プロローグ
「はぁ…疲れた…。」
俺こと国枝 安吾(30歳・独身)は大きくため息をついて死んだ目でノートパソコンに表示される時間に目をやる。すでに0時半過ぎ。そろそろ終電も近い。
悲しいことに会社から俺の住んでいる安アパートまでは30分圏内なのでこんな時間まで仕事をしても帰れてしまう。明日のプレゼンの資料はまだまとまっていない。
とりあえず仕事は持ち帰って、3時くらいまで粘れば終わるかな…。
そう思って席を立つ。すでに俺以外はみんな帰っていて、務めているオフィスビルは当然消灯済み。
ぽつんと光る俺のデスクスタンド。
荷物をまとめてデスクスタンドを消し、非常階段から降りて裏口からビルを出た。
帰っているはずなのに足取りは重い。
腹が減った。
帰ったら何食おう。
作る気力など当然ないのでコンビニで買うか、地元の最寄り駅のファーストフードで済ますか。
白目を向きながら階段を降りつつつ、ワイヤレスイヤホンを装着して動画サイトの某Tubeを開いた。
『こんちゃーだぞ!! お前ら今日も元気か!』
「うへへ」
ニヤけながらスマホを眺める。
今見ているのは阿修羅 美鬼ちゃん。
最近火が着き始めている人気VTuberだ。
今現在、俺の人生唯一の癒やしである。
あ〜耳が幸せじゃ。
周りから見たら完全にやばいやつなのは間違いないが、もうすでに周りには人通りが少ない。
俺だけのエンペラータイムである。
真っ赤なロングヘアーに鬼の角を模したヘアアクセサリーが2本。
ツリ目がちな大きな瞳は稲妻のように黄色く輝いている。(そういえば実際の雷は大気中の塵や埃のせいで青かったり赤かったり紫がかっているけど何で黄色のイメージがあるんだろう)
オレンジ色の和服を基調としつつ、近未来的な装飾がほどこされた衣装が彼女の動きにしたがって優雅に揺れ動いている。ついでにロリボディに似つかわしくない豊かな胸も揺れ動いている。
CG技術の進歩バンザイ。
生まれてきてくれてありがとう。
『今日は今話題のメントスコーラをやってみるぞ!』
ほんとに便利で素晴らしい時代だ。
スマホ1つあればこんな夢も希望もない俺のような、しがないサラリーマンにも人生に潤いを与えられる。
いつでも音楽を聞けるし誰かとコミュニケーションも取れるし、株取引だってできちゃう。
スマホがない時代なんてもはや考えられない。スマホが存在する時代に生まれて本当に良かった。
ドン!と聞いたことがない鈍い音とともに視界が宙を待った。
あ、あれ?
スマホから視界を外に向けると最初に目に入ったのは歩行者用の信号が赤だったこと。
次に猛スピードで俺が存在していたであろう位置を走り抜ける黒塗りの大型トラック。
そして最後にバラバラに吹っ飛んだ俺に手足とスマホ。
あーやべ、俺、まだ仕事終わってないのに。
明日どうしよう。
空中を優雅に舞いながらそんなことを考えていた。
案外痛さとか何も感じないんだな。
なんて思いながら地面にベシャリと叩きつけられ、俺は意識を失った。
現世での俺の最後は誰に看取られることもなくこうしてあっけなく終わったわけだ。
ともあれ、俺から言えることはただ一つ。
歩きスマホ、ダメ、ゼッタイ。