29 喫茶
お待たせしました。
ジンが初任務を終えてから1週間が経った。
この1週間のうち、最初の2日は休息日として充てられたが、ジンはがむしゃらに素振りをすることに費やした。
その後の5日間、ウェウリンはジンに修行をつけた。しかし、それは今ある基礎を固めるものでしかなく、ジンの胸の内に燻る焦燥を打ち消すものではなかった。
そんなジンの胸中を案じたウェウリンは、とある人物に連絡を取って、約束を取り付けた。それが誰かは教えなかったが、ジンとも面識のある人物だった。
大通りから少し外れたところにある隠れ家的な喫茶店。ジンはウェウリンから指示を受けて、そこを訪れた。
「いらっしゃいませ……」
ドアを開くと共に、喫茶店のマスターの渋声が入店を歓迎する。入ってすぐに芳醇なコーヒー豆の香りがジンの鼻をついた。カウンター裏の壁に備え付けられた棚には、茶っこい豆の大量に入れられた瓶が、おそらく数十種類はくだらないであろう、整然と並んでいる。香りの大元は明らかだった。
改めて見回すと狭い店内だ。
店内はビンテージな品で調えられていて、とても落ち着いた雰囲気が演出されている。カウンター席を含めても5〜6人が座れれば良い方だろうか。あるいは、それで問題ないのだろう。この店が実益を求めているのではなく、マスターが趣味でやっているのだということは、なんとなく察しがつく。
店内にはマスターを除くと1人しかいなかった。彼が約束の人物に違いない。ジンはそのように当たりをつけて、カウンター席に座したその人物の隣に腰掛ける。
横目でちらりと見て、ジンはわずかに目を見開いた。
「ノームさん、こんにちは。先日はお世話になりました」
多少なりとも驚いたにも関わらず、普通に挨拶をするジン。ノームは可笑しさから込み上げてくる笑いを抑えるのに苦労した。
いつまでも黙っていては不信感を与えてしまう。不自然にならない間を使って笑いを押し込めてから、ノームはようやく口を開くことができた。なおも顔が少しニヤついていたので、その努力は無駄に終わった。
「ああ、こんにちは。おじさんの方こそジンには世話になったよ。報告書を支部長に届けてくれてありがとうね」
2人は挨拶もそこそこに飲み物を注文する。
ノームはマスターオリジナルブレンドコーヒーを頼んだ。彼はブラックが好きなので砂糖とミルクは入れない。そして勝手がわからないジンは、彼と同じものを注文する。
「大丈夫かい?この店はカフェオレもあるよ?」
魅力ある提案にジンは揺れた。
「……とりあえずブラックで」
「当店では砂糖とミルクを別にお付けしていますのでご心配なく……」
並々ならぬ葛藤の末に決断したジンには、マスターの用意した逃げ道が有難くもあり、少し恥ずかしくもあった。
注文を受けたマスターは棚からいくつかの瓶を取り出した。コーヒーを提供する準備は淀みなく行われる。その様が、来店したお客に飲む前から美味しさが保証されているような、そんな安心感を与えるのだ。
マスターを横目に、ジンはノームに本題を尋ねようとする。
「今日は師匠に言われて来たのですが……」
「ああ、君の師匠に頼まれたんだ」
「何をです?」
「おじさんの仕事は外法師、悪い魔技師をやっつけることなんだけど、それに連れて行ってやってくれってね」
「それを引き受けたんですか?」
「彼女には恩があって、断るに断れないんだよ」
どこか遠くを見ながら、ノームは頬をかいた。
ジンは、ノームとウェウリンの関係を尋ねることもできたが、しかし深く詮索しない方を選んだ。
「それに関係各所への根回しも完璧でね。恩がなくても断れなかったと思う」
「それは……」
なんともウェウリンらしいな、とジンは思った。
「お待たせしました……」
ソーサーに乗ってコーヒーカップが提供される。立ち昇る湯気に含まれた今までに嗅いだことのない、とても芳しい豆の香りに導かれるままに、ジンはカップを口へと運ぶ。
「お、美味しい!」
「うん、やっぱりこれだなぁ」
隣ではノームも満足げにコーヒーを飲んでいる。
ジンは以前、自分で淹れたコーヒーとの差に強い衝撃を受けていた。それこそ差と呼ぶのも烏滸がましいくらいで、天と地ほどの開きがある。いやそもそも、あれはコーヒーとすら呼べないのではないか?
ともかく、これだけ美味しいものならば、ジンの父が毎朝かかさず飲んでいたのも納得というわけだった。
「美味しかったろう?」
「はい、とても」
「そりゃよかった」
コーヒーに夢中になっている間に、カップの中は空になっていた。もちろんノームのカップの中身もなくなっている。
「さて、明日になったら、またこの店に来てくれ。時間は、この時間でいい。早速、仕事を始めよう」
「明日の、この時間ですね。分かりました」
「よし、じゃあまた明日な……マスター!勘定を頼む」
「はい、2杯で……」
ノームが席を立つのに合わせて、ジンも席を立つ。
自分の分くらい払うとジンは言ったが「ここはおじさんに見栄を張らせてくれ」というノームの説得とも言えない言葉で、大人しく奢られることにした。
読んでくださった方々ありがとうございます。
明日、2月14日はバレンタインデーですね。
チョコレートを貰えるイベントですが、私は貰ったことがありません。貰えるという淡い期待は学生時代に捨てました。
チョコレートを食べていないのに、心の中に広がったあのビターな味わいを、私は生涯、忘れることはないでしょう。
苦い思い出の話は終わりにして、今月中にもう1話更新できるように頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。




