33 応援
お待たせしました。今回は少し長めです。
顔を拭った手に付着した赤い液体から感じる体温に、ジンの手は震えていた。彼は、自分が斬ったものの正体に確信が持てなくなっていた。
「ジンっ」
ノームが駆け寄って、ジンの正面に回る。
ノームはジンの肩を掴んで揺さぶりながらゆっくりと、そしてはっきりとした発音で断言した。
「ジン、お前さんが斬ったのは間違いなく異形だった。元が何であれ、それだけは狂いようのない事実だ。いいな?」
ジンの瞳を覗き込むと幾分、落ち着きを取り戻しているようだったので、ノームは嘆息して掴んでいた肩を離した。
少し時間を置いた方がいい。そう判断したノームは、ひとりで遺体の検分に移る。
「ちっ」
それは小さな舌打ちだったが、場所が場所だけに、やけに大きく響いた。
異形は通常、死体を残さないが、この異形には死体がある。よくよく観察してみると、血に塗れていて分かりにくいが、遺体は衣服を身にまとっているようだった。
ノームの中で憶測が確信に近づく。
遺体からは身元を証明出来そうな物品は見当たらなかった。確信に近いだけであって、未だ確信ではないのは、この場に限ってはよかったのかもしれないとノームは考える。特にジンのことを思うと気の毒で仕方ない。
「おっと、あれは……」
ペンライトを向けた天井には、異形が爪を埋めて天井を掴んでいた痕が残っていた。そのことから分かるのは、つまり異形は異界を広げてはいなかったということだ。
異界の中で如何に物が壊れようとも、それは異界の中での出来事。異形が消滅すれば異界も消滅し、異界内で起こった建物や地形の破壊は現実に反映されない。
もうひとつ奇妙な点がある。
それは異形が異界を広げる理由に起因している。
「異形は魔力そのものだ。ゆえに絶えず拡散する魔力を抑えるために異界を広げる。だとするとこの状況はおかしい、か」
人間には肉体がある。
魔力はひどく概念的なエネルギーだが、肉体という物理的な器があることで、大気中への拡散を防げている。逆に言えば、物理的な器がなければ拡散してしまう。
異形は魔力の塊、あるいは魔力そのものであるから、現実世界で存在を保つのが難しいのである。よって異界を広げる。
一連の猟奇殺人の犯人だと思われるこの異形は長い間、少なくとも最初の事件から存在していたのであれば、恐ろしいことに2年もの間、異界を広げずに存在を保っていることになるのだ。
それを可能とする方法がひとつだけある。
物理的な器があればいい。
「技術開発局の連中なら解明してくれるかもな。俺の推測を裏付けてくれることに期待しよう」
ノームは検分を終え、懐から幾つかの部品を取り出し、それを組み立て始める。そうして出来上がった装置。これも技術開発局から供された試作品だった。
「ジン、大丈夫か?」
「……はい、ご迷惑を、おかけしました」
「……いや、いい。ひとつ仕事を頼みたい」
今しがた組み立てた装置を持って下水道から脱出し、外でこの装置を起動させる。
「起動させるスイッチはこれだ」
そう言ってノームは装置についた赤いボタンを指差した。
「おっと、今は押すなよ。おじさんもこれを使うのは初めてなんだ。本当に有効かも分からない」
「その後は?」
「血まみれのところ申し訳ないが、下水道入口で待機してくれ。暫くして到着するはずの応援を、俺のところまで案内してほしい」
「分かりました。ノームさんはここに?」
「ああ、現場を押さえておかないとな。そうだ、これも持っていけ」
ノームは持っていたペンライトをジンに手渡した。
「でも、それじゃあノームさんが」
「暗い中でじっとしてるだけだよ。なんの心配もない。それともジンは、ここに戻ってきちゃくれないのか?」
「まさか!そんなことはしません!」
「なら大丈夫だ」
仕事を振ったことで気が逸れたようだ。信頼を示したのも大きいだろう。この分なら大丈夫だと、ノームは安心してジンを送り出すことができた。
ジンは決意を込めて頷くと託された装置を持って、下水道の来た道を戻っていった。ノームから手渡されたペンライトは非常に役立ってくれた。また、もともとそのつもりでつけたのだが、壁に残した傷が目印となって迷わずに済んだのは僥倖だった。
梯子を上って下水道から出ると、外は日が傾き始めていた。どうやら結構な時間を下水道で過ごしていたらしい。
ジンは手元の装置に目を向けた。
棒状の金属で、先端は蕾のように閉じた球体。その付け根に赤いボタンがあった。
「これを押せばいいんだな」
もどかしくも血に滑る指で、ついにボタンを押し込むことに成功する。
カチッと音がして蕾が開いた。それは花というよりは傘のようだった。傘は開き切るとピピっ、ピピっ、と継続して音を鳴らした。
「これでいいはず。あとは応援が来るまで待機」
やることがなくなった途端、全身にこびりついたむせかえるような血の臭いが、ジンが斬ったもののことを思い出させた。
結局、その正体は何だったのか。
ノームも言っていたが異形であるのは間違いない。しかし、それだけではないのだとジンも勘づいている。なによりも異形を斬った時の生々しい感触の気持ち悪さが、如実に訴えかけてくるのだ。
とはいえ、その正体を確定させることは出来ない。少なくともジンには難しい。正体を知るためには、より詳しく遺体を検分しなければならないが、そういったことはその道の専門家でなければ分からないものだ。
「音が止まった?」
手元の装置は暫くの間、継続して音を鳴らしていたのだが、やがて開いていた傘を閉じて音を鳴らすのをやめてしまった。それ以降は何度ボタンを押してみても、一切の反応を示さなくなったのだ。
ジンは装置が壊れてしまったのだと思い慌てたが、実はこの装置は使い切りのものだ。1度の起動で充填していたエネルギーを全て消費してしまうのである。
「どうしよう。一度、ノームさんの所に戻った方がいいのかな……いや、でも待機を命じられたしな。これでいいんだ。うん」
ジンが不安と戦っているうちに、それなりの時間が経過した。空が茜色になる頃、近づいてくる複数の足音をジンの耳は捉えた。
ジンが足音のする方向を見ていると、そこの角を曲がって5人の人影が、ジンのいる路地に入ってくる。
作業着の上に白衣という奇妙な出立ちをした彼らは、薄暗い路地に佇む血塗れの少年にギョッとして立ち止まった。
しかし、リーダーと思われるメガネをかけた背の低い女性が、少年を指を指して何か言うと、その先を見た彼らは警戒を解いて、ゆっくりとした足取りで少年に近づいた。
「魔技師連盟メモレクサス支部技術開発局回収班、現着した。応援要請を受信したが、送信したのはキミか?」
「えっと、この装置を使ったという意味で合ってますか?だとしたら、その通りです。僕がボタンを押しました」
「そうか。しかしキミも中々興味深いな。ぜひ名前を聞かせてくれ」
技術開発局の回収班を自称する、リーダー格と思われる女性が突然、グッと顔を寄せてきたことに少し驚きつつも、ジンは請われるがままに名乗った。
「は、白位魔技師のジンです……」
「ジン。いい名前だな。うん。それでジン。ノーム氏はどこにいる?知っていれば案内を頼みたいのだが?」
「あ、はい。分かりました。ノームさんにも案内をするように言われていますので……えっと、その、なんと呼べば?」
「おっとワタシとしたことが失念していた。ドクターでいい。ワタシのことは皆そう呼ぶからな」
「は、はあ……」
彼女、ドクターが連れてきた面々を見れば皆が一様に苦笑していた。どうやらドクターの一連の言動は平常運転らしい。
彼らのうち大柄な男性が前に出てきて、ジンには非礼を詫びる。
「うちの局長がすまないな。あれで悪い人ではないんだ。許してやってくれ」
「それはなんとなく分かります。初めは少し驚きましたけど、不快とかそういうのはなくて、なんというか興味があることに真っ直ぐな人なんだな、と」
「そうか、ありがとう。俺はジョンソン。詳しいことは道中話そう。それと仲間の紹介もな。じゃないとあの人そろそろ……」
「いつまで喋っているつもりなんだ。早く行くぞ!」
「ほらな?」
肩をすくめるジョンソンに、苦笑を返したジンは、ドクターに急かされて下水道の入り口に立った。
「この中を進みます。ついてきてください」
ジンが先に梯子を下りる。その後にドクターたち回収班の面々が続く。こうして彼らは暗闇と悪臭の中に降り立った。
読んでくださった方々ありがとうございます。
新キャラ登場!
この辺りから世界観の説明をねじ込んで行く予定です。
それから今更なのですが「レビュー」や「感想」そして「ブックマーク」など、当作品を面白いと思ってくださった方は是非お願いします。いや、ほんとに今更ですね。
でも作者、密かに待っておりますので……!




