1 道ばたに立ってるあの人は
最近、学校に行くときに、道ばたに女の人がいる。
グリーンのベストを着た見守りボランティアの人のことじゃないよ。ちょっと変わった形をした、真っ赤なスーツを着た女の人だ。
どこが変わっているかと言うと、とくに肩のところがもり上がってて、なんだか男の人みたいに広く見えること。えりのところが黒と赤とに分かれていて、胸やそで口に金色の大きなボタンなんかがついていて、なんとなく派手なところかな。
黒くてきれいな長い髪をしていて、お化粧もばっちりしている。眉毛がものすごく太くて、目のまわりにもいろんなものがくっついている感じ。まばたきしたら風がきそうなぐらいだ。唇をあんなに真っ赤に塗っている人って、あんまり見たことがないよなあ。
「おはよう、オサムくん」
「あ、おはよう。ミユちゃん」
同じクラスの佐藤ミユちゃんが声を掛けてきたので、ぼくは道端の電柱のかげにじっと立っている女の人から目をそらした。
「きのうの算数の宿題、どうだった? 三番のやつわかった?」
「ああ、えっと……。ちょっとひねってあったよね。でも大丈夫。ミユちゃんならすぐにわかるよ」
「ほんと? オサムくん、教えてくれる?」
「うん、いいよ。先生が来るまでにやっちゃおう」
そこまで言ってからひょいとさっきの電柱を見たら、女の人はなんとなくかまぼこの切り口みたいな形の目になって口元をおさえ、にやにやとぼくを見つめていた。
いやだなあ。ぼくとミユちゃんはただのクラスメイトですよ。
それにぼくたち、まだ小学四年生だし。
ぼくが変な顔になっていたら、ミユちゃんにぐいとそでを引っぱられた。
「ねっ。早く行こ? のんびりしてると、またハラダが来ちゃう。すぐからかってくるから、あの子ちょっとキライなんだ」
「あ、うん……。そうだね」
ハラダは同じクラスの男子だ。体が大きくていつもいばっていて、くだらないことですぐに弱い子をからかったりいじめたりする、いやな奴。いつも手下みたいにほかの男子を二、三人ひきつれている。
最近では学校でも「いじめモンダイをボクメツする」とかなんとか言って先生たちの目だって厳しいから、先生がいるところではやらない。そこらへんはハラダもちゃんと賢く動いてる。
だからぼくらも、先生のいないところであいつに出くわさないように、うまく動き回らなくちゃいけないんだ。
少し小走りになりながら、なんとなく後ろを振り返ったら、さっきの電柱のそばにはもうだれも立っていなかった。
◇
「よお、ハナカミぃ。ハナカミかしてくれよ、なあ!」
放課後。ぼくはあっさりと失敗していた。
掃除当番が終わって帰る準備をし、ちゃんとまわりを注意して見回してから校舎を出たつもりだったのに。
ちょっと行ったところにある公園のそばで、ハラダとそのとりまき二人につかまってしまったんだ。
ちなみにぼくの名前は「ハナカミ」じゃない。水上っていうんだけど、ぼくが言うそんな訂正の申し立てをハラダが聞いたことなんて一度もなかった。四年生になって同じクラスになり、しばらくしてから、こいつはぼくをこうやってからかうようになったんだ。
「ハナカミ、もってないのか? ハナカミぃ。オレ、この時期は花粉症がひどくってよお。まったく、花粉なんてこの世から消えろっつうの」
うん。まあそれは、ちょっとかわいそうだなって思うけどね。うちのママも花粉症で、今ぐらいの時期はいつもごついサングラスと大きなマスクが手放せない。
でもハラダのそれは嘘だと思う。だってこいつはちっともくしゃみなんかしてないし、鼻水だって出してない。目だって少しもかゆそうにはしてないもんね。
「持ってきてるティッシュじゃ全然、足りねえのよお。え? 持ってない? ないなら代わりに、他のもんを貸せってんだよ」
「そんなこと言ったって……」
取り巻きのふたりに腕をつかまえられてしまっていて、ぼくは身動きができなかった。そのうちに、あっさりとランドセルを取り上げられてしまう。
ハラダがふたりに目配せをすると、それはすぐにふたを開けてさかさまにされ、中に入っていたものがバラバラと地面に落ちた。教科書もノートもペンケースも砂まみれだ。
「ん~、そうだなあ。鼻のかみすぎでひりひりするといけないから、やっぱりウェットティッシュがいいんだけどなあ。これ、乾いちゃってるよねえ?」
ハラダがぼくのノートを一冊とりあげて、これ見よがしに目の前で振る。にやにやしながら、その目がちっとも笑っていない。こいつはいつも、こうやって「獲物」をいたぶるのを存分に楽しむんだ。
「ちょっと湿らせてもいいよなあ? ……おい」
そう言って、ハラダがノートを子分の一人に渡すと、子分はさっとそれを持って公園の蛇口のあるところへ行った。
じゃあじゃあと、ノートが水びたしにされる。
ぼくはだまって、そのノートを見つめていた。
ああそれは、今朝、ミユちゃんに教えてあげた算数の宿題を書いたノートだったな。ミユちゃんが「ありがとう」って、ノートのはしっこに小さな可愛いハナマルを書いてくれたのに。
きっとそのピンクのペンの色は、水でにじんでぐちゃぐちゃになってしまっているだろう。
こういうとき、変に傷ついたり困ったり、悲しそうな顔をしちゃダメなんだ。それは余計にこいつらに「おいしいエサ」をやるのと一緒だから。ただ淡々と、こいつらが飽きるまでこの「茶番」につきあって、ちょっと殴られたりするのも我慢すれば終わる話。
先生に言うかって?
そんなの、言うわけないじゃん。
先生たちだってほんとうは忙しい。「いじめボクメツ」とか言ったって、クラスに何十人もいる子供みんなをいつもじっと見ているなんて不可能だ。
そしていじめは、そういう風にしてできたエアポケットで起こるのさ。
そう、ちょうど今みたいにね。
と、とつぜんハラダの顔がくしゃりと歪んだ。
「へ、へあ……へえーっくしょい!」
すごいくしゃみだ。そのあともハラダは立て続けにくしゃみをし、さっきまではウソだったはずの鼻水と涙を垂れ流しはじめた。と、横を見るとハラダの手下のやつも同じようなことになっている。
「へは、へは……ぶへっくしょ!」
「くしょっ、くしょ、くしょん!」
いったい何が起こったんだ。
ぼくはぼんやりとそんな三人を見て突っ立っていた。
やがてハラダが「じゃあな」とかなんとか言いながら立て続けにくしゃみをし、よろよろと公園から出て行くと、とりまきの二人も同じようにしていなくなった。
ぼくがそれでも三人が出て行った公園の入り口のほうをしばらくぼうっと見ていたら、いきなり隣から声がした。
「あなたねえ。もうちょっとしゃっきりしたら?」
目を上げると、あの赤いスーツの女の人が立っていた。