15 瞬剣
お待たせしました!
吹き飛ばされたジンは、地面をゴロゴロと何度も転がって、ようやく止まった。
全身に擦過傷を負って服はボロボロ。しかし直前に自ら背後へ跳んだことに加え、上手く受身をとれたことで、ダメージは最小限に抑えることができていた。
体の具合を把握したジンは、すぐさま体勢を立て直す。そして自身に攻撃を加えてきた何者がいるであろう正面を見据える。
そこには体長3メートルはあろうかという楕円状の肉塊が、そこから生やした4本の腕で体を支えて鎮座していた。
腕は外見上、人間のように見えるが、その長さといい、太さといい、とても人間の比ではない。手には鉤爪もあり、どうやら四足獣に近い不思議な構造をしているようだ。
耳を澄ませれば、異形の発する怨嗟の声がひとつではないことに気がつく。
『ザンギョォォ……』
『コォォジョォォチョォォ……!』
『ハタラカナキャ……ダメエエエエ!!』
楕円状の肉塊では人間の顔が浮き沈みを繰り返している。それこそ無数の顔が浮かんでは、その灰色の肉塊に沈んでいく。脈動する肉塊の生々しい質感は、見るものに生理的嫌悪感を抱かせた。
「なんて魔力だ……」
ジンは感じ取った彼我の差を前に、しみじみと呟いた。
ウェウリンは底が知れなかったが、目の前の異形は底が見える。だが見えるだけだ。当然のようにジンよりは多い。
それでもジンは呆けたりしなかった。
そうこうしているうちに異形が四肢に力を込め始める。視野が限られる中、ジンは魔力感知だけを頼りに、異形の動きを努めて冷静に掴もうとしていた。
異形が跳躍し、砲弾のように低空を飛来する。ジンは、先ほど己は、あの肉塊に弾き飛ばされたのだと察した。
大きく右に跳び、前転をすることで、異形の腕の下を潜るように回避したジンが、振り向きざまに一太刀を浴びせる。
灰色の肉塊は、その見た目に反して硬く、ジンの放った一撃では表面に筋のような、浅い切傷を残すのが精々だった。
あまりの勢いに直線的にならざるを得ないのだろう。異形の突進は空振りに終わり、無様な胴体着陸に切り替わる。腹を床に擦り付けて、四肢を使ってブレーキをかける。
頭を軸にドリフトさながらの回転を見せた異形は、周囲の機械やコンベアを薙ぎ倒しつつ、また盛大に床を抉りつつ、ジンに向き直ったところで、その勢いを完全に失った。
ジンの頬を冷たい汗が伝う。
感触からして、自分の剣で切れるとは到底思えなかったからだ。
それでもこの異形を倒さなければ、ここから生きて出ることは敵わない。
テリトリーに踏み入った時点で、逃走の選択肢は原則として排除される。なぜなら、テリトリーは内部のものに、ある種のルールを強制するからだ。
異形にとって有利な空間で戦う。
魔技師は常に死地で戦わなければならないのだと、ジンはこの時、ようやく理解した。
「また来る……!」
幾度かの攻防でジンは、すっかり神経をすり減らしていた。そして心の弱さにも直面していた。
自分はなぜ、ここにいるのか。
自分はなぜ、戦っているのか。
再び食らえば重傷は免れない紙一重の戦場において、その葛藤は致命的であった。現にジンの動きは精細さを欠いていた。
異形の猛進を躱し損ねたジンの身体が撥ねられ宙を舞う。
機械やコンベアを巻き込みながら派手に弾き飛ばされた。土煙が起こり、それが晴れるとガラクタの山が形成されており、ジンは半ば埋もれる形で体を投げ出していた。
ぼんやりとした意識で、ジンが思い出していたのは、自身の人生を狂わせたあの日、あの事件のことだった。
「……父さん」
遺体に張り付いた恐怖に歪んだ表情。
形見の時計は今も、ジンの手首で針を止めている。
「……母さん」
行方不明の母さん。
まだ生きているかもしれない希望。
あの愛に触れられたなら、どんな困難にも立ち向かえるに違いない。
「……師匠」
希望を齎した張本人。
絶望に沈み、黒く染まったジンの心に射した白い光。もしくは雪。
差し伸べられた手をジンは掴んだ。
「ぐっ……ああああっ!」
ジンが体を起こすと、がらがらと音を立ててガラクタの山が崩れた。
どうやら肋が何本か折れているらしい。呼吸をする度に胸が痛むのだろう。さらに左腕も折れているのか使い物にならない様子だ。左足も捻挫だろうか、上手く力が入らず、ジンは顔を顰めた。
怪我をしたのは、いずれも異形の突進を受け止めた側だった。
「はあ、はあ、うっ!?」
『ロウサイィィーーッッ!!』
「僕は、僕の剣は異形を切る剣だ。そう教えてもらった。だから僕は……」
言いながら、ジンは構を取る。
「お前を切るっ!」
その構えは不恰好ではあったが、迷いは微塵もなく、言い知れぬ気迫を纏っていた。
迸る激痛を捩じ伏せて、右脚を前に膝を曲げ力強く踏み込み、左脚で無理やりに支える。右手でもって剣を構えて、剣先は左肩に乗せる。左腕はだらりと下げたままだ。
全身から魔力を発する限界を超えた魔闘術の行使が、それを可能にしていた。
そして、ジンがイメージするはウェウリンの技。脳内で何度も何度も反芻し、なんとか術理を読み解こうと苦心し、脳裏に焼き付いて離れないあの技を。
「魔闘術・我流奥義……」
異形が四肢に力を込める。
もうジンには、異形の攻撃を避けるだけの力は残されていない。だからこそ、この一閃を全身全霊で遂行する。
その覚悟が魔技のレベルを急速に引き上げていく。
「瞬剣」
猪突猛進する異形と接触する瞬間。
瞬き1回にも満たない時間。
その間にジンの剣は振り抜かれていた。
読んでくださった方々ありがとうございます。
書き溜めていた分(プロット含めですが)がなくなりましたので、より不定期な更新となります。