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オバケでバブルなエリコさん  作者: つづれ しういち
第二章 性格は薄くないのに
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3 夜間飛行



 ぼくらは音もなく夜空を飛んだ。

 都会の街の明かりはとても沢山あって、なんとなくどこかの銀河みたいに見えた。目を動かすと、山があるほうの地域になるにつれて明かりはぽつぽつと少なくなり、その先は真っ黒な闇にのまれているのが分かった。


 エリコさんが言うには、本当に空を飛ぶのとは違って、幽体だと時間や空間の概念もまるっきり変わってしまうんだそうだ。

 ほんの十数分しか使えないはずだったけれど、すでにかなりの時間が経ったような感覚があった。そうしてぼくらはあっというまにはるか上空まで飛び上がり、街を見下ろしてすいすい飛んだ。

 下界では夏の熱い空気が重苦しくよどんでいる感じだったけれど、ここまでくると風もあるし、とても涼しくて快適だ。


「ほら、見て。オサムくん」


 ぼくと手をつないだまま飛びながら、エリコさんが街の一角を指さす。言われるままにそっちを見たけれど、はじめのうち、エリコさんがぼくに何を見せようとしているのかは分からなかった。だけど、じっと目をこらしているうちに、街の中心部らしいところにあちこち、墨汁を落としたように黒くかげった部分があるのが分かってきた。

 そこだけ停電でもしているのかと思って集中して見ていたら、やがてそれがもやもやと形を変え、微妙に動いているのがわかってきた。それは何となく、海の底でうごめいている深海の生き物のように見えた。


「あれ、なに……? エリコさん」

「うーん。まあ、あえて言うなら、あたしと似たようなものなんだけど」

「ええっ?」


 エリコさんと似たようなもの?

 それって、つまり──。


「亡くなった人がこの世に残した心っていうか。でも、あれはあたしと違って真っ黒で濁ってて、なんだか黒い霧みたいに見えるでしょう?」

「あ、う……うん」

「人にもよるんだけど、自分が死んじゃったことさえわからないで、うろうろ彷徨(さまよ)っているタイプのもいるわ。ああいうのには、絶対に近寄っちゃダメ。特に君は『見えやすい人』だしね。わかる?」

「う、うん……」

「もちろん、自分が何なのか自覚してる奴もやめておいたほうがいい。どっちにしろ、ああやって濁っているのは要するに、何かに恨みを抱いてここに残っているってことだから。下手に同情したり、可哀想なんて思ったりしたら、あっという間に引きずり込まれる。ろくなことにならないから、本当に気をつけて。いい?」

「わ、……わかった……」


 そこまで言うと、エリコさんは一度言葉を切って、じっと下界を見下ろした。その目には何とも言えない光がともっているように見えた。


「あれを見たらわかると思うんだけど。結局、だれかにだまされたとか、裏切られたとか、ひどい目に遭わされたとかで死んじゃって、そのまま恨みを持ってここに残ってしまったら、自分もろくなことにならないの。それだけははっきり言えるわ」

「…………」

「たとえ自分に非がなくっても、どんなに相手が悪くても、恨みを残したらアウトなの。『人を呪わば穴ふたつ』っていうことわざ、知ってる?」

「う、ううん……」


 ぼくが素直に首を横にふると、エリコさんはふふっと笑った。


「そりゃ、今の小学生で知ってる子は少ないわよね。穴っていうのは墓穴(はかあな)のこと。他人を呪ってそいつの墓穴を掘ったりしたら、つまり、『そいつに悪いことが起こるように、それで死んでしまえ』なんて願ってしまったら、同時に知らないうちに自分の墓穴も掘ってしまうことになる。……そういう意味」

「…………」

「昔の人は、そういうこと、よーくわかっていたんでしょうね」


 ぼくはだまって、下に見える街のあちこちでもやもやとうごめいている黒い霧をじっと見た。

 あっちにも、こっちにも。

 この世には、誰かに恨みをもって死んでいった人たちがこんなにたくさんいるんだな。そう思ったら、背筋につうっと氷をすべらされたみたいに、心底からゾクゾクした。

 いったい何があったのかなんて、子供のぼくにはほとんど分からないけれど。それでも、怖いと思うには十分だった。


「だれかを無闇に傷つけたりいじめたり、そんなバカな奴らと一緒に、君みたいな子が墓穴に入る必要なんてないの。バカな人はほっとくのが一番よ。そんな奴は放っておいても、勝手に自分から墓穴に入るんだから。君は君の人生をちゃあんと生きて、ちゃんと幸せになればいいだけのこと」

「で、でもさ……エリコさん」

 ぼくは無意識のうちに、エリコさんの手をぎゅっとにぎって彼女を見た。

「ほんとに、ほんとうにひどいことをされた子は? ぼくなんて軽いほうだったけど、もっともっとひどいことされて、とうとう死んじゃったなんていう子はたくさんいるでしょ。テレビで流れてるのなんて、ほんの一部なんだって、パパやママも言ってたよ」

「うん。……それは、そうだと思う」

「そんなひどい目に遭わされた子でも、相手を恨んじゃいけないの? そんなの無理じゃないの? そういうの、『きれいごと』って言うんじゃないの……?」

「さすがオサム君。鋭い切り返しね」


 エリコさんはふふっと笑ってぼくを見た。その目はちょっぴり悲しそうに見えた。


「おっしゃる通り。それが一番難しいの。ひどい目に遭わされて、相手を許すってほんとうに大変なこと。そんなこと、わかってるの」

 エリコさんの目の中に、街の明かりがうつりこんできらきらまぶしい。

「許せなくって、当たり前なんだもの。なにもかも奪われて、誰にも気づいてもらえなくて。だれにも相談もできないで、だから理解もされないで。その上『お前が弱いのが悪いんだ』なんて、逆に責められたりしてさ。それでしまいに命までとられたんじゃね。……それで、あそこで何年も何十年も……ことによったら何百年も、あんな風に真っ黒い霧になってただようだなんて」

「…………」


 エリコさんにつられるようにして、ぼくも街の中の、ふわふわうごめいている黒い霧みたいなものを見た。

 そう思って見るからなのか、それはさっきみたいにただおどろおどろしいものではなくて、どこかはかなくて、悲しい存在のように思えた。


「だからまあ、『許す』っていうのは難しい。……なら、『忘れる』にシフトしてもいいと思うの」

「忘れる……?」

「何かで読んだことがあるの。『許す』っていうのはつまり、忘れることなんだって。相手にされたこと、相手の悪いところ、失敗、攻撃。そんなものをみんな忘れること。わざわざ相手にならなくていいから、そいつからとにかく離れて、自分の人生を幸せにすることだけ考えるの」

「…………」

「そうやっていつか、本当に幸せになったとき、きっとその悪い思い出はだいぶ忘れられている。今の幸せを十分に味わっていたら、昔の痛みを思い出さなくて済む、っていうこともあるかもね」


 ぼくはちょっと、考えてみた。

 それ、それでもやっぱり、とっても難しいことに思える。

 少なくとも、ぼくなんかには無理そうだ。

 今だって、あのハラダのことを思い出したらむらむらとおなかのなかで火が燃え始めてしまうんだから。

 ぼくの心の中を見透かしたように、エリコさんがにっこり笑った。


「だからまあ、まずは『思い出さない』ってことも大事なのかも。そのためにも、今の人生をしっかり楽しむことを考えるの。まあ、死んじゃったあたしが言うのもなんなんだけどね」

「そ……うか。それなら、頑張ればできないこともない、のかな」

「きっとできるわ。オサム君は強い子だもの」

「え」


 思いがけないことを聞いて、ぼくは目をまるくした。それを見て、エリコさんが笑い出した。


「やあねえ。気づいてないの? オサム君はとっても強い子よ。その上、ちゃんと優しい子。そりゃ、あのミユちゃんが惚れるはずよね」

「え、ちょ、ちょっと……」


 急になにを言い出すんだ、この人。


「大したもんだわ、あの子。あの年で、ちゃんとオトコを見る目があるんだもの」

「や、やや、やめてよっ、エリコさんっ……!」

「あっははは! やあだ、幽体なのに真っ赤になっちゃって。ほんとオサム君たら、かっわいい──」


 とうとうエリコさんが大笑いを始めてしまって、ぼくは全身が熱くなり、恥ずかしさのあまりぶるぶる震えがきて、なにも言えなくなってしまった。

 やがてエリコさんがすっと笑いをおさめ、「あら、時間切れね」と言ってぼくの手を取った。


(うわ……?)


 そう思った次にはもう、ぼくは自分の部屋のベッドの上でタオルケットにくるまって、ひとりで横になっていたのだった。

 


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