50 到頭
お待たせしました。
祝50話です。
屋根の上で騒いでいた優男であったが青位魔技師の登場に狼狽する。しかしそのお陰で頭に上っていた血が引いて、幾分かの冷静さを取り戻すことができた。
自分と同じ高さに立つジェットを見る。
屋根の上に立つ彼を倒すだけの戦力を、優男は持ち合わせていなかった。青位魔技師とはそれだけ隔絶した実力を持っている。
撤退。
脳裏に浮かんだ二文字を実行に移そうとして、優男は己の判断が遅かったことを知る。
「なっ、どこに……!?」
視界に捉えていたジェットが消え、慌てて視線を巡らせようとした直後、下から凄まじい音がしたのでそちらを見れば、ジェットの膝蹴りが異形に突き刺さるところだった。
異形の体が、くの字に折れ曲がる。
だが吹き飛びはせず、地に足を着けて耐え切ってみせた。
しかし間髪入れずにジェットは動く。
体がくの字に折れ曲がったことで下がった異形の頭部。その顎を下から蹴り上げると同時に一際強い風が吹き荒れる。
「打ち上げる竜巻!」
異形は暴風によって錐揉みしながら、ただ蹴り上げただけでは到達できない高度まで運ばれていく。そしてその上空にジェットがいた。彼は異形を追い越して、さらに上へと昇っていき、ある程度まで来ると反転した。
風を纏いながらジェットは落下していく。
踵落としの姿勢のまま空気を切り裂いて。
加速して辿り着く先は異形である。
その腹に踵がめり込み、再度風は吹き荒れる。
「打ち下ろす烈風!」
いっそ射出されたと表現した方が正しい、それほどの勢いで異形だけが垂直に落ち、大地を揺るがす地響きを生んだ。地面は道幅いっぱいまで陥没してクレーターが出来、その威力を目に見える形で知らしめている。
ジェットは屋根の上にふわりと着地する。
クレーターからは異形の消滅を意味する黒い粒子が立ち昇っていた。
「これが風天のジェット、青位魔技師の実力だと言うのか?規格外じゃないか……」
「この程度で規格外だと?笑わせんな!」
優男は身をすくませた。彼の怒号にではない。彼の周りに吹き荒れる嵐を視て、その身をすくませたのだ。
ジェットの魔技は気流操術と言う。
気流、即ち風を自在に生み出し、そして操ることができる。この魔技によって、ジェットは誰にも負けない速さと瞬発力、そして加速を手に入れた。
そんなジェットでも青位の一歩先へは届かなかった。
「紫位の魔技師は、こんなもんじゃない。あの人たちこそ正真正銘の化け物、まさに規格外だ。最強なんだよ。あの人たちは」
「くっ、だけど目的は達成できた。戦闘データは収集できたし、少ないけど魔技師だって数を減らせた。もうここにいる意味もないんだ。撤退させてもらう」
目的を達して撤退を告げる優男の言葉は、この場所と同じような襲撃が複数箇所で起こったことを窺わせた。
「逃すと思うか?」
「ぐぬぬ」
「なにが『ぐぬぬ』だ。お前を捕まえて今回のことを洗いざらい吐かせてやる」
ジェットが一歩、前に出る。
優男が忌々しげにジェットを見た。速さでは並ぶ者がいない彼を相手に、このまま逃げおおせるのは不可能だった。
優男が残り少ない時間で打開策を考えている時だった。彼にとっては救いの声が聞こえたのは。ジェットにとっては凶事である。
「なんという様だ。レオナルド」
「ガントか!なんでもいい助けてくれ!」
「ガント……掌握のガントか!?」
優男をレオナルドと呼ぶ声は、彼のすぐ背後から聞こえた。声の主の名はガント。巌のような老人である。顔に刻まれた皺が相応の歳を感じさせるが、背筋は伸びていて、肉体に衰えは見えない。黒いタキシードに身を包み、両手には黒手袋を着けていた。
ガントを見たジェットは驚きを隠せない。
過去の実績から信頼は厚く、けれど現在は魔技師の誘拐と殺人、両方の容疑で連盟支部に追われている青位魔技師。そんな重要人物がこの場に出てきたことに驚き、彼我の戦力差に歯噛みする。
ガントはジェットを一瞥すると、自分に縋るような声を上げたレオナルドへと視線を移して鼻を鳴らした。
「無論、助けるとも。しかしレオナルド、お前には失望した」
「な、なに!聞き捨てならないな!」
「お前は最低限の仕事をするために、多くの戦力を犠牲にした。はっきり言って無能だ。俺の一存で殺せるなら、今この場で、その頭を握り潰しているところだ」
レオナルドの顔色が青白くなっている。背後に立っているのが味方なのか信じられなくなっているのだろう。この場合の味方は、レオナルドの命を保証してくれる者のことを指すので、その疑念は最もだった。
一方、ジェットはジェットで額に汗を流していた。
ちろりと下を見る。
満身創痍の白位魔技師が2人、黄位魔技師が1人。それぞれ眼下に見えている。彼らはまとまって路地裏に身を潜め、逃げるタイミングを探るために屋根の上、即ちジェットたちの方を観察しているらしかった。
いい選択だと思いつつ、ジェットは状況の悪さに舌打ちしたくなる。
レオナルドと、その側にいる異形だけなら余裕で倒せていた。しかしガントが出てきた以上、それは叶わなくなる。
ジェットとガントの相性は最悪だ。無論、ジェットが最悪な側である。そしてそれはガントの魔技に関係している。
「そこの小僧」
ガントが声をかけたのが自分だと判断したジェットが応える。
「なんだ?」
「引け。見逃してやる」
「どういうつもりだ?」
「俺はレオナルドを助けるように命令を受けているが、敵を倒せとは言われていない。だから見逃してやろう」
そのあまりに上から目線な言葉にジェットはブチ切れる寸前だった。踏み止まることが出来たのは冷静な戦力分析の賜物である。
剣呑な目はしているが己の分を弁えるジェットに、ガントが感心したように頷く。
「賢い選択だ。俺の魔技、掌握術は掴めるもの全てを掴む。お前が無謀にも戦いを選んでいれば、今頃は死んでいただろうな」
「ちっ」
「一応、言っておくが追ってくるなよ。若い芽は摘みたくないのでな」
ガントの視線の先にジンたちがいることが分かり、ジェットは沈黙した。もはや出来ることは何もなかった。
「では、さらばだ」
「世に混沌のあらんことを。世に混沌のあらんことを。世に混沌の……」
ガントが、レオナルドが、異形が夜の街に遠のいていく。ただ敵が撤退するのを見送ることしかできない悔しさ、そして己の無力を噛み締めながら、ジェットは最後まで彼らを睨みつけていた。
完全に彼らが撤退したのを見届けて、ジェットは身を潜めているジン、ドラコーン、ゲンキの3人に声をかけた。
「出てこい。もう大丈夫だ」
ジェットが屋根の上から降りると、3人も路地裏から出た。3人とも大きな怪我こそしていないもののボロボロで、生きているのが不思議なくらいであった。
「お前ら、よく無事だったな」
「ジェット青位魔技師のお陰です。救援に来て頂けなかったら、今頃は殺されていたでしょう。だから本当に」
ドラコーンが俯きがちに答える。続けて礼を述べようとしたが、それはジェットによって遮られた。
「礼はいい。それよりも状況を聞かせろ」
「分かりました。まず私たちは……」
ドラコーンが語り、前後に別れて対処した後をジンとゲンキが補足する。そうして話が終わると、聞いていたジェットは唸った。
まず魚人の異形による待ち伏せ。
これは間違いなく巡回経路が割れていたに違いない。そしてあの優男の口ぶりから、同時多発的に事は起こり、他の班も巡回中に襲撃を受けたはずだった。つまり魔技師の各個撃破を狙っていたと思われる。
救援に備えて待機していた青位魔技師はジェットを含めて3名。紫紺の髪を肩口で切り揃えているムラサキと無口で堅物なダズだ。
この2名もそれぞれ別の救援信号発信地に向かっている。
しかし、襲撃が複数箇所で同時に行われていたならば当然、救援信号を送ることが出来なかった班があるはずである。その班は今も苦戦しているか、すでに殺されているはずだった。もしくは何も起こっていない可能性も低いながらに残されているが。
「俺は先に連盟支部に戻る。お前らも一度、連盟支部に戻ってこい」
「待ってください」
背を向けて歩き出そうとしたジェットをジンが呼び止める。
「奴らが何者なのか、分かりませんか」
「混沌教だろうと俺は思う。それ自体か、それとも裏にいるのか、それは俺にも分からないがな」
「そう、ですか。混沌教。分かりました。ありがとうございます」
背を向けたまま話していたジェットがジンに向き直る。
「それとよ、俺もお前に言いたいことがあったんだわ」
「なんですか?」
「がっかりした。あの人の弟子だって言うから、どれだけ凄いやつなのかと思えば、この程度とはな」
「…………」
言いたいことだけを言って、ジェットは去っていった。言葉の端々に喪失感があり、ため息が聞こえてくるようであった。
ジンはジェットの言葉に憤りを覚えたりはしなかった。ただ師匠の顔に泥を塗ってしまったことは反省せねばならなかった。そんなジンの耳に、ゲンキが憤る声が聞こえる。
「勝手なこと言ってんじゃねえ。ジンがいなきゃ俺は死んでたし、その後ドラコーンだって危なかったんだ」
「そうだな、その通りだ。しかし随分と大きな期待をされていたんだな、ジンは」
期待。そう感じたことなどジンには一度もなかった。もしもジェットが期待していたのであれば、ジンは彼の期待を裏切ったことになる。だからなんだという思いもあるが、会議室で会った時のことを思い出すと、彼は紫位魔技師に特別な想いがある気がした。
「行きましょう。連盟支部に」
「そうだな。行こうか」
「ああ、戻ろうぜ」
連盟支部を目指して、夜の街を歩きながらジンの心は震えていた。追い求めていた手がかりを前にして、心臓が早鐘を打つ。
あの日、路地裏で襲われた異形と瓜二つの異形が今日、目の前に現れた。あの異形を連れていた優男は混沌教と関係があるらしい。彼らを追いかければ、あの日、父が死ぬのと時を同じくして行方知れずになった母の消息が掴めるかもしれない。
胸の高鳴りを抑えるのは難しく、ズキズキと疼く頭を抑えながら、ジンは夜を仰いだ。
読んでくださった方々ありがとうございます。
これにて2章は終わりとなります。次回からは3章となりますので、引き続きよろしくお願いします。




