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魔技師  作者: 檜山 紅葉
第2章 世に混沌のあらんことを
27/94

27 焦燥

お待たせしました。

 支部長室を出たところでドラコーンとは別れた。

 去り際、彼女は報告書は自分に任せろと言った。ジンは感謝を述べて、報告書の作成と提出をドラコーンに任せることにした。

 連盟支部から帰路に着いたジンは、自宅に着くなり水浴びを断行する。ほぼ尽きかけの気力を振り絞って最低限、体の汚れを落とした。そして食事を摂らずに、翌日まで泥のように眠った。




 目が覚めたのは翌日、日も暮れる時間だった。

 眠ってすぐに起きてしまったのかとジンは思ったが、実際は丸一日を寝て過ごしていた。そのことに気がつくには少しの時間が必要だった。

 ベッドから這い出て、顔を洗う。

 すると玄関を叩く音が聞こえた。


「どちら様ですか」


 玄関を開けるとアイリーンが立っていた。

 いつも通り侍女の格好をしている。


「こんばんは、ジンくん。夕飯のお誘いに来たのだけれど……随分、お疲れみたいね。大丈夫?」


 どうやら寝起きであることを見抜いたらしい。寝て起きてそのままの格好なのだから、それも仕方ないことだとジンは思った。少なくとも、客の応対をするのに不適切な格好であることは間違いない。


「よく寝たので問題ありません。今からですか?」

「日が沈む頃だから、今から行けば余裕があるわね」

「すぐに支度します。外は寒いですから、どうぞ中へ」

「ありがとう、お台所を借りるわね。お茶を淹れたいの」


 時折、家の手入れを手伝ってもらおうこともあったので、アイリーンは勝手知ったる様子で台所に入っていく。

 客という立場にも関わらず、自らお茶を淹れようとするアイリーンの姿に、ジンは何か可笑しなものを感じた。

 アイリーンが自分で淹れた方が美味しいのは確かだし、何よりこれはアイリーンの気遣いなのだろう。ならば手早く支度を済ませようと、ジンは自室へと向かう。


「お待たせしました」


 男の身支度など、そう時間のかかるものではなく、すぐに済んだ。


「外は寒いから、温かいものを飲んでから行きましょう」


 テーブルには湯気が2本立っている。

 どうやらアイリーンが飲んでいる分とは別に、もうひとつカップが用意されていて、それがジンの分らしかった。

 家の中は少し冷えているし、この分だと確かに外は寒そうだ。時間も余裕があるようなので、ジンは美味しさの保証されたお茶をいただくことにした。

 席に着いてカップを手に取る。

 紅茶の香りが漂っている。

 ジンの家に置いてある紅茶の茶葉は、決して上等なものではない。いっそ安物と言い切ってもいいかもしれない。そんな茶葉でも、淹れる者によって雲泥の差が出る。

 ジンがウェウリンの下で世話になっていた時は、いつもアイリーンが淹れた紅茶を飲んでいた。その時のことを懐かしく思い、ひと口啜る度、ジンは安心感を覚えた。

 寝起きの臓腑に温かい液体が染み渡る。


「紅茶、ご馳走さまでした。やっぱりアイリーンさんの淹れた紅茶が、僕は好きです」

「あら、嬉しいことを言ってくれるわね。ありがとう。でも私は、ウェウリンお嬢様専属の侍女だから……ごめんなさいね?」

「そういうつもりでは……」

「ふふふ、冗談よ。それじゃあ、体も温まったことだし、そろそろ向かいましょうか」


 そういえば、こういうお茶目なところもあったなと、ジンは思い出した。こうして揶揄われるのも初めてではない。

 アイリーンの苦手な部分を再認識しつつ、ジンは家を出た。そしてウェウリンが待つ館へと向かった。




 日がとっぷりと暮れた頃、ウェウリン宅に到着した。

 コートを脱ぎ、ハンガーラックにかける。

 アイリーンは食事の用意をする必要があった。食堂から厨房へ向かわなければならないアイリーンに、ウェウリンがどこにいるかだけを聞いて、ジンは彼女を見送った。

 慣れ親しんだ館の中を行き、談話室の扉を叩く。


「失礼します」


 声をかけてから談話室に入ると、アイリーンの言葉通り、ウェウリンがいた。ソファで寛いで待っていたらしい。ローテーブルに紅茶入りのカップとポットが並んでいる。


「ようやく来たか」

「遅くなりました」

「疲れたろう。そこへ座りなさい」


 ジンは、勧められるままソファへと腰掛ける。ちょうどウェウリンと対面する形だ。

 ウェウリン手ずから、ポットの中の紅茶をカップへと注いだ。林檎の甘い香りの湯気が立ち昇る。ジンは恐縮しながらカップを受け取り、この人の紅茶好きも相変わらずだ、などと思いつつカップに口をつけた。

 ジンが落ち着くのを待って、ウェウリンは声をかけた。


「今回の初任務。なかなか大変だったようだな。まずは御苦労と言っておこう」

 

 どうやらウェウリンには事の次第が伝わっているようだ。ウェウリンからの労いに、ジンが軽く頭を下げて応える。


「それで、どうだった?」


 その言葉には様々な意味が含まれる。

 共に任務を遂行した魔技師のこと。相対した異形のこと。発生したイレギュラー。訓練と実戦の違いについて。

 何から話すべきかを思案しながら、ジンは口を開いた。


「今回は運が良かったのだと思います」

「ほう。なぜそう思った?」


 興味深げにウェウリンが問う。


「僕が劣っているとは思いません。しかし今回の異形は強大過ぎました。かの山に堆積した怨念の集合体、それがあの異形なのだと推測しています。その怨念を相手に、僕は、こうして逃げ帰ることは出来ました。しかし滅するには届きませんでした」

「だがお前は生きている」

「ええ。しかし、いつも逃げられるとは限らない」

「だから運が良かったのだ、と?」

「そういうことになります」

「さもありなん」


 運も実力のうちである。しかし幸運は長く続かないし、運だけに頼れば、いずれ必ず破滅する時は来る。運だけでは生き残れないことを、ウェウリンは理解していた。

 そんなことはジンも薄々分かっている。

 だからこそジンは、知らず知らず焦燥を抱えてしまっていた。


「また修行をつけてください。僕はまだ死ぬわけにはいかない」

「少し休むことだ。2日ほど好きに過ごすと良い」

「まだ足りないんです。もっと強くならなければ……」

「休むのも修行のうちだと教えたはずだ」


 ジンが渋々だが頷いたのを見て、ウェウリンは微笑みを浮かべる。


「ジン、お前は強くなった。これから、まだまだ強くなるだろう。時が経てば自ずと。だから焦りは禁物だ。簡単に手に入る力ほど、道を踏み外しやすいものはないのだから」


 そろそろ夕食の準備が整う頃合である。

 ウェウリンは席を立ち、ジンにも食堂へ向かうよう促した。美味しいものを食べれば、明日を生きる力が湧いてくる。

 よく食べ、よく眠ること。それこそが休息の根幹。

 今のジンには、それが必要だ。

読んでくださった方々ありがとうございます。

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