27 焦燥
お待たせしました。
支部長室を出たところでドラコーンとは別れた。
去り際、彼女は報告書は自分に任せろと言った。ジンは感謝を述べて、報告書の作成と提出をドラコーンに任せることにした。
連盟支部から帰路に着いたジンは、自宅に着くなり水浴びを断行する。ほぼ尽きかけの気力を振り絞って最低限、体の汚れを落とした。そして食事を摂らずに、翌日まで泥のように眠った。
目が覚めたのは翌日、日も暮れる時間だった。
眠ってすぐに起きてしまったのかとジンは思ったが、実際は丸一日を寝て過ごしていた。そのことに気がつくには少しの時間が必要だった。
ベッドから這い出て、顔を洗う。
すると玄関を叩く音が聞こえた。
「どちら様ですか」
玄関を開けるとアイリーンが立っていた。
いつも通り侍女の格好をしている。
「こんばんは、ジンくん。夕飯のお誘いに来たのだけれど……随分、お疲れみたいね。大丈夫?」
どうやら寝起きであることを見抜いたらしい。寝て起きてそのままの格好なのだから、それも仕方ないことだとジンは思った。少なくとも、客の応対をするのに不適切な格好であることは間違いない。
「よく寝たので問題ありません。今からですか?」
「日が沈む頃だから、今から行けば余裕があるわね」
「すぐに支度します。外は寒いですから、どうぞ中へ」
「ありがとう、お台所を借りるわね。お茶を淹れたいの」
時折、家の手入れを手伝ってもらおうこともあったので、アイリーンは勝手知ったる様子で台所に入っていく。
客という立場にも関わらず、自らお茶を淹れようとするアイリーンの姿に、ジンは何か可笑しなものを感じた。
アイリーンが自分で淹れた方が美味しいのは確かだし、何よりこれはアイリーンの気遣いなのだろう。ならば手早く支度を済ませようと、ジンは自室へと向かう。
「お待たせしました」
男の身支度など、そう時間のかかるものではなく、すぐに済んだ。
「外は寒いから、温かいものを飲んでから行きましょう」
テーブルには湯気が2本立っている。
どうやらアイリーンが飲んでいる分とは別に、もうひとつカップが用意されていて、それがジンの分らしかった。
家の中は少し冷えているし、この分だと確かに外は寒そうだ。時間も余裕があるようなので、ジンは美味しさの保証されたお茶をいただくことにした。
席に着いてカップを手に取る。
紅茶の香りが漂っている。
ジンの家に置いてある紅茶の茶葉は、決して上等なものではない。いっそ安物と言い切ってもいいかもしれない。そんな茶葉でも、淹れる者によって雲泥の差が出る。
ジンがウェウリンの下で世話になっていた時は、いつもアイリーンが淹れた紅茶を飲んでいた。その時のことを懐かしく思い、ひと口啜る度、ジンは安心感を覚えた。
寝起きの臓腑に温かい液体が染み渡る。
「紅茶、ご馳走さまでした。やっぱりアイリーンさんの淹れた紅茶が、僕は好きです」
「あら、嬉しいことを言ってくれるわね。ありがとう。でも私は、ウェウリンお嬢様専属の侍女だから……ごめんなさいね?」
「そういうつもりでは……」
「ふふふ、冗談よ。それじゃあ、体も温まったことだし、そろそろ向かいましょうか」
そういえば、こういうお茶目なところもあったなと、ジンは思い出した。こうして揶揄われるのも初めてではない。
アイリーンの苦手な部分を再認識しつつ、ジンは家を出た。そしてウェウリンが待つ館へと向かった。
日がとっぷりと暮れた頃、ウェウリン宅に到着した。
コートを脱ぎ、ハンガーラックにかける。
アイリーンは食事の用意をする必要があった。食堂から厨房へ向かわなければならないアイリーンに、ウェウリンがどこにいるかだけを聞いて、ジンは彼女を見送った。
慣れ親しんだ館の中を行き、談話室の扉を叩く。
「失礼します」
声をかけてから談話室に入ると、アイリーンの言葉通り、ウェウリンがいた。ソファで寛いで待っていたらしい。ローテーブルに紅茶入りのカップとポットが並んでいる。
「ようやく来たか」
「遅くなりました」
「疲れたろう。そこへ座りなさい」
ジンは、勧められるままソファへと腰掛ける。ちょうどウェウリンと対面する形だ。
ウェウリン手ずから、ポットの中の紅茶をカップへと注いだ。林檎の甘い香りの湯気が立ち昇る。ジンは恐縮しながらカップを受け取り、この人の紅茶好きも相変わらずだ、などと思いつつカップに口をつけた。
ジンが落ち着くのを待って、ウェウリンは声をかけた。
「今回の初任務。なかなか大変だったようだな。まずは御苦労と言っておこう」
どうやらウェウリンには事の次第が伝わっているようだ。ウェウリンからの労いに、ジンが軽く頭を下げて応える。
「それで、どうだった?」
その言葉には様々な意味が含まれる。
共に任務を遂行した魔技師のこと。相対した異形のこと。発生したイレギュラー。訓練と実戦の違いについて。
何から話すべきかを思案しながら、ジンは口を開いた。
「今回は運が良かったのだと思います」
「ほう。なぜそう思った?」
興味深げにウェウリンが問う。
「僕が劣っているとは思いません。しかし今回の異形は強大過ぎました。かの山に堆積した怨念の集合体、それがあの異形なのだと推測しています。その怨念を相手に、僕は、こうして逃げ帰ることは出来ました。しかし滅するには届きませんでした」
「だがお前は生きている」
「ええ。しかし、いつも逃げられるとは限らない」
「だから運が良かったのだ、と?」
「そういうことになります」
「さもありなん」
運も実力のうちである。しかし幸運は長く続かないし、運だけに頼れば、いずれ必ず破滅する時は来る。運だけでは生き残れないことを、ウェウリンは理解していた。
そんなことはジンも薄々分かっている。
だからこそジンは、知らず知らず焦燥を抱えてしまっていた。
「また修行をつけてください。僕はまだ死ぬわけにはいかない」
「少し休むことだ。2日ほど好きに過ごすと良い」
「まだ足りないんです。もっと強くならなければ……」
「休むのも修行のうちだと教えたはずだ」
ジンが渋々だが頷いたのを見て、ウェウリンは微笑みを浮かべる。
「ジン、お前は強くなった。これから、まだまだ強くなるだろう。時が経てば自ずと。だから焦りは禁物だ。簡単に手に入る力ほど、道を踏み外しやすいものはないのだから」
そろそろ夕食の準備が整う頃合である。
ウェウリンは席を立ち、ジンにも食堂へ向かうよう促した。美味しいものを食べれば、明日を生きる力が湧いてくる。
よく食べ、よく眠ること。それこそが休息の根幹。
今のジンには、それが必要だ。
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