ目的を果たしていない。それに帰るまで気を抜けないし、そもそも帰ってからが本番だからなぁ。切り替えていくぞ」
「はいっ」
そうして地下17階、地下18階と降りていく。散発的に異形と戦闘になるが、それほどの強さはない。それだけに地下16階の異形の異質さが際立った。
やがて目的の地下19階へと続く階段を発見し、2人はこれを降りていく。
「隔壁が」
「閉まってるな」
2人の言葉通り、階段の先では隔壁が閉じて道を塞いでいた。通路の両側に隔壁を開閉するレバーがあるはずなのだが、階段側のレバーは意図的に破壊された形跡がある。
「まさか誰か籠城してるのか?」
生き残りがいるとは思いもしなかったが、一度そう思うと立て籠もっているようにしか見えない。そしてそうなると向こう側から開けてもらうしか手立てはない。
結論が出たところでジンが隔壁を叩く。
「誰か居ますか!ここを開けてください!」
声が反響して消えていく。
やはり生存者などいなかったのか。それとも既に亡くなってしまったのか。悪い想像が膨らみかけたその時、聞き覚えのある声が聞こえた。
「おや、ジンかい!?」
声の発生源は隔壁付近に備え付けられているスピーカーだった。どうやら隔壁の向こうからジンたちの側を確認出来るらしい。見えにくい位置にカメラも設置されている。
隔壁がゆっくりと開いていき、2人は地下19階に足を踏み入れることが出来た。するとすぐに隔壁は閉められる。
ジンとノームを出迎えたのは幾人かの生存者たち。中にはジンの見知った顔もある。
「ジン!無事だったんだね!」
「カルナさん!」
かつてジンの刀を打ってくれたカルナ。
彼女は再会を喜び、ジンを抱きしめる。強く抱きしめられて少し苦しいジンだが、嬉しさが勝ち、抱きしめ返した。知り合いが生きているということが、これ程までに嬉しいことなのだとジンは初めて知った。
「よぉ、正直、生存者がいるとは驚いたぜ」
「勝手に殺さないでくれよ。とはいえワタシたち自身も奇跡だと思っているが」
ドクターも生きていた。
その他にも白衣を着た研究員風の男女が合わせて3名。事務の制服に身を包んだものが2名。鍛治職人の男が1名。ここにドクターとカルナを加えた8人が、この地下19階で籠城していたものの全てだった。
「ん、ここにいるので全員なのか?あの部下はどうした。名前は確かジョンソンって言ったか」
「私たちで全員だね。それと彼は……死んだよ」
そう言ったドクターの顔からは後悔をありありと読み取ることが出来た。ノームは「そうか」とだけ言って深く追求しなかった。
沈みかけた空気をなんとかするためにドクターが努めて明るく振る舞う。
「とにかく君たちが来てくれて助かったよ。なんせ残りの食糧が心許なかったからね。外には出られるんだろう?」
「それは、難しいかもしれないな。地下16階に恐ろしい異形が棲みついてるんだ。地上まで出られれば、あとは俺の魔技、霧幻術で隠してやれるんだが……」
ノームは申し訳なさそうに言ったが、ドクターは笑みを浮かべる。
「なんだそんなことか。それなら資材搬入用のエレベーターを使えばいい。地下1階まであっという間だよ」
「そんなのがあったのか!?てか、なんでそのエレベーターで脱出しなかったんだ」
「地上がここと同じようになっていると考えたからね。流石に食糧が尽きる前に、一か八か地上へ向かおうとは話していたけれど」
ドクターの慧眼によって彼ら彼女らは命を繋いできたようだ。
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