05 慈母
暗黒の人型に畏れを抱き、俯くことしかできないジンであったが、徐々に自分は助けられたのだという実感が湧いてきた。
そして自分を助けた女性がどうなったのかが気になった。それを知ることが恐ろしいのは勿論、女性の無事を願いながら顔を上げる。
そこでは今まさに戦闘が行われていた。
狭い路地では扱いの難しい大鎌を、女性は左脇構えにして突撃する。
暗黒の人型は、それに呼応するように触手を振り上げ、力任せに振り下ろす。
この空間に逃げ場はない。
だがそれに接触するよりも早く、彼女は振り下ろされる触手の懐へと飛び込んでいた。そして大鎌を振り抜いてみせる。
壁面にひっかかり、動きを止めるはずの大鎌はあろうことか路地の壁ごと切り裂いて、触手を根元から刎ね飛ばした。青白い刃が切り口を凍てつかせ、その右肩を氷が被う。
重々しい音を立てて、宙を舞った触手がおちた。突然に半身が軽くなった暗黒の人型がバランスを崩して2歩、3歩と後ずさる。
女性は、その隙を逃さなかった。
そこから1歩前に踏み出し、上段に振りかぶった大鎌を振り下ろす。
暗黒の人型は残された左腕を掲げて防ごうとするも、大鎌の鋭利な刃は、その防御を越えて肉体を傷つけた。
振り下ろされた刃は腕に食い込み、それを切り落とし、本来なら首がある場所から正中線に沿って暗黒の人型を両断する。
その恐るべき技の冴えに屈した異形は、その輪郭を曖昧なものとし、傷口から黒い粒子を撒き散らしながら直に消滅した。
辺りから冷気が引いていく。
いつの間にか、女性が手にしていた大鎌も消え失せていた。
路地の雰囲気も変わり、ジンが感じていた嫌な予感も消えてなくなる。
脅威が去ったことを確認した女性が、ジンのもとへ歩み寄ってくる。この時、ジンは初めて命の恩人である女性を落ち着いて観察する機会を得た。
女性は恐ろしいほどに整った容姿をしていた。まさに人外の美貌だった。
まず目を引くのが冷たいアイスブルーの瞳であろう。知性の輝きを感じさせ、また目の合った者が思わず傅いてしまうような歴然とした風格を宿している。
そして白のローブに身を包んでいて尚、隠しきれない魅力に溢れた肉体だ。長身でありながら、女性らしい曲線を描く柔らかな肢体が、調和の名の下に完全な美を保っている。
絹のような艶の長くて白い髪を背に流して歩む姿。それは同性異性を問わずに見惚れさせるに足る、ある種の神々しさが伴っていることに疑問の余地はなかった。
ジンも例外ではなく見惚れていたが、気がつかないうちに隣へと腰掛けていた女性が声をかけたことで我に返る。
「ふう、これでひと段落だ。怖い思いをさせてすまなかったな、少年」
「ううん……大丈夫」
「そうか?とてもそうは見えなかったが」
女性がニヤリと笑う。
揶揄われているのが分かり、ジンは顔を赤くした。助けられた直後の自分が、いったいどんな顔をしていたのか。はっきりと思い出せないのがせめてもの救いであった。
「そんなことよりもまだ名乗っていなかったな。ウェウリンだ。魔技師をしている」
「魔技師?」
「うむ、魔技師だ。先ほどの怪物、まあ異形と言うのだが、あれらを消滅させるのが仕事だ。さて、君の名前も聞かせてくれ」
「ジン・シルバー。12歳。誘拐されたけど、その直後に犯人は死んじゃった」
そう言ってジンは微かな血の匂い、その発生元へと視線を向けた。内臓が傷ついたのだろう。男性が口から血を流して死んでいる。
ジンの顔色は悪い。心身に多大な負担がかかったのは明白であった。
ウェウリンもそれは分かっていたので、周囲の安全を確かめた上であるが、ジンを抱き寄せ、自分の肩を枕にするように勧めた。
「いや、でも……」
「色々あって疲れただろう。なにも遠慮することはない。少しだけ眠るといい」
慈愛に満ちた声音が荒んだ精神に染み渡っていき、緊張した心を弛緩させる。一度安堵してしまえば、次に来るのは感情の波だ。
ジンはウェウリンの腕にしがみつき、肩に頭を乗せ、声を殺して泣いた。ウェウリンは何も言わず、ただそっと抱きしめて、優しく頭を撫でてやった。
そのうちにジンは抗い難い疲労に身を委ねて、自ら意識を手放した。
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