32 空前
お待たせしました。
梯子を降りきったノームは、下水道を流れる水の臭気に辟易した。
「この場所は最悪だな」
そう言って懐から細い金属の棒を取り出した。棒の尻を親指で押し込むと先端に光が灯り、暗い下水道の姿を露わにした。
半円状に丸みを帯びた天井から水が滴り落ちる。湿った石材の床が光を反射する。大人3人が並んで余裕をもって歩ける通路と、その脇を流れる水路が、光の届かない下水道の暗闇へと伸びていた。
「その手に持っているものはなんです?」
ノームに続いて梯子を降りてきたジンが目敏く、ノームの手にある細い金属の棒に興味を示す。別に隠すことでもないので、ノームは棒の正体をあっさりとバラした。
「これか?これは魔技師連盟の技術開発局が開発した、ペンに見える照明器具。その名もペンライトだ。試作を渡されたが便利だから使ってる。詳しい仕組みは知らん」
そう言われればペンに見えないこともない形状をしている。
ノームは使えれば細かい理屈は気にしない人間のようで、あるいは理解が及ばないのかもしれないが、これ以上ペンライトについて知ることはできそうになかった。
「持ち運びが楽そうですね」
「まあな。これが終わったら、一緒に顔を出しに行ってみるか?」
「ぜひ、お願いします」
密かに欲しいと思っていたジンに、ノームからのその提案は、まさに渡に船だった。
「さて、痕跡を辿ろう。こっちだ」
ノームを先頭に慎重な足取りで進む。
どうやらこの下水道は噂に違わず複雑に入り組んでいるらしく、何も目印を置かなければ道に迷うことは必定だった。そこで角を曲がるたびにジンかノームが、右手の壁に分かりやすい傷をつけることにした。
そのようにして進んでいく中、ジンは早くも疲弊していた。いつ犯人と遭遇するか分からない緊張から警戒を余儀なくされていたので、遅々とした歩みにも関わらず、随分と消耗してしまったのだ。
それに気がついたノームが声をかける。
「少し、肩の力を抜いた方がいい。そのままだと、いざって時に動けないぞ?」
ノームは深呼吸を勧めようとして……やめた。こんな環境の空気を胸いっぱいに吸い込んだりしたら、ますます具合が悪くなるに決まっているからだ。
代わりに、定期的に話しかけることで、ジンの緊張を解そうと試みる。
ジンは、その気遣いを正しく見抜き、次第に落ち着きを取り戻していった。
そして。
『ウウウウウウゥゥゥ………』
下水道の闇から唸り声が響いてきた。
それは微かな声量だったが、確かに鼓膜を震わせた。
「今の、聞いたか?」
「はい。犯人でしょうか?」
「分からない。が、確かめるしかない」
これまで以上に注意深く進んでいく。
水路を流れる水の音。反響する靴音。それらに混じって響いてくる唸り声が徐々に大きさを増してくる。それが、唸り声の正体に近づいていることを意識させる。
否が応でも高まる警戒心。
だが、程なくしてノームが足を止めた。
「どうかしましたか?」
「しっ。静かに」
その場で、じっと耳を澄ませる。
「唸り声が、止んだ」
あれほど響いていた唸り声が、いつ間にか止んでいた。
「ジン気をつけろ。おじさん、ちょっと嫌な予感がしてきた」
こういう時の嫌な予感というものは、得手して当たるものである。
それはノームが徐ろに、それまで足元を照らす目的で、やや下に向けていたペンライトを上げた時だった。
ペンライトの照射する光が、前方の天井付近の闇を取り払い、そこに張り付く何かの姿を克明に浮かび上がらせたのだ。
それは辛うじてヒトの特徴を備えていた。少なくとも、身体は普通の人間のものに見える。だが、ひと目見て「人間ではない」と分かるだけの異常性と狂気を併せ持っていた。
その最たるものが赤黒く変色した両腕だろう。異常に発達した筋肉によって肥大化しており、浮き出た筋が怪しく蠢いている。
天井に指を埋めて掴み、張り付いて、こちらを見下ろす眼孔に瞳はない。ただ底の見えない暗い穴から血の涙を流して、ペンライトの発する光の向こう側を睨みつけていた。
「ノームさん、どうしますか」
「……」
「ノームさん?」
「ああ、すまん。ちょっと考え事をな。今回はジンを主軸に立ち回る。おじさんは異形を見逃さないように光を当て続けながら、異形に隙を作る。そこを上手いこと突いてくれ」
「分かりました」
この事態を前にしても、ジンは落ち着いていた。
勿論、待ち構えていたのが外法師ではなく異形だったことには驚いた。しかし「きっと知らない間にテリトリーに入ったのだろう」と考えていたし、目の前の異形がそれほど脅威ではないと見抜いてもいた。
一方、ノームは強い違和感を覚えていた。
短い間に思考を重ねて、その違和感の答えを見出していたが、推測で判断するのは危険だった。これから戦闘となれば尚更だ。
この件は一旦持ち帰ることにして、今はジンのサポートに回ろうと意識を切り替えた。
「行きます」
「血ィィィィィィいいい!!!」
自分を害そうという気配が伝わったのか。天井に張り付いていた異形が叫ぶ。
それを気にすることなく、ジンは鞘から抜き様に剣を振るった。
「無心一流・飛剣!」
剣から放出された魔力の斬撃は、以前とは比較にならない鋭さで異形に迫る。
初めての合同任務から、まだそれほど日が経っていないにも関わらず、ジンは飛剣の改善に成功していた。魔力を放出して攻撃する射術の基礎、魔弾術を参考にして、射程と威力を向上させたのである。
傷つけられることを察知した異形が、掴んでいた天井を離して、通路へと降りてこようとする。身を翻して着地する寸前の隙を、ジンは初めから狙っていた。
確かな踏み込みで、異形を自身の間合の内側に捉える。上段から振り下ろす直剣には必殺の威力が込められていた。そのまま異形を両断するかに思われた刹那、異形の両腕が動き、ジンの剣を掴んで止めた。
振り下ろす直前、つまり威力が乗り切る前ならば止めることは難しくない。それを恐らくは本能で為したであろう異形、その戦闘センスに、ジンは戦慄を覚えた。
「コイツ、剣身を掴んで……!?」
ノームの驚きの声が反響する中、異形は剣を掴む両手に力を込める。そのまま強く握り締めると、嫌な音と感触がジンに伝わってきた。異形の口が嘲笑に歪む。
即座に後退するジン。
対する異形がゆっくりと手の平を解く。
ペンライトの光に照らされて、キラキラと煌めく細やかな破片が地面に落ちる。その破片の正体を、ジンの手の中で軽くなった直剣が知らせていた。
ジンが目を落とせば、そこには半ばから砕かれて短くなった剣身があった。
「ジン。もうソイツはダメだ。鞘にしまえ」
ノームの言葉が聞こえているのかいないのか。ジンは無言のまま、この2年間を共に過ごした相棒を鞘に納めた。
「代わりと言っちゃあなんだが、おじさんのショートソードを……」
「大丈夫です」
ジンは殊の外、冷静だった。
剣は折れてしまったが、剣がなければ切れないわけではない。
「大丈夫って……その剣は、もう」
「実戦で使うのは初めてですが、まだ戦えます」
その気迫に、ノームは言葉を飲み込んだ。
ジンは目を瞑り、努めて脱力する。それから剣の柄を握るように左手を下、右手を上にして、自分の前で握り拳を作る。そのまま剣を構えるように、上段へと持っていく。
これから繰り出されるのは無心一流の技だが、これまで使わなかったのは未だ完成していないからだ。それでも今ジンが使うのは、実戦でこそ成長は促されるのだと確信しているからに他ならない。
「危ない!もう目の前に来てる!」
ノームが慌てて前に飛び出そうとする。
彼の目にはジンが異形を前にして、ただ無防備なところを晒しているようにしか見えないのだが、あながちそれも間違いではない。
ひとつ違うとすれば、ジンは魔力感知によって、ノームの動きも、異形の動きも、そのどちらも正確に捉えているということだ。
ノームは魔闘術を使っているため感知しやすいのだ。しかしこの異形は、どういうわけか感知しにくかった。あまり魔力が表に出てきていないような、そんな感じである。もしも感知できていれば、下水道に入ってすぐに感づけただろう。
だが今は感知できている。それは異形が害意を剥き出しにして、ジンに肉薄しているからだ。感情と魔力は密接な関わりがある。異形は今、魔力も剥き出しにしているのだ。
「無心一流……」
ジンの手に魔力が集中する。
過剰に供給された魔力が、その場に留まるために高密度の塊へと変化していく。
圧縮された魔力は、やがて刃となる。
「無剣」
何のことはない上段からの振り下ろし。
広げた剛腕で今にも掴みかかろうかという異形は、その一刀によって、頭から両断されて左右に分かたれる。
生々しい肉を切り裂く感触の後、温かい液体を被ったジンは呆然と呟く。
「血……?」
切り捨てたはずの異形は、黒い粒子となって消えることもなく、その亡骸を下水道の冷たい石床に、無惨にも放り出していた。
読んでくださった方々ありがとうございます。
「そういえば世界観の説明とか一切していなかったな」と最近になって気がついた作者です。もうそろそろ連載を開始して1年になるのですが、この体たらくです。
前回、幕間を考えていると言いましたし、そこで世界観の補強ができればと考えています。




